婚約破棄前提の溺愛同居生活でイケメン副社長と××をお試し中です
第4話 呼び捨て!?
〇高級マンション最上階、創一郎の家の寝室(夜)
広すぎる寝室でひとり、行ったり来たりうろうろ動いている花。
手首足首にゴムが入っていて、動きやすさとしては抜群な薄いグレーのスウェット上下を身につけている。
花(寝室で人を待つ時って、何をしながら待つのが正解?)
ようやく立ち止まった花は手をギュッと握りしめ、悩み過ぎて顔はうっすらと赤く額に汗が滲んでいた。
花(どうして私、相澤さんにベッドを一緒に使わせてくださいなんて大胆な事を言ってしまったんだろう!?)
チラ、とベッドに視線を向ける。
花(ベッドが大きくてよかった。これってクィーン、それともキングサイズ?)
花はそっとベッドに手を触れた後、ちょこんと端の方に座った。
次の瞬間、ガチャ、とドアの開く音して花は全身がビクゥッと飛び跳ねそうになる。
ドアの方へ視線を向けた花の顔が、ますます赤くなった。
花(相澤さん、なんか色気が凄すぎます……ッ)
寝室に入ってきた創一郎の髪は、湯あがりでまだ濡れている。
上気してうっすらと赤い創一郎の頬が、なんとも言えない色気を醸し出していた。
創一郎が着ているのは全体的に紺を基調としたパジャマ。
高級品に疎い花でも創一郎が着ているパジャマの生地が明らかに上質なのが分かった。
創一郎「先に寝ててもよかったのに」
創一郎は花と少し距離をあけてベッドに座ったが、花のところまでベッドの沈む感触が微かに伝わってきた。
花の心臓がドキッと跳ねる。
創一郎「起きてるなら、少し見てもらってもいいかな」
花に見せた創一郎のスマホ画面には、ベッドの写真が表示されていた。
創一郎「このあたり花さん用のベッドにどうかなと思ってるんだけど」
少し創一郎の方へ身体を寄せ、スマホの画面を見る花。
花(ゎぁ、素敵なベッド)
緩やかな曲線のデザインが美しいベッドや、高級感のあるモダンなベッドなど、画面にはオシャレなベッドの写真が並んでいた。
だがその値段に気付いた花は目を大きく見開いてしまう。
花(値段の桁が違うっ)
泣きそうな表情で創一郎の顔を見上げる花。
花「相澤さん、私やっぱり婚約のフリは続けられません……」
創一郎「ぇ、どうして?」
花「こんな風にお金を使ってもらうの、申し訳ないです」
創一郎は困ったような笑みを浮かべた。
創一郎「女性からの誘いを断れるようになるから、婚約は俺の方にもメリットがあるけど?」
花「それでも私の方が、してもらってる事が多すぎます」
創一郎「花さんは、もっと人に甘えていいのに」
無言で俯き、ゆっくりと首を横に振る花。
創一郎「んー、それじゃ、俺が花さんにもうひとつお願い事をすれば負い目を感じなくなるかな?」
花「お願い事、ですか?」
創一郎「そう、会社で扱う商品のモニターを何回かお願いしたい」
花(そういえば会議で感想をって、ネグさんが言ってた)
創一郎はベッドのサイドテーブルへ手を伸ばすと、薔薇の花の形をした薄ピンク色の小さなケースを取り出した。
創一郎「女性向けの物が多いので、花さんの意見をいただけると凄く助かります」
花「私でお役に立てるなら……」
創一郎が蓋を開ける。
一見すると固形のヘアワックスのような中身。
花「これは……何でしょう?」
創一郎「練り香水です。使った事は無い?」
花「初めて見ました」
創一郎「初めてか……少しの間、動かないで」
創一郎は指の腹で練り香水の表面を撫でると、その指で花の耳の後ろに触れた。
花の耳の裏側を、つーっと創一郎の指が滑っていく。
花「ッ!」
普段、他の人が触れない場所を刺激され、花の身体がビクッと震える。
創一郎「香りとか、どんな感じ?」
花「ぇ、と。ふわっと広がるほんのり甘い匂いが心地いいです」
創一郎「ありがとう。今後も俺がお願いした時こんな風に商品を使って感想を教えてほしい。できそうかな?」
