月へとのばす指
「どうして、藤城さんが中崎で働いてるんですか」
「ああ……」
と受けた後、久樹は頭をかいた。ひどくバツ悪げに口を引き結んで。
「親父に、勘当されて」
「──えっ!?」
跡取り候補が勘当とは、いったい何をしたのか。仕事でよほどの失敗でもしたのだろうか。そんなふうに唯花が考えを巡らせていると。
「ていうのは大げさか、ごめん。武者修行してこいって言われて、出向扱い」
「武者修行……?」
ぼんやりとした口調で繰り返した唯花に、久樹は「そう」と相づちを打つ。
「中崎製パンはうちと提携してるだろ。優秀な営業を回してほしいって話を親父が耳にして、おまえが行ってこいって先月いきなり。で、本社で研修中にこっちの営業が一人、病気で休職するから代わりをって話で、また回されて」
軽く笑って、久樹は経緯を説明した。だがそうなった理由がつかめない。
「どうして、藤城のおじさん……社長はそんなこと」
「惚れた女一人の説得もできないような奴は、しばらく外で鍛え直してこいってさ。親父いわく」
困ったような、それでいて清々しいような口調で、久樹は父親の口ぶりを真似した。聞かされた唯花の方は、一瞬きょとんとした後、うろたえる。
「……何、ですか。それってどういう」
「言われた時は、ちょっと腹も立ったけど。けど親父なりに自由にしてくれたんだと思う」
わざと外に出すことで、会社を背負う必要が絶対ではないことを、示してくれた。久樹が続けた言葉に、唯花は息を飲む。
「もともと、後を継げって強制されてたわけじゃなかった。でも子供の時から祖父さんや親父を見てきたから、できるなら俺が会社を支えよう、将来を守ろうって気持ちはあったんだ。……けど親父が言うには、人生それだけじゃないって」
すでに、唯花の実家の前には着いている。だが久樹の話は続いていた。穏やかな声が静かな住宅街に流れていく。
「『会社を支えるのもいいが、大切な人を支えるのも充分に意味があるだろう。おまえが本当にやりたいこと、おまえにしかできないことは何だ?』って聞かれて──あらためて思った。俺は、君と一緒にいたいって」
唯花、と呼びかける声が、穏やかな中に熱をはらむ。
「こうやって会えたのが偶然か、親父にはわかってたことなのか、それはどうでもいい。けど、次に会った時には絶対、言おうと思ってたことがあるんだ。聞いてくれる?」