Einsatz─あの日のミュージカル・スコア─
第24話 同級生の優しさ
体調は朝から優れなかったけれど、日曜日、美咲は頑張って練習に参加した。誰にも何の連絡もしていなかったし、どうしようかと迷っているうちに時間になったので、もしものときは早退するつもりで家を出た。
公民館に到着して、美咲はしばらくひとりで座っていた。メンバーが練習するのを見てから美咲もピアノに向かったけれど、途中で気分が悪くなって部屋を飛び出した。一度は練習に戻ったけれど、結局、早退した。
「美咲、大丈夫か? 明日、朝から病院行くか?」
美咲が横になっていると、航が隣に来た。送ってくれた朋之は帰っていったらしい。
「うん。あ、ちょっと待ってて」
美咲は横になっていたソファから立ち上がり一旦部屋を出た。用事を済ませて戻ってくると、航は不安そうな顔をしていた。
「もしかして……」
「赤ちゃん、できた」
翌朝、美咲は航に送ってもらって産婦人科へ行った。診察の結果、美咲は妊娠一ヶ月を過ぎていた。なかなか出来なかったので嬉しいけれど、Harmonieはしばらく休むことになる。
「俺、ひとりでも大丈夫やから、何やったら家帰るし、美咲も動けるうちに実家帰りや。向こうのほうが空気もきれいやろ?」
航はそう言ってくれたけれど、美咲は春までは残るつもりだった。Harmonieのコンサートが終わるまでは、練習に行きたかった。
家に帰って航が仕事に行ってから、美咲は朋之にLINEした。まだ午前中だったので既読はつかず、正午を少し回ってから返信があった。
『良かったな。そしたら、しばらく休むんか?』
『体調見ながらやけど、春のコンサートまでは頑張るつもり』
『春って、大丈夫なんか? 辛い時期に練習詰まるで? きぃが言うならお願いしたいけど……無理はしたらあかんで。念のために代わりを考えとくから。コンサート終わったら、休みなさい』
休みなさい、という命令がおかしくて美咲は思わず吹き出してしまった。わかりました、という返信に既読がついたのを確認してから、井庭に電話した。コンサートまで頑張るというと、やはり朋之と同じ反応をしていた。
『もしものために、誰かにピアノ練習しといてもらおか』
『あ──それ、山口君も言ってました』
美咲は誰がピアノを弾けるのかあまり知らないので、誰にお願いするのかは二人に任せることにした。本音をいうともちろん、自分が勤めたい。
井庭との電話を終わらせてから、今度は裕人にLINEした。月曜日は休みで暇だったのか、すぐに既読がついた。
『おめでとう。まぁまだこれから大変やろうけどな』
『うん。そろそろカットお願いしたいんやけど、いつ空いてる?』
『えーっとな……明後日は? 二月になったら予約増えんねん、卒業式とかバレンタインとか』
急に決まって慌てはしたけれど、美咲はHair Salon HIROの開店同時に行くことになった。航は仕事に行ってしまっていたけれど、体調は良かったので早めに家を出た。
店には美咲以外に客はいなかった。アシスタントも不在のようで、BGMだけがゆっくり流れている。そしてふと、二十年ほど前の曲だと気付く。
「懐かしいのかかってるなぁ」
「そやろ? なんか……いろいろ思い出してな」
裕人は笑いながら準備を進め、美咲をシャンプー台に誘う。
「聞いた? トモ君から」
「何を? あ──聞いた聞いた。いろいろ聞いて、ちょっと混乱した」
「いろいろ? ……待って、俺いま一個しか浮かんでないんやけど。トモ君なんか隠してたん?」
「いろいろって言っても、大きく分けたら二つやけど」
裕人が浮かんでいるのは、おそらく以前に言っていたことだ。それはもう言う必要がないと判断したので、美咲はもう一つのことを考えた。朋之が一瞬、彩加と付き合っていたという話だ。
「隠してたというか、私が知らんかっただけやと思うけど……」
裕人は低く唸りながら美咲のシャンプーを続けた。顔にタオルを掛けているので見えないけれど、裕人は顔を歪めているはずだ。
