人生3度目の悪役姫は物語からの退場を希望する
「……帰る、方法はないんでしょうか?」

 そんなアリアを見ながら、ヒナはぽつりとそう尋ねる。

「え?」

「私の役目、あと1回で終わるんですよね? 元の世界に帰る方法をアリア様は知りませんか?」

 ヒナは懇願するようにアリアに答えを求める。
 時渡りの乙女の小説は何度も読んだ。
 ヒロイン(ヒナ)はこの帝国で皇子様(ロイ)と結ばれて、幸せに暮らすのだ。

「ごめんなさい……知らないわ」

 ヒロインが元の世界に戻る術などあるはずもなく、帰りたいと漏らしたこともない。
 そんな話はアリアの全ての人生を浚っても出てこない。

「……そう、ですか」

 いつも明るく、元気で、今まで一度も帰りたいなんて言わなかったヒナが、震える声でそう言った。

「残念っ。今度のゲームのイベント、ゼノ様が主役でストーリーが解放される予定だったんで楽しみで」

 この世界じゃ当たり前だけど圏外だしと、明るい声でそう言ったヒナは、おやすみなさいと目を閉じた。
 そのうち規則正しい寝息が聞こえ、ヒナは夢の中に落ちる。

「……帰りたい、の?」

 アリアはヒナの寝顔を見ながら、静かにぽつりとつぶやいた。
 この世界にいきなり転移して来た彼女は、国の事情を押し付けられても涙ひとつこぼさずに聖女としての役割を果たしてきた。
 1回目の人生でも、今世でも城内で見かけるヒナは、いつだって誰かに囲まれていて、明るく元気な女の子だったし、その姿は2回目の人生で読んだ小説のヒロインそのもので。

 今世だって変わらずに基本的にヒナの隣にはロイがいるし、小説との違いなんて城内でアリアを見つけた時にヒナが楽しそうに駆けてくるくらいだと思っていた。

「……ヒナ」

 アリアはヒロインではなく親しい友人として彼女の名を呼ぶ。
 仲良くなってからはヒナは沢山の話をしてくれたけれど、一度だって寂しいとかつらいとかもう嫌だとか弱音を吐く様な言葉なんて口にしなかった。
 だからといって、彼女が辛くないわけなどないのだ。

「……ママ……パパ」

 うぅっと小さくうめいて眉根を寄せたあと、ヒナはそう寝言をつぶやいた。閉じられた瞼から涙が一粒落ちる。
 アリアはトントンッと布団の上から優しく背を叩く。するとそのままヒナはまた眠りに落ちた。

「……気づいてあげられなくて、ごめんね」

 アリアはヒナに向かってそう言葉を落とす。
 ヒナはまだ17歳。この世界ならすでに成人した女性だが、元の世界ならまだまだ大人に守られるべき存在だ。
 アリアは、帝国に嫁いで来て、過去の人生の記憶を取り戻した時膝を抱えて家族の名前をつぶやいた自分のことを思い出した。
 1度目の人生ではついぞ叶わなかった会いたくてたまらない愛する家族。
 当たり前だが、ヒナにもいるのだ。大事な家族も、親しい友人も、きっと描いていた将来の夢も、ここではなく"時渡りの乙女"の物語が存在しない、元いた彼女の世界にそれらは全部存在するのだ。

「どうすれば、いい?」

 小説や漫画の世界なら異世界転移者の主人公は当たり前に運命を受け入れて、嘆くこともなく、己に課せられた使命を全うする。
 元いた世界に帰りたいなんて望まずに。では、ヒロインが帰ることを望んだら物語はどうなってしまうのだろう?

『俺の幸せを勝手に決めるな。仮にアリアが本当に未来を知っているんだとしても、だ』

 そう言ったロイの言葉を思い出し、離縁状を突きつけられてからまともに彼の顔を見ていなかった自分にアリアはようやく気がついた。

「違う結末も、あるのかな?」

 "時渡りの乙女"の小説が存在しない世界があるように。
 ここは物語の中ではなくて、確かに今生きている現実の世界なのだから。
 そう思ったら、急にロイに会いたくなった。

「私、まだロイ様に直接離婚理由聞いてないや」

 私達はきっと、言葉が足らな過ぎるのだとアリアは苦笑する。

「"これから"を考えないと。ヒナやロイ様だけでなく、自分のためにも」

 何を伝えればいいのかは分からない。
 だけど、ロイに会いに行こうとアリアは決める。
 悪役姫にも優しい皇子様なら、離婚間際の妻であってもきっと知恵を貸してくれる気がした。
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