水縹のメロディ

3-2

 仕事がある日は一生懸命働いて、休日はピアノ教室からのオカリナで癒されよう。

 と、夏紀は思っていたけれど。

 夏紀がハレノヒカフェでのピアノを辞めた頃から、オカリナの音色は聞こえなくなった。もちろん、ピアノの音色は聞こえるけれど、合間のオカリナが全く届かない。

(どうしたんだろう……割っちゃったのかな……)

 小学生の時に作って、割ってしまったオカリナ。
 本当に優しかった音色は、いとも簡単に消えてしまった。

(もう、聴けないのかな……)

 部屋にひとりでいる時は、ずっと耳を澄ましていたけれど。
 外出する時も、いつも様子を伺ってみたけれど。

(あの夫婦に……何かあったのかな……)

 夏紀は心配したけれど、両親が何も言っていないので、木下夫妻に何かがあったとは思えなかった。

(だったら、やっぱり、オカリナが……。まぁ、いいか)

 ピアノの音を聞いているとハルを思い出してしまうので、本当はあまり聞きたくないけれど。ピアノ教室の前に住んでいる上に、明美もたまにピアノを弾いていた。ハレノヒカフェのピアノは辞めても、ピアノの音からは夏紀は離れられなかった。

 ピアノは好き。
 でも、嫌な思い出がある。
 でも、ピアノは日常で……。

「ねぇ、夏紀、あんた最近どうかしたの? ものすごい暗い顔してるけど。ピアノ辞めてから、元気ないわよ」

 リビングでテレビを見ていると、明美が心配してきた。

「別に……何もないよ。疲れてるだけ」

 夏紀の元気が無いのは、ピアノのこととは別問題。ピアノを辞めたのとオカリナが聞こえなくなったのが、たまたま同じ時期だっただけだ。

「そう……。ねぇ、夏紀、お見合いしてみない?」
「……え? なに? 急に」

 母親の口から飛び出したのは、想定外の言葉だった。

「お向かいのピアノ教室の、息子さん」
「あ──それ、先生にも言われたけど……滅多にいないんでしょ?」

 木下夫妻の息子のことは、夫妻から聞いたことはある。
 けれどその日のうちに、容子から「気にしないでね」と言われたし、あれから何もないので話は無くなったと思っていた。

「そうなんだけど……夏紀より八つ年上だって」

 夏紀は二十七なので、八つ上だったら三十五。まだまだ若くはあるけれど、人によっては、オジサン化してしまっている年齢だ。

「って、八つも上なの? 離れすぎだよ。お母さん、会ったことあるの?」

 夏紀の質問に、明美は首を横に振った。
 木下夫妻に話を聞いた時も、夏紀が見たのと同じ子供の頃の写真しか見せてもらっていないらしい。

「夏紀が心配なのよ。彼氏と別れちゃったって言うし、カフェのピアノも、楽しそうにしてたのに辞めちゃって……。良い話だと思うんだけどなぁ」
「私はお見合いなんてしないから」
「そんなこと言わないで、一回くらい会ってみたら?」
「良いよ、私は結婚相手は自分で探すから」

 絶対に運命的な出会いをしてやる、と心の中で呟きながら、夏紀は目を閉じた。
 そして脳裏に浮かんだのは──。

「運命……なのかな……」

 ハルと過ごした楽しい時間を、忘れることは出来なかった。
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