君を忘れてしまう前に

大嫌い




 寝返りをうつと、いつもと違うシーツの肌触りに違和感を覚えた。

 その違和感を追うように、嗅ぎ慣れた匂いがふわりと鼻孔をくすぐる。
 心地の良い香りに誘われて、わたしはゆっくりと瞼を開いた。 
 が、目の前に広がるのは見慣れた自宅の風景ではなく。
 真っ先に視界に飛び込んで来たのは、背を向けて眠る裸の男だった。

「は!?」

 どんよりと頭を覆っていた眠気を払い除け、身体を起こす。
 弾みでずるり、と布団がめくれ、ひんやりとした室内の空気が直接肌を刺激した。
 つまり、わたしも裸だったのだ。

 思わず頭を抱え、ショートカットの髪を掻き乱す。
 どうやら裸の男女がベッドで共に朝を迎えた、らしい。
 それが何を意味するのか簡単に理解できた。
 どこか他人事のように現実を受け止めているのは、わたしが何も覚えていないから。
 いやいやいや、ちょっと待て。
 何がどうしてこうなった。
 今さら、ズキズキと痛み始めた頭を使って必死に昨日の記憶を呼び起こす。

 昨日はとにかく落ち込んでいた。
 というのも、わたしが通う音楽大学で近々、大規模な学内コンサートがあり、それに出演する為の選抜試験にギリギリ合格できたわたしは昼も夜も練習に勤しんでいた。

 以前から憧れていた学内コンサートに出演できることが嬉しくて、必死で練習していたつもりだったが、連日続く先生からのダメ出しの嵐に、昨日はとうとうわたしのメンタルが木っ端微塵に砕け散ってしまったのだ。

 それを見兼ねた友人達が、たまの息抜きも必要だよ、と声を掛けてくれ、ほぼ初めての居酒屋に足を運び、慣れないお酒を次々と飲み干した。
 この辺りから記憶があやふやになって来る。

 そこから確か、酔い潰れて終電を逃してしまって。
 歩くのもままならないわたしを友人のうちの一人が支え、送るわ、なんて言ってくれた気がする。 

 ああ、そういえば。
 その友人も酔っ払っていて、わたし達は道端でハデに転んでしまったのだ。
 布団から足を出して確認すると、案の定、膝に擦り傷がある。それも両方。

 となると、今、わたしの隣で寝ているこの男は……。
 こっそりと顔を覗き見る。

 長い睫毛に真っ直ぐと伸びた鼻筋、品の良い唇。
 憎ったらしい程に整った顔立ちのこの男は、北岡(きたおか) 沙羅(さら)だ。
 大学の同期であり、友人でもあり、そして学内で超有名な人物でもある。

 弦楽器で有名なうちの大学でヴァイオリンを専攻する彼は、ぶっちぎりの成績で入試に首席合格し、学費全額免除の特待生になった。
 それだけでも凄いことなのに、名のあるドイツのヴァイオリニストに目をかけられ、日本と海外を行き来しながら大学に通っている。
 本人も才能に甘えることなく、誰よりも厳しい練習を日々積み重ねている。
 将来は世界を股にかけて活躍するであろう、音楽と努力の才能に溢れるマンなのだ。

 加えて、この整った容姿。
 学内の女生徒や、彼のコンサートを観た女の子達から熱狂的な支持を得ている。
 この間も、後輩の女の子から告白されて断る所を偶然、見かけてしまった。
 大学に入って3年目。
 何度か見たことのある光景だったので、特には驚きはしなかったが。

 こいつは、女の子を泣かせるマンでもあるのだ。
 そんな男とわたしは……。

「うわ、最悪……」

 漏れ出た言葉に、閉じたままの長いまつ毛がピクリ、と反応する。
 やばい、起こしちゃう。
 咄嗟に口元に手を当てるも、時は既に遅かった。

 ごそごそと寝返りを打ったサラは、わたしと視線が合うなり、まだとろんとしていた瞼をしっかりと見開いた。

「……は?」

 布団の端を引っ張って身体を隠すわたしと、自分の身体を交互に見る。
 そして仰向けに寝転がると、サラはつやつやとした黒髪を掻き乱した。

「うわ、最悪……」







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