君を忘れてしまう前に
番外編(ある夜の二人)
「あ〜食べた」
空っぽのピザケースを眺めながら、ソファの背もたれにぼすっと身体を預ける。
両手を上げてうんと伸びをすると、シンプルなデザインの壁掛け時計が目に入った。
時間は9時半を過ぎたところ。
夜はまだまだ長い。
これから楽しい時間が始まる……と思いたいのは山々だが、今日も大学でたくさん練習したせいか既に眠い。
目をこすっていると、サラはグラスに炭酸水を入れて持って来てくれた。
「腹がいっぱいになったら眠くなった?」
ちょっと笑ってる気がする。
でも瞼が重くて、うん、と頷き返すに留まった。
サラは慣れた手つきで空っぽになったピザケースや、サラダのドレッシングが残ったプラスチックのお皿をまとめてゴミ箱に捨てに行った。
サラの家はいつ来ても快適だ。
何にもしなくてもご飯もおやつも出てくる。
温かいお風呂もふかふかのベッドも。
ベッドも……。
ベッド……。
「サラ、ごめん。ちょっと今日はもう眠いかも……」
「今日頑張ってたもんな。風呂入れて来よっか?」
「そうだね、ありがとう。サラも練習頑張ってたのに私だけ……何かいつもごめんね」
「いいよ。俺、仁花が隣にいてくれるだけで幸せだから」
思わず、「え」と小さな声が漏れた。
ソファからくるりと後ろを振り返り、サラを見やる。
サラはリビングの扉のドアノブに手を伸ばしていた。
「サラ、そんなこと思ってくれてたの……?」
「こっち見んなばか」
「ちょっと待ってよ、さっきのほんと?」
「風呂入れてくる」
「やだ。こっちに来て、まだ入りたくない」
「眠いんじゃねーの?」
「眠くない。こっちに来て、お願い」
サラは軽く溜め息をつき、開きかけていたリビングの扉を閉めて私の隣に座った。
「何でそんなに離れてるの? もうちょっとこっちに来てよ」
サラの着ている黒いトレーナーの裾を引っ張る。
「甘えんぼめ」
見慣れた意地悪な笑みを浮かべながら、サラは私を押し倒すようにソファの上に寝かせた。
それから私の上に跨がって、両脇に手を突っ込む。
「ちょっと、サラ、くすぐったい〜! やめてよ!」
「油断してる方が悪い」
「あはは、やめてよ! くすぐったい! トイレに行きたくなっちゃうからほんとだめ!」
「ここですれば?」
「何言ってんの、ほんとやめて〜!」
「仁花ならいいよ。見せて」
「変態〜! ばかばか!」
サラの両腕を掴んで抗議すると、サラはようやく手を止めてくれた。
私の顔を覗き込みながら、けらけらと声を出しながら笑っている。
「やっぱり意地悪だ……」
「いつも優しいだけの男は退屈だろ」
「それ誰かに言われたの?」
「仁花のこと見てて思った」
「私のこと?」
「そう。すげー見てるよ、俺。仁花自身が知らないところまで。でもまだ全部見れてない」
サラは私の着ているセーターの中にするりと手を入れた。
「手、入ってるよ!」
「入れたんだよ」
「今からするの?」
「ちょっと黙って」
待って、という言葉は、サラの唇に飲み込まれてしまった。
唇同士が重なっただけでどうしてこんなに気持ちがいいんだろう。
サラの顔が見たくて知らずに閉じていた瞼を少し開けると、綺麗に片付けられたテーブルが視界の端に映った。
いつもサラには甘やかして貰っている。
きっと今からもっと甘やかして貰うのだろう。
それこそどろどろになって溶けてしまいそうなほど。
それで、いつもサラには何も返せずに終わってしまう。
これだけわがままな私のこと、いつか嫌いになったりしないのだろうか。
サラをぎゅっと抱きしめると、サラは唇を離して私の首筋に顔を埋めた。
「好きだよ。死ぬまで一緒にいたい」
私の願望が口から出てしまったのだろうかと一瞬、疑った。
首にピリッと痛みが走る。
これはキスマークを付けられた時の痛みだ。
「わ、私もだよ。大好き」
顔を上げたサラの首に唇を這わせる。
この人を私のものにしたい。
ずっと死ぬまで、私のものにしたい。
絶対に離したくない。
例え、私のことを嫌いになったって。
お互いに見つめ合って、今度は深く口付け合う。
夜はまだまだこれからだ。
眠気はいつの間にか消え去っていた。