月へとのばす指
アメリカでも、容姿と境遇が及ぼす影響はあまり変わりなく、よく女性にも男性にも声をかけられた。日本にいる時は顔立ちが童顔気味であるのをいくぶん気にしていたが、欧米ではむしろ受けるらしく、誘ってくる女性には事欠かなかった。そのことに気をよくして、付き合う女性を短期間で取っ替え引っ替えした期間もある。
だが一年もすると、そんなことには飽いてしまった。形だけ──体だけの付き合いは一時は楽しくとも、いずれ虚しくなる。そう悟ってからは仕事に打ち込み、米国で急成長中のコングロマリット企業との業務提携を結んだことが評価されたらしく、予想よりも早い月日で日本に戻ることとなった。
英会話の能力に不自由はなかったし、アメリカの水が合わなかったわけではないが、帰国して落ちつける感じがするのは間違いなかった。当たり前ではあるが、やはり自分は根っからの日本人であるらしい。
……だが、アメリカの方が良かったと思うこともある。
自分を見る、重役や一般社員たちの目つきだ。
アメリカはほぼ完全な実力主義社会だから、若くとも、仕事で結果を出せば表向きは誰も文句を言わない。実績に応じた評価を受け、そのように扱われる。
しかし日本では、まだまだ年功序列の伝統がはびこっている。並みいるベテラン社員を差し置いて、社長の息子、跡取り候補というだけでいきなり営業次長におさまった。そんな久樹を、あからさまにではないにせよ、若造がと侮る目で見てくるのは、課長や部長クラスだけではない。社長である父親に近い重役の面々の中にも、そういう人間はいる。
久樹とて、今の自分の肩書きが、箔付けとも言えない名ばかりのものである事実は、わかっているつもりだ。アメリカではともかく、日本ではまだ、何の成果も出してはいないのだから。
父親の思惑通り、将来的に社長になるかどうかはわからない。実のところ、今でも強制されているわけではないから、大学卒業時に他の会社へ行くこともできたのだ。だがフジシロホールディングスへの入社を決めたのは、自分自身の選択である。迷いがなかったわけではないが、どこへ行こうと自分にフジシロの影がつきまとうのは同じ、それなら渦中に飛び込んでも変わりはないだろうと考えた。
ならばこの会社で、出来ることを出来うる限りにやるのが自分の役目だ。二十年後、三十年後に社長になるにせよ、そうでないにせよ。