「俺は知ってるんかな? 紀伊は関係してるん?」
「ううん。直接は関係ないと思う」
「いつのこと?」
「……高校のとき。だから、私は関係ないやろ?」
「そうやなぁ……」
裕人はシャンプー台を起こし、美咲の頭を拭いた。シャンプーをしている間にアシスタントが到着したようで、ドライヤーは彼女の担当になった。
「店長、なんであんな難しい顔してるんですか?」
「ははは」
「あのな──トモ君が紀伊にいろいろ話したらしくてな。二つっていうから一個はわかったんやけど、もう一個がわからんねん」
美咲と朋之の関係は、アシスタントにも簡単に話してあるらしい。アシスタントは美咲の髪を乾かしながら考えているけれど、彩加を知らない彼女にはわかるはずがない。
ドライヤーが終わったので、裕人がハサミを持ってやってきた。今後のことを考えて、手間が少なくなるように切ってくれるらしい。
「別にあれよな──紀伊とトモ君の関係は変わらんよな? 紀伊は旦那おるしな」
「うん。さすがにそれはないよ。あの話も、あれからしてないし」
お互いに事実を打ち明けて、絆が深まった感じはあるけれど。必要以上に連絡は取っていないし、美咲はまだ一人では朋之の部屋に遊びに行っていない。
「何やろなぁ、もう一個……」
「山口君は──私に言う前置きとして、それを言ってたわ」
「前置き? なんやろ、トモ君にあとでLINEしよ」
あれかな、これかな、と言いながら裕人は美咲の髪を整える。
実家に帰っている間は連絡をくれれば出張するとか、状況次第では迎えに行っても良いとか言ってくれた。往復で一時間以上かかるので申し訳ないけれど、裕人にとっても地元なのでついでに帰省するのかもしれない。
「そういえば、前に佳樹から連絡あってな。近いうちに日本に帰ってくるんやって」
「ふぅん……」
やはりと言うべきか、それ以上の言葉は見つからない。同窓会のときにチラッと見たけれど、もう一度会って話したいと思う人ではない。
「はは、話終了やな。あ、紀伊のこと──いろいろ、黙っとこか」
「うん。もし会って、気が向いたら自分で言うわ」
公民館に到着して、美咲はしばらくひとりで座っていた。メンバーが練習するのを見てから美咲もピアノに向かったけれど、途中で気分が悪くなって部屋を飛び出した。一度は練習に戻ったけれど、結局、早退した。
「美咲、大丈夫か? 明日、朝から病院行くか?」
美咲が横になっていると、航が隣に来た。送ってくれた朋之は帰っていったらしい。
「うん。あ、ちょっと待ってて」
美咲は横になっていたソファから立ち上がり一旦部屋を出た。用事を済ませて戻ってくると、航は不安そうな顔をしていた。
「もしかして……」
「赤ちゃん、できた」
翌朝、美咲は航に送ってもらって産婦人科へ行った。診察の結果、美咲は妊娠一ヶ月を過ぎていた。なかなか出来なかったので嬉しいけれど、Harmonieはしばらく休むことになる。
「俺、ひとりでも大丈夫やから、何やったら家帰るし、美咲も動けるうちに実家帰りや。向こうのほうが空気もきれいやろ?」
航はそう言ってくれたけれど、美咲は春までは残るつもりだった。Harmonieのコンサートが終わるまでは、練習に行きたかった。
家に帰って航が仕事に行ってから、美咲は朋之にLINEした。まだ午前中だったので既読はつかず、正午を少し回ってから返信があった。
『良かったな。そしたら、しばらく休むんか?』
『体調見ながらやけど、春のコンサートまでは頑張るつもり』
『春って、大丈夫なんか? 辛い時期に練習詰まるで? きぃが言うならお願いしたいけど……無理はしたらあかんで。念のために代わりを考えとくから。コンサート終わったら、休みなさい』
休みなさい、という命令がおかしくて美咲は思わず吹き出してしまった。わかりました、という返信に既読がついたのを確認してから、井庭に電話した。コンサートまで頑張るというと、やはり朋之と同じ反応をしていた。
