水縹のメロディ

5-6

 久々にハルが休みを取れた四月のとある日、夏紀とハルは買い物に出かけた。
 本当の新居が完成間近だったので、新しい家具や食器を見に行った。買いたいものがたくさんあったので、駅直結の大型ショッピングモールへ出た。

 目的地までは車で移動する、と夏紀は思っていたけれど。

「ちょっと遠いけど、電車が良い」
「私は良いけど、ハル、目立つよ?」

 どちらかというと田舎の地元でさえ、最近はハルを見かけて振り返る人が増えた。
 都会の人の多いところなら、ハルを知っている人もきっと多い。

「どうでもいいよ、そんなの。ナツがいれば」

 ハルは夏紀の手を取って、楽しそうにハレノヒカフェの裏口を出た。店は臨時休業にして、徹二と恵子にも休んでもらった。

 プロヴァンスの坂を下りる途中、二人の実家の前を通った。
 あいにくどちらの家族も外には居なかったけれど、木下ピアノ教室からは生徒の練習の音が聞こえていた。曲に合わせて歌うハルに、夏紀もつられて歌う。

「そうだ、新居にピアノ──無理か」
「ちょっと厳しいかもね。置けて電子ピアノかな?」
「それなら要らない。実家かカフェで良いや」

 本当にピアノが好きなんだね、と笑いながら、夏紀は歩き続けた。もちろんハルとは手を繋いでいるので彼も隣にいて、「最初は親の影響だったけど」、と複雑そうな顔をしていた。

 ショッピングモールに到着して、最初に家具を見た。
 全ての家具が何種類もあって、見ているだけで楽しくて選べない──ということにはならなかった。家がそうなら室内も、と、ベージュを基にオレンジやグリーン、プロヴァンス風のもの、夏紀とハルの意見は全く同じだった。

「外観が洋風なのに中が和風ってのもおかしいしね」
「うん。でも、それも面白いかも」

 それから二人は調理用品売り場に向かった。
 家で料理をするのは主に夏紀なので、夏紀が好きなものを選んだ。家電の性能には特にこだわらないけれど、見た目が可愛くて、フライパンは軽いほうが良い。

 初日から欲しいものをとりあえず揃えてから、夏紀とハルはアパレルショップや雑貨屋を見ながら歩いた。持ち帰る荷物はロッカーに預けたので、身動きは取りやすい。

 夏紀が商品を見ていると、

「あ──そうだ、ナツ、ごめん、ちょっと待ってて」

 ハルは何かを思い出して、どこかに行ってしまった。
 すぐに戻るだろうと思ったので特に気に留めず、夏紀はそのまま店にとどまった。欲しいものをいくつか選んで、会計を済ませてから店の外に出た。

 けれど、五分待っても十分待っても、ハルは戻ってこない。

(どこ行ったんだろう……)

 ショッピングモールのメイン通路に置いてある椅子に腰かけ、夏紀はしばらく客たちを眺めていた。親子連れ、友達と、恋人同士、みんな楽しそうだ。

 もちろん夏紀も恋人と来ていて、楽しい──はずだった。一緒に家具を見て、雑貨を見て、新居での暮らしをたくさんイメージしていた。

 夏紀の前を女の子のグループが通った。聞くつもりはなかったけれど、会話が耳に入る。

「まさかいるなんて、思わなかった!」
「だよね! やっぱりかっこいいなー、ハル!」

(ん? ハル?)

「何してたんだろう。仕事かな」
「一緒にいた人、マネージャーかな?」

(え……ハル、何してるの? 誰と……?)

 女の子たちは夏紀の前を素通りしたので、マネージャーかな、と言っているのは夏紀のことではなかったらしい。

 ハルは本当に、仕事を思い出したのかもしれない。
 でも、完璧すぎる彼に、そんなことはきっとあり得ない。

 夏紀が待ち始めて三十分ほど経った頃、遠くの方からピアノの音色が聴こえた。

(そういえば、近くに楽器屋あったっけ……。あれ、ちょっと、この曲!)

 慌てて立ちあがって楽器屋のほうに行くと、既にたくさんの人が集まってきていた。中の様子が見えなかったので誰が弾いているのかはわからないけれど。見ている人の誰も、一言も発しないので予想するしかないけれど。

 それがハルだとわかったのは、弾いていたのが二人の想い出の曲だから。

 演奏が終わると拍手が響き、ハルがもう演奏しないと分かった人たちはそれぞれ違う方へ散らばっていった。最後にハル見たさに数人残っていたけれど、居心地が悪くなったのか、どこかへ逃げた。

「ハル……ビックリしたよ。すぐ戻ると思ったのに」
「ごめん。でも、弾きたかったんだ、今日どうしても」

 ハルは近くに置いていた椅子から荷物を取った。

「ここで弾かなくても……」
「そうだけど……今日は何の日か知ってる?」
「今日? 別に何もないんじゃない?」

 夏紀が言うと、ハルは「やっぱり覚えてなかったか」と溜息をついた。

「一年前の今日だよ、俺とナツが最初に話した日」

 ハルの言葉を聞いてから、夏紀は去年のことを思い出していた。
 付き合っていた恋人にふられ、雨に打たれていたあの日。どこからか現れた青年が傘を貸してくれた。しばらく経ってから、向かいの家の長男で、ハレノヒカフェのオーナー・ハルだとわかった。

「ナツ。ごめんね、遅くなって……。一生、俺の隣に居てくれるかな」

 ハルは荷物の中から何かを出して、夏紀に見せた。
 既にプロポーズはハレノヒカフェでされているけれど、肝心なものがなかった。

「すごい、綺麗……! ありがとう、ハル!」

 それはものすごく高価そうで、夏紀はその輝きをあまり見たことはなかったけれど。
 無理してないから大丈夫、と言うハルを信じて、エンゲージリングをつけてもらった。

「なんか、照れるよ……こんなところで」
「はは。俺も」

 楽器屋の店員数名に祝福され、二人は店を出た。
 そしてすぐ向かいの壁に徹二と恵子の姿を見つけ、夏紀はハルに詰め寄った。

「ごめんね夏紀ちゃん、どうしても、見届けたかったのよ」

 夏紀とハルを尾行することは、二人が勝手に決めたらしい。
 もちろん、ずっとついて回るわけにはいかないので、ジュエリーショップの前で待ち伏せてハルを追っていた、と恵子は続けた。

 夏紀がまだ指輪をつけていなかったので、いつ渡すのかと恵子はそれとなく聞いていた。ハルも特に深く考えず、この日に渡すと笑顔で答えたらしい。

「騙されたみたいで悔しいけど──ま、いっか。二人とも、家族みたいなもんだし」
「ですよね! 僕も仕事しながら、働くっていうか、楽しくて……。オーナーも夏紀さんも、食べてください!」

 ショッピングモールのフードコートで、徹二は二人に食事を促したけれど。

「いやいや徹ちゃん、私の奢りだからね」

 尾行したお詫びに、この日の昼食は恵子が払ってくれることになった。
 夏紀とハルは落ち着いた店で食事をしたかったけれど、恵子からの申し出を断ることはできなかった。

「それで、この後は? まだ着いてくるつもり?」

 ハルが恵子と徹二に聞いた。

「ううん、そこまでしないわよ。なんなら、駅まで見に来ても良いわよ」

 恵子の言う通り、二人は食事を終えると、一緒に電車に乗った。
 それを見届けてからハルはため息をついて、夏紀の「みんなハルが好きなんだよ」という言葉に頬を染めていた。
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