君を忘れてしまう前に
「じゃ、やってみろよ。ここで。誰もいないし」
「は!? 何を……え、ここで!?」
サラは気怠げに顔を傾けた。
「ここでできないんだったら今、俺が使ってる練習室に来る? 今日はこっちで部屋取ってるし」
「は……!?」
「密室だし、防音だし? 何でもできるよ」
「何でもって!? 練習室ってそんな……そんな、変なことする場所じゃないし」
「は? 当たり前だろーが。その上で皆、色々やってんだろ」
「い、色々!? 色々ってなに!?」
「自分で考えろよ」
戸惑う私を見て、サラが眉を寄せる。
「お前は? 男が喜ぶことやるんだろ」
「待って待って、ほんとに。そういうつもりで言ったんじゃないの」
「へー、じゃあどういうつもり?」
「え、あの、自分でも分かんないけど、でも、変な意味じゃ……な、」
「ふーん」
サラがパソコンモニターに視線を向けたので、私もそちらへ視線を向ける。
そこには、私が見入っていた露出度の高い女性の画像がズラリと並んでいた。
この画像の前では、私が何を言おうとまるで説得力がない。
「で、変な意味って?」
「へ、変な意味っていうのは……! もう、とにかく彼氏にするようなことなんかサラにできる訳ないじゃん! 私達、友達な、のに、」
「やっぱバカだな、お前」
私の言葉に被せるようにしてサラが吐き捨てる。
サラからまともに怒りを向けられたのはこれが初めてだった。
「サ、サラ……?」
動揺する私の耳元にサラの唇が近付く。
「何考えてんのか知らねーけど、お前に色々される方の身にもなれよ。喜ぶ訳ねーだろーが。本気にすんな」
ぐさり、と何かが胸に刺さった音がした。
思わず胸に手を当ててみる。
当然だが、そこには何も刺さってはおらず、代わりにトクトクとはやくなった鼓動が手のひらを何度も強く押した。
「じゃーな」
サラが行ってしまう。
顔を上げると、サラの背中が遠ざかって行くところだった。
その後ろ姿は先程の視線と同様に冷たくて、それだけで今のサラがどんな表情をしているのかが想像できた。
サロンのドアが閉まり、く、と息が漏れる。
そこで初めて、呼吸が浅くなっていたことに気付いた。
明らかにサラは怒っていた。
何が、そんなにだめだったのだろうか。
学内のパソコンを使ってまで見るような内容のものではなかったものの、サラがあれだけ怒るほど、私は何かしでかしてしまったのだろうか。
サラが褒めたリカコ先生に少しでも近付きたくて、夢中でパソコンモニターを眺めている自分の姿を振り返った。
私は地味だし才能もないし、誰かに好きになって貰えるような存在でもない。
それに音楽以外のことには極めて無頓着で、繊細のせの字も知らないガサツな性格だ。
でも、恋愛くらいはする。
こうしてまともに誰かを好きになったりするのだ。
サラは知らない。
サラに冷たい言葉を浴びせられる度に、胸が壊れそうになるほど、傷付いている事も。
そしてサラが隣で笑ってくれるだけで、今まで気付けなかった幸せに気付く事も。
サラは何も知らない。
知ろうともしない。
でも私に誰かを好きになることを教えてくれたのは、他の誰でもない。サラだ。
人形のように感情がなければ良かった。
それなら、サラの言葉を真正面から受け止めずにすむ。
今みたいに泣かずに、ずっと笑っていられる。
笑って、友人関係を続けていられる。
そんな考えが思い浮かぶ辺り、私はやっぱりバカなのだろう。
例え、何度冷たい言葉を浴びせられようとも、異性として避けられようとも、サラに好きな人がいようとも。
それでも私はサラの事が好きだ。
情けないが、好きで好きで仕方がないのだ。
でも今のままじゃ、友人関係すら続けられそうに無い。
そのうち、サラの隣で笑って同じ景色を見ることも出来なくなりそうだ。
そうなるくらいなら、サラへの想いなんか捨てて忘れてしまった方がいいのかもしれない。
そして忘れてしまえば、また以前のように仲良く出来るかもしれない。
あの一件から何かが変だ。サラも私も。
大げさだが、二人の間に少しずつ積み上げられて来た何かが、跡形もなく崩れ去ってしまったような気にさえなる。
それほど、お互いにとって重大な出来事だったのだ。
やっぱり“なかったことに”なんて、簡単に出来るものではなかった。
日にちが経てば経つほど、そのことを実感する。
もう欲張らないから。
決して、異性としてサラには何も求めたりしないから。
せめて友人として、サラのそばにおいて欲しい。
そしてまた、私に笑いかけて欲しい。