月へとのばす指
「…………なんですか?」
硬い声が出た。向かい合った状態で、こちらを見下ろす視線の強さに知らず背筋が伸びる。
「俺は、絶対に、君をあきらめたりしない」
静かでいて力のこもった言葉が、唯花の体を包む。
「たとえ君に嫌いだと言われても、俺は君が好きだ。だから何度でも会いに来る」
真剣なまなざしを外さないままに右手をつかまれ、びくりとした。大きな手がすくい上げた唯花の手に、久樹の顔が近づく。
指の関節に触れた、ひやりとした唇の感触に、心臓がはっきりと音を立てた。
「っ……藤城さん」
「名前で呼んでくれないか。あの時みたいに」
「……久樹、くん?」
こくりと頷いた久樹が嬉しそうな笑みを見せる。
「ありがとう。明日も、会社の前で待ってていいかな」
仮に断っても、彼はきっと待っているだろう。そう考え、逡巡しつつも唯花はうなずいた。
「近いうちに、君のご両親と話をさせてほしい」
「え」
その時、実家の玄関扉が開く音がした。
今日は休みだった父親の、出てくる気配と声。
「唯花か? おかえり……おや?」
「ただいまお父さん、あの」
「こんばんは、唯花さんのお父さん。藤城の、久樹です」
「ああ、やっぱり──どうしてここに?」
「それは後日お話しします。先日は弟のためにありがとうございました。では本日は失礼します」
「いや、そんなことは……唯花?」
頭を下げて去っていく久樹の後ろ姿を追った後、父親は首を傾げる。目線で、当然の流れとして娘に説明を求めた父親に、唯花は苦笑いを向けた。
「後で説明する。私もさっき会ってびっくりしたの、……」
父親に話しかけながら、唯花は久樹に言われたこと、そして彼の表情を、頭の中で反芻していた。
久樹は本当に、あきらめるつもりはないらしい──懸命にやっていた仕事から外される結果になったのに、あんな清々しい口調で、穏やかな顔つきで彼は言ったのだ。
仕事より、家より、唯花の近くにいることを選びたいと。
それほどの想いを、いくらか重く感じはしても、ほだされない女性はたぶんいないだろう。
実際、唯花は思っていた──確信に近い気持ちで。
いつまで生きられるかわからないのは変わりない。その残りの日々を、ほぼ確実に、久樹と生きていくことになるのだろうと。
- 終 -