君を忘れてしまう前に
顔を洗って気を取り直し、四人掛けのテーブル席に腰掛ける。
一人暮らしのサラの家を訪れる時は、いつものんびりとくつろいでいたはずが今日は超絶居心地が悪い。
目の前に置かれてあるマグカップに入ったコーヒーを見つめながら、どうしてこうなった、とひたすら自問自答を繰り返す。
向かい側に座ったサラも一言も喋らないということは、きっとわたしと同じなのだろう。
仕方がない。
お互いに何も覚えていないのだ。
何から話せば良いのか分からないし、何を聞けば良いのかも分からない。
無言の時間が刻々と過ぎる中、深く俯き溜め息をつく。
その時、胸元に赤い痕が2つ、3つ付いていることに気が付いた。
「え、ちょ、ちょっと待って。何これ……キスマーク!? こんなの恥ずかし過ぎるんだけど! 家でお母さんに見られたらどうしよう!」
「それ、俺の首見てから言ってみろよ」
ゆったりめの黒のカットソーから覗くサラの首には、キスマークがいくつも付いている。
これを付けたのは……恐らく、わたしだ。
「うわぁ、首にキスマーク付けて大学に行くなんて、あいつ痛いヤツだなって白い目で見られに行くようなもんじゃん……マジ最悪だよ…」
「俺がな」
「……あぁ、もう。見えるとこに付けちゃったのは申し訳なかったと思うよ。全然覚えてないけど、こんなの付けちゃうくらいわたし達、も……」
盛り上がってたんだね、と言いかけて口をつぐむ。
互いに顔を見合わせて、ちょっと黙ろうか、と無言の会話を交わすと再びわたし達は俯いた。
耳の奥で、仏壇のアレがチーンと鳴る。
どうして……どうして!
どうしてこうなった!
「……ファンデーション貸そうか。隠すのにちょうど良さそうだし」
「いらねーよ、そのうち消えるから」
そのうちっていつだろう。
わたしはキスマークを付けたのも付けられたのもこれが初めてだ。
幸せムードたっぷりの彼氏と彼女なら気軽に聞けるが、そんなことをこの流れで聞けそうにない。
とりあえず経験者がそのうち消える、と言っているのだ。
わたしは、そう、と返事をするしかなかった。
それにしても、サラにキスマークを付ける人なんて、何もかも揃った完璧な女の子に違いない。
どんなに可愛い女の子に言い寄られても相手にしなかったサラが、酔った勢いとはいえ、友人の一人である平凡なわたしと関係を持ってしまったのは思いもよらない出来事だっただろう。
わたしだってこの2年間、サラとは憎まれ口を叩きながらも仲良くやって来たつもりだ。
何がどうなってこうなってしまったのかは分からないが、これからどうするべきなのか既にわたしの中で答えは出ていた。
「あのさ、」
「無かったことにしよ」
同時だった。
サラは何かを言いかけて、わたしの言葉を聞くなり押し黙った。
同じようなことを言おうとしたのだろう。
特に気にもとめなかった。
「分かった」
迷いの無いサラの返事に、一先ず良かった、とわたしはホッと胸を撫で下ろした。