Einsatz─あの日のミュージカル・スコア─
第40話 違わない話
「え? いま何て言った?」
驚いて聞き返したのは井庭だ。
十月末の日曜日の午後、美咲はいつものように朋之に迎えに来てもらってHarmonieの練習に行った。到着してから二人で井庭に話をしに行くと、先ほどの反応だった。井庭は驚いて口を開けていた。
「私の聞き間違いか……? 結婚するって聞こえたけど」
「間違いじゃないです」
「俺ら、結婚することになりました」
秋のコンサートの帰り際、美咲が朋之に『美歌のパパになって』と言うと、彼はしばらくポカンとしていた。
『みかのぱぱ……みかの……、えっ、それ、ほんまに言ってる? 俺と、結婚してくれるってこと?』
『うん。だから今日、ギターと合わせたかった』
『それは、悪かったな……。良かった……いま運転してなくて良かった……』
エンジンをかける前に話すという美咲の判断は正解だった。朋之はよほど不安だったのか、ハンドルの上で脱力していた。
『でも、何が時間かかってたん?』
『いまの気持ちを信じて良いんかわからんかった。中学のときに好きになって、そのまま大人になって、良い思い出しかなかったから。山口君は良い人やとは思ってたけど、悪いとこは出してなかったやろうし。私も良いように見てたやろうし。あと、航のこと。美歌の養育費払ってくれてるから、どうしようか』
『それなら、話したで。俺も気になったから、会いに行ったとき言っといた』
笑顔で話す朋之に、美咲は盛大にため息をついた。それを先に知っていれば、五ヶ月も返事に悩まなかった。朋之は美咲の離婚が決まる前から、再婚のことを考えていたらしい。
『きぃ、そろそろ教えて。あ──先に出よか』
朋之は車のエンジンをかけ、出口へと向かう。
『教えるって、何を?』
『二十年前のこと。俺のことどう思ってたんか、語って。俺より記憶あるやろ?』
『それは──何やったかなぁ、忘れた、はははー!』
美咲は笑ってごまかしたけれど朋之には通用しないようで、集会の時に悪いイメージがついたところから、同じクラスになって、最近のことまで、根掘り葉掘り聞かれた。美咲が授業で伴奏をするときに楽譜のほうを見ていたのは、そのさらに向こうに朋之がいたからだともバレた。グランドピアノの譜面立ては高い位置にあるので、見上げるとちょうど立っている人の顔の高さだった。
「そうか……。おめでとう。はは、なんか心強いな。山口君と紀伊さん──このまま紀伊さんでええか? これからも頼むで、Harmonieを引っ張ってってや。篠山先生には言ったん?」
「はい。昨日、行ってきました」
美歌を連れて三人でえいこんに顔を出すと、篠山は笑顔で話しかけてきた。美歌を抱いていたのが朋之だったから余計かもしれない。
「今日はどうしたの? また美咲ちゃんに〝違う〟て言われるの?」
「いや──今日は、違わないです」
二人で再婚を決めたと話すと、篠山は泣き笑いながら祝福してくれた。美咲を知るえいこんのメンバーが寄ってきて、話を聞いて〝おめでとう〟と言ってくれた。
「結婚式はするの?」
「それはもう、二回目やからしないです。写真だけ撮って……年内に入籍かな?」
「どこに住むの? 近くやろうけど」
Harmonieの練習があるので、通える範囲でという話はしていた。今の朋之のマンションの近くは美咲には少し良くないので、思いきって江井市に戻ってくる可能性が高い。
「俺ちょうど月末でマンションの契約切れるから、しばらく実家にいてます。だから……会いやすいな?」
「大倉君が実家の近くに二号店出して、高井君も結婚して実家で暮らしてるみたいで」
「ええっ、そうなん? 一回、大倉君とこ行ってみなあかんねぇ」
「安いし、腕は良いですよ。あ、それから、ハナちゃんも結婚決まりました」
話はなかなか尽きなかったけれど、えいこんの練習が始まったので三人は一旦出た。篠山には別件で用があったので、終わる頃に戻ると約束してから不動産屋を何軒か回った。
朋之が『交際期間は無しで良いのか?』と聞いてきたので、美咲は『要らない』と答えた。
「いつも送ってもらってるし、しょっちゅう家に来てたし、付き合ってたみたいなもんやん?」
「確かに……。きぃの家族とも何回も話したしなぁ。俺の親も、きぃのこと気に入ったっぽい」
美咲と朋之は、既にお互いの両親への挨拶を済ませていた。母親同士が意気投合したようで、近いし時々お茶しましょうね、と笑っていた。
時間があったのでHair Make HIROに顔を出すと、裕人は暇そうにしていた。美咲と朋之の関係が変わったことは、まだ伝えていない。
「今日はお客さんおらんの?」
「そやねん。明日はいっぱいなんやけどな。ところで──どうなったん? 紀伊、トモ君に返事したん?」
「うん。したよ。先週かな」