花「はい。こんな感じでよければ、ですけど」
創一郎は満足そうに微笑んだ。
創一郎「凄く助かるよ。だからこれからも俺の婚約者でいてくれる?」
花「でも……さすがにさっき見せてくれた高級ベッドはもらえません」
創一郎「花さんがいらないならベッドは買わないようにする。それでいい?」
コクン、と花が頷く。
花(安い布団を探して自分で買おう)
創一郎「ねぇ、花さん。わかってる?」
花「ぇ?」
トサ、と花はベッドに押し倒された。
創一郎「ベッドを買わないって事は、毎日俺と一緒にここで寝るんだよ」
花「まぃっ!?ぇ、ゎわた、ふと、かぉ」
『私布団を買おうと思っています』と言いたい花だが、今までの人生で一番動揺していてろれつが回らない。
花に覆い被さり上から見下ろしている創一郎が、ふ、と小さく笑った。
創一郎「大丈夫だよ。未成年に手を出したりしないから、安心して」
花(そ、そっか、相澤さんみたいな大人の男性にとって私は女性というより子どもですよね)
そう考える花だが、心臓の鼓動は激しいまま。
創一郎「俺も、匂い知りたい」
創一郎は花の耳に鼻を寄せると、スンスンと匂いを嗅いだ。
恥ずかしさのあまり花の顔はこれ以上無いくらい赤くなる。
花「ぁ、相澤さん、少し苦しいです」
花(胸が……、ドキドキし過ぎて苦しいっ)
創一郎「ぁぁ、ごめん」
花に覆い被さっていた創一郎が移動して、花のすぐ隣で横になった。
そして自分に背中を向けさせる感じで花の身体を横向きにすると、うしろからふわッと抱きしめた創一郎。
創一郎「これなら苦しくないよね」
花(苦しくないけど、恥ずかしい……ッ)
相変わらず創一郎はスンスン花の匂いを嗅いでいる。
創一郎「いい匂い。このまま抱きしめて寝たらいい夢見られそう」
花(もはや子ども扱いどころか、抱き枕扱い!?)
創一郎は手を伸ばしリモコンを操作して照明をおとした。
創一郎「おやすみ、花さん」
花「ぉ、おやすみなさい」
花(ドキドキして眠れないよぅ……ぁれ、でも……)
創一郎の腕の中で緊張しながらギュッと目を瞑っていた花だが、だんだん身体の力が抜けてくる。
花(相澤さんに抱きしめられてると、ドキドキするけど安心、する……?)
すぅー……、と聞こえてくる花の寝息。
目を開けた創一郎は、ムク、と上半身を起こしてベッドに座った。
花の寝顔を見下ろした創一郎が苦笑する。
創一郎「手を出したいのに出せないなんて、ちょっとした拷問だな」
〇表参道駅近くの通り沿い(日曜日の昼間)
デート中のような雰囲気で並んで歩いている創一郎と花。
創一郎は購入した食器の入った上品な手提げ紙袋を持っている。
そんな創一郎に対して、恐縮したような表情で花が話しかけていた。
花「色々と揃えていただいて申し訳ありません」
創一郎「いいんだよ。ちょうど俺もマグカップとか買い替えたいと思ってたから」
創一郎は立ち止まると、マグカップの入った紙袋を軽く持ち上げた。
花(マグカップだけじゃなくお箸やお茶碗、それに『Az』の服まで……)
『Az』のショップで今着ている服を買った時の事を頭に浮かべる花。
創一郎「ペアで食器を揃えるなんて、初めてだよ俺」
花「そうなんですか……」
花(今までの彼女さんとは、そういう事しなかったんだ……)
創一郎「そういえばさっきのお店で、新婚だと思われてたね俺たち」
花「ッ!」
食器を扱うショップの店員に、新婚さんですか、と聞かれた事を思い出して顔が赤くなる花。
ブブブブ……と自分のジャケットのポケットから発せられたスマホの振動音に、創一郎が反応する。
創一郎「ごめん花さん、仕事の電話だ。緊急かもしれないから出てもいい?」
花「もちろんです。どうぞ」
花(仕事の話なら、あんまりそばで聞かない方がいいよね)
ススス……、と花はスマホで話している創一郎から距離を置く。
勇太「あれ、花じゃね?」
名前を呼ばれ、花は声のした方へ振り向く。
