わたしが悪役令嬢になった日
 今日発売の新刊小説『マチルダの愛』。
 貴族の子息子女が集まる学園を舞台に、元悪役令嬢のマチルダが、これまでの自分の行いを改め、本来の主人公であるヒロインのカナリアの恋愛を応援しつつ、玉の輿を目指す話。

『マチルダの愛』は外伝であり、原作は『カナリアのさえずり』という小説である。
 ヒロインのカナリアが、同級生の王子や学園の後輩である騎士団長の息子、元魔術師の教師などと好感度を高めつつ、学園の卒業パーティーで共に踊るパートナーを探す物語。

 この世界では、学園の卒業パーティーで共に踊った相手が、そのまま婚約者となり、その後、結婚相手となる。
 貴族の子女たちは、家や自分のために、少しでも良い家柄の男子学生をパートナーにしようと躍起になっていた。

 ヒロインのカナリアも、最初は侯爵である父親の命令で、良い家柄の男子学生に近づこうとするが、次第に自分の本当の気持ちに気づくようになる。
 やがて、父親の命令ではなく、自分が本当に想いを寄せる相手を探していくことになるのだった。

 そんなカナリアの邪魔をするのが、悪役令嬢のマチルダであった。
 マチルダに妨害されつつも、力強く生きていこうとするカナリアの姿に、やがてマチルダ自身も影響を受けて改心していく。

 そんな改心後のマチルダを主人公にしたのが、外伝である『マチルダの愛』であった。
 原作には書かれなかったマチルダの努力家な裏の顔や、実はドジっ子だった一面など、新たなマチルダが見れると話題になり、新規のファンも多く増えた。

 わたしが働いている書店の女性店員の中にも、大の『マチルダ』ファンがいる。
 わたしも彼女に勧められて、外伝と原作どちらも読んだ。
 今風の内容で面白いとは思うが、自分の好みとは微妙に違っており、そこまで好きにはなれなかった。

「すみません。さっき購入したこの本なんですが、店舗特典が付いていなくて……」

 その時、仕事帰りと思しきスーツ姿の女性がレジにやって来ると、書店のショップ袋から本を取り出しながら話し始める。本の表紙には会計時に店で付けたブックカバーが巻かれており、どの本かまでは分からなかった。

「失礼いたしました。すぐに確認いたします。……ここは自分が」
「よろしくお願いします」

 そうして男性アルバイトにレジを任せて事務室に戻ると、タイムカードを打刻して、荷物をまとめる。その時、社員の一人が社用の携帯電話で話しながら、事務室に入って来たのだった。

「はい。はい……。本日発売の小説ですね……。店舗特典が付属していなかったと本社のお客様センターに連絡が……。確認いたしますので、書名をお願いいたします……」

 気になったわたしが盗み見すると、社員は座る間もなくパソコンで何かを確認しているようだった。

「はい。確かに、本日店頭にて販売を開始しています。店舗特典として、ショートストーリーのペーパーが付属しております。あっ……出版社では2種類の店舗特典のうち、どちらかを配布していることになっているのですね。うちで配布しているのは、ショートストーリーBで、タイトルにお茶会が入っている……」

 社員はバックヤードを確認しに行ったのか、電話で話しながら事務室を出て行ってしまう。近くに座っていた休憩中と思しき女性アルバイトと目が合うと、お互いに首を傾げたのだった。

「何かあったんでしょうか……?」
「全部知っているわけではありませんが、さっきから似たような問い合わせがレジや電話であったみたいです。出版社や印刷会社の手違いでしょうか……?」

 わたしたち書店員も全ての新刊本と、それに付属する出版社や店舗特典を知っているわけではないので、たまにこうして購入後に客からの問い合わせで特典について知ることがある。店舗側で配布を忘れていることもあれば、出版社の案内や印刷会社の搬入ミスということもあるので、何が原因かは一概に分からなかった。

「明日来たら分かりますよね?」
「そうですね。さっきの社員さんの様子だと、明日までには判明しそうです」

 どのみち特典の配布にミスがあった以上、明日からは問い合わせや対応で忙しくなりそうだった。嫌なことを考えて気分が重くなる。
 レジに戻るというアルバイトと別れると、書店を後にしたのだった。



 店から出ると、外はすっかり夕暮れ時であった。

(帰って作るのは面倒だし、夕食は買って帰ろう……)

 そして近くのスーパーに行って、値下がりになっていた唐揚げ弁当を買うと、そのまま帰路に着く。
 たまにはもっと違うものを食べたいと思いつつ、フリーターの身であまり贅沢は出来ない。値下がりの弁当や惣菜を買うたびに、早く正社員になりたいと考えてしまい、つい溜め息が漏れてしまう。

(自宅に戻ったら、夕食を食べながらひと昔前に流行った恋愛小説でも読もう……)

 そんなことを考えながら店を出た時だった、

「危ない!!」

 どこからか声が聞こえてきたので振り返ると、スーパーの駐車場から飛び出してきた車が目の前にあった。
 アクセルとブレーキを踏み間違えたのだろうか、咄嗟のことで避けきれずに車に突き飛ばされる。
 何も考える間もなく、どこかに叩きつけられたのを最期に、わたしの意識は途切れたのだった――。

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