月へとのばす指
「──そんな、言い方」
「本当のことだよ。俺は、君と一緒にいたいと思ってる。この先、たとえ短い間でも、最後まで一緒に生きていきたい」
立ち上がり、唯花を引き寄せて、抱きしめる。
「他の女なんか要らない……唯花しか、欲しくないんだ」
いつか抱きしめた時よりも、さらに細くなった体。彼女の命をこれ以上に削らないでほしい──神か仏が、誰でもいいから願いを叶えてくれる存在に届けと、一心に祈った。祈りながら唯花をかき抱いた。
唯花は抱きしめられたまま、しばらく微動だにしなかった。やがて、持ち上げられた手が、久樹の腕に添えられる。
「──久樹くん」
唯花の発言に記憶を呼び起こされる。それは子供の頃、彼女が久樹に声をかける時に使っていた呼び方だ。
はっとした瞬間、腕の力がゆるんだ。その隙に唯花はそっと、だが厳然たる動きで久樹の拘束から逃れ、距離を取る。
思わず手を伸ばしたが、あと数センチのところで、届かなかった。
伏せていた目を上げて、唯花は苦い笑みを浮かべる。
「ありがとう、久樹くん。そんなに想ってもらえるのは嬉しい──けど、やっぱり私じゃダメだよ。久樹くんはちゃんと、皆が納得する人と結婚しないといけない。それが役目なんだって、本当はわかってるでしょ」
聞き分けの悪い子供に言い聞かせるような口調は、わざとだろうか。故意に姉のようにふるまうことで、男女の出来事は無かったことにしようと……?
それが、唯花が思う「久樹のため」なのだろうとは伝わってきた。伝わるだけに、彼女が二度と口にしないでいようとしている想いが察せられて、耐え難かった。
「ゆい、か」
彼女を呼ぶ声がかすれている。それほどに息を詰めていたのだと、久樹は今になって気づいた。
唯花はもう一度目を伏せ、ふたたび上げた。部屋の照明を反射したのは瞳だろうか──それとも涙だろうか。
「責任なんか、感じなくていいよ。私も同じだから」
その言葉に、心に重い石を乗せられたような心地になる。あえてそう表現したのか、ある程度は本心なのか……久樹の求婚を、責任のなせる業だと唯花は言ったのだ。
そして、唯花自身にも責任はあるから、気にしなくていいと。
とっさに、言い返すことができなかった。彼女の言う「責任」をまったく感じていないか、と問われれば、そうとは言い切れなかったから。