勇太「うっわー、こんな所で会えると思わなかった」
近付いてきたのは、高校のクラスメイトの鈴木勇太。
軽く目にかかるふわりとした栗色の髪の毛が印象的な勇太は学校で一番モテていて女子の間で大人気だが、明るい性格で男子の友人も多い。
背は創一郎よりもほんの少し低いが、それでもモデルのように高くスタイルがいい。
勇太「買い物?」
花「うん。勇太君も?」
勇太「俺はバイト、この先のカフェで」
にかッと太陽のような笑みを花に向ける勇太。
勇太「夏休みに少しだけでいいからって知り合いに頼まれてさ。受験生なのに何やってんだよって感じだよな」
花「がんばっててすごいよ。ぁ、それじゃ明日からの補習は来ないの?」
勇太「行く。無料で自由参加の割に塾の夏期講習なみの授業してくれるからお得だし」
チラ、と花の顔を見た勇太。
その頬はほんの微かにだが赤くなっている。
勇太「それに、花も来るだろ?」
花「うん」
勇太「明日……補習終わったら少し遊んでから帰らねぇ?」
花「明日?」
勇太「忙しい?いつも学校終わると急いで帰ってるもんな」
花(いつも家事をしないと怒られるから、早く帰ってたけど……)
創一郎の姿を思い浮かべる花。
花(相澤さん、私が料理したら喜んでくれるかな。でも勝手に作ったら迷惑かも……)
花「大丈夫かどうか、後で確認してみるね」
勇太「明日が無理なら、他の日でもいいから」
花「うん、わかった」
花(学校帰りに友達と遊ぶなんて、高校に入ってから初めてだ……)
友人との何気ないやり取りが嬉しくて、花は純粋に感動している。
花との約束に満足そうな表情をした勇太が、ん、と何かに気付いたような顔になった。
勇太「あれ花、なんかいい匂いじゃね?」
花「ぁ、香水かも……」
花(出かける前に、相澤さんがつけてくれたから)
創一郎の指が自分の耳に触れたシーンを思い出してしまい、花の頬が赤くなる。
それと同時に勇太が花の首の近くに顔を近付け、スン……と匂いを嗅いだ。
勇太「すっげ。いい匂い」
花「ひゃ!?」
勇太から引き離すかのように、花の身体が突然うしろから抱きしめられた。
創一郎「花さんお待たせ。そちらの方は知り合い?」
花「ぁ、相澤さん……勇太君は高校で、同じクラスなんです」
創一郎「そうなんだ。花さんの婚約者の相澤です。よろしく」
勇太「ぇ、婚約、花が……!?」
驚愕した表情で花と創一郎を見つめる勇太。
「花?」と呼び捨てにされた事に眉を寄せる創一郎。
創一郎「それじゃ、行こうか」
花の肩を抱き寄せるようにして、創一郎は勇太に背を向けて歩き出した。
〇高級マンション最上階、創一郎の家の玄関(帰宅直後)
花を壁ドンした創一郎が、花の耳元で囁いている。
創一郎「ねぇ、花さん。さっきの男……勇太君だっけ?こんな風に近付いていたのはどうして?」
花(相澤さんの息がかかって、くすぐったい……ッ)
耳元で囁かれた花は身体がゾクゾクしてしまう。
創一郎「もしかして彼氏だったりするのかな?答えて、花」
花(ぇ、いま『花』って……)
花の首元から顔を上げた創一郎にまっすぐ見つめられ、花の胸がドキッと跳ねる。
花「ゅ、勇太君は、ただ単に香水の匂いが気になったみたいで……」
創一郎「彼氏ではないってこと?」
花「彼氏じゃありませんっ」
否定しようと首を横に振る花。
花(私なんかが彼女だなんて思われたら、勇太君に申し訳ない)
ホッと創一郎が小さく息を吐いた。
創一郎「花は高校生だから、香水をつけるのは家にいる時だけにしよう」
花「わかりました。香水を使うのは、相澤さんとふたりきりの時だけですね」
創一郎「……そう、だね」
みゃーぅ、と玄関に猫のハナコがやってきた。
花「ぁ、もちろんハナコも一緒だよ、ただいま」
ハナコをかまう花の後ろ姿を眺めながら、バツが悪そうに創一郎は自分の後頭部の髪をクシャりと掴んだ。
創一郎(俺ってこんなに嫉妬深かったんだな、知らなかった……)