『もしものために、誰かにピアノ練習しといてもらおか』
『あ──それ、山口君も言ってました』
美咲は誰がピアノを弾けるのかあまり知らないので、誰にお願いするのかは二人に任せることにした。本音をいうともちろん、自分が勤めたい。
井庭との電話を終わらせてから、今度は裕人にLINEした。月曜日は休みで暇だったのか、すぐに既読がついた。
『おめでとう。まぁまだこれから大変やろうけどな』
『うん。そろそろカットお願いしたいんやけど、いつ空いてる?』
『えーっとな……明後日は? 二月になったら予約増えんねん、卒業式とかバレンタインとか』
急に決まって慌てはしたけれど、美咲はHair Salon HIROの開店同時に行くことになった。航は仕事に行ってしまっていたけれど、体調は良かったので早めに家を出た。
店には美咲以外に客はいなかった。アシスタントも不在のようで、BGMだけがゆっくり流れている。そしてふと、二十年ほど前の曲だと気付く。
「懐かしいのかかってるなぁ」
「そやろ? なんか……いろいろ思い出してな」
裕人は笑いながら準備を進め、美咲をシャンプー台に誘う。
「聞いた? トモ君から」
「何を? あ──聞いた聞いた。いろいろ聞いて、ちょっと混乱した」
「いろいろ? ……待って、俺いま一個しか浮かんでないんやけど。トモ君なんか隠してたん?」
「いろいろって言っても、大きく分けたら二つやけど」
裕人が浮かんでいるのは、おそらく以前に言っていたことだ。それはもう言う必要がないと判断したので、美咲はもう一つのことを考えた。朋之が一瞬、彩加と付き合っていたという話だ。
「隠してたというか、私が知らんかっただけやと思うけど……」
裕人は低く唸りながら美咲のシャンプーを続けた。顔にタオルを掛けているので見えないけれど、裕人は顔を歪めているはずだ。
「俺は知ってるんかな? 紀伊は関係してるん?」
「ううん。直接は関係ないと思う」
「いつのこと?」
「……高校のとき。だから、私は関係ないやろ?」
「そうやなぁ……」
裕人はシャンプー台を起こし、美咲の頭を拭いた。シャンプーをしている間にアシスタントが到着したようで、ドライヤーは彼女の担当になった。
「店長、なんであんな難しい顔してるんですか?」
「ははは」
「あのな──トモ君が紀伊にいろいろ話したらしくてな。二つっていうから一個はわかったんやけど、もう一個がわからんねん」
美咲と朋之の関係は、アシスタントにも簡単に話してあるらしい。アシスタントは美咲の髪を乾かしながら考えているけれど、彩加を知らない彼女にはわかるはずがない。
ドライヤーが終わったので、裕人がハサミを持ってやってきた。今後のことを考えて、手間が少なくなるように切ってくれるらしい。
「別にあれよな──紀伊とトモ君の関係は変わらんよな? 紀伊は旦那おるしな」
「うん。さすがにそれはないよ。あの話も、あれからしてないし」
お互いに事実を打ち明けて、絆が深まった感じはあるけれど。必要以上に連絡は取っていないし、美咲はまだ一人では朋之の部屋に遊びに行っていない。
「何やろなぁ、もう一個……」
「山口君は──私に言う前置きとして、それを言ってたわ」
「前置き? なんやろ、トモ君にあとでLINEしよ」
あれかな、これかな、と言いながら裕人は美咲の髪を整える。
実家に帰っている間は連絡をくれれば出張するとか、状況次第では迎えに行っても良いとか言ってくれた。往復で一時間以上かかるので申し訳ないけれど、裕人にとっても地元なのでついでに帰省するのかもしれない。
「そういえば、前に佳樹から連絡あってな。近いうちに日本に帰ってくるんやって」
「ふぅん……」
やはりと言うべきか、それ以上の言葉は見つからない。同窓会のときにチラッと見たけれど、もう一度会って話したいと思う人ではない。
「はは、話終了やな。あ、紀伊のこと──いろいろ、黙っとこか」
「うん。もし会って、気が向いたら自分で言うわ」