具体的にどっち、とは言わなかったので、裕人は改めて朋之に質問した。朋之は答える前に笑ってしまったので裕人はすぐに答えを知った──そしてやはり、佳樹には秘密にしておこう、と三人で笑った。
夕方にえいこんに戻ると、ちょうど片付けをしているところだった。
「ごめんごめん、話って?」
「実は、ハナちゃんがまた同窓会をしよう、って言ってるんですけど、先生、当時の先生たちと連絡取れますか?」
「うーん……誰やったかはっきり覚えてないけど……取れると思うよ。あ、でも、亡くなってる先生もおるで?」
美咲と朋之は三年間で関わった先生たちをリストアップしていて、それを篠山に見せた。全員は難しいけれど、何人かは連絡が可能らしい。
「それか、今の勤務先か連絡先教えてもらえたら、こっちで連絡します」
「そうねぇ。そうしてもらおうか。同窓会に呼ぼうと思ってんの?」
「はい。できたら先生にも来てもらいたいんですけど……できたらというか、先生にお願いが──」
美咲の話を聞いて、篠山はしばらく難色を示していた。すぐには決められないので保留になって、連絡を待つことになった。
驚いて聞き返したのは井庭だ。
十月末の日曜日の午後、美咲はいつものように朋之に迎えに来てもらってHarmonieの練習に行った。到着してから二人で井庭に話をしに行くと、先ほどの反応だった。井庭は驚いて口を開けていた。
「私の聞き間違いか……? 結婚するって聞こえたけど」
「間違いじゃないです」
「俺ら、結婚することになりました」
秋のコンサートの帰り際、美咲が朋之に『美歌のパパになって』と言うと、彼はしばらくポカンとしていた。
『みかのぱぱ……みかの……、えっ、それ、ほんまに言ってる? 俺と、結婚してくれるってこと?』
『うん。だから今日、ギターと合わせたかった』
『それは、悪かったな……。良かった……いま運転してなくて良かった……』
エンジンをかける前に話すという美咲の判断は正解だった。朋之はよほど不安だったのか、ハンドルの上で脱力していた。
『でも、何が時間かかってたん?』
『いまの気持ちを信じて良いんかわからんかった。中学のときに好きになって、そのまま大人になって、良い思い出しかなかったから。山口君は良い人やとは思ってたけど、悪いとこは出してなかったやろうし。私も良いように見てたやろうし。あと、航のこと。美歌の養育費払ってくれてるから、どうしようか』
『それなら、話したで。俺も気になったから、会いに行ったとき言っといた』
笑顔で話す朋之に、美咲は盛大にため息をついた。それを先に知っていれば、五ヶ月も返事に悩まなかった。朋之は美咲の離婚が決まる前から、再婚のことを考えていたらしい。
『きぃ、そろそろ教えて。あ──先に出よか』
朋之は車のエンジンをかけ、出口へと向かう。
『教えるって、何を?』
『二十年前のこと。俺のことどう思ってたんか、語って。俺より記憶あるやろ?』
『それは──何やったかなぁ、忘れた、はははー!』
美咲は笑ってごまかしたけれど朋之には通用しないようで、集会の時に悪いイメージがついたところから、同じクラスになって、最近のことまで、根掘り葉掘り聞かれた。美咲が授業で伴奏をするときに楽譜のほうを見ていたのは、そのさらに向こうに朋之がいたからだともバレた。グランドピアノの譜面立ては高い位置にあるので、見上げるとちょうど立っている人の顔の高さだった。
「そうか……。おめでとう。はは、なんか心強いな。山口君と紀伊さん──このまま紀伊さんでええか? これからも頼むで、Harmonieを引っ張ってってや。篠山先生には言ったん?」
「はい。昨日、行ってきました」
美歌を連れて三人でえいこんに顔を出すと、篠山は笑顔で話しかけてきた。美歌を抱いていたのが朋之だったから余計かもしれない。
「今日はどうしたの? また美咲ちゃんに〝違う〟て言われるの?」
「いや──今日は、違わないです」
二人で再婚を決めたと話すと、篠山は泣き笑いながら祝福してくれた。美咲を知るえいこんのメンバーが寄ってきて、話を聞いて〝おめでとう〟と言ってくれた。
「結婚式はするの?」
「それはもう、二回目やからしないです。写真だけ撮って……年内に入籍かな?」
「どこに住むの? 近くやろうけど」
Harmonieの練習があるので、通える範囲でという話はしていた。今の朋之のマンションの近くは美咲には少し良くないので、思いきって江井市に戻ってくる可能性が高い。
「俺ちょうど月末でマンションの契約切れるから、しばらく実家にいてます。だから……会いやすいな?」
「大倉君が実家の近くに二号店出して、高井君も結婚して実家で暮らしてるみたいで」
「ええっ、そうなん? 一回、大倉君とこ行ってみなあかんねぇ」
「安いし、腕は良いですよ。あ、それから、ハナちゃんも結婚決まりました」
話はなかなか尽きなかったけれど、えいこんの練習が始まったので三人は一旦出た。篠山には別件で用があったので、終わる頃に戻ると約束してから不動産屋を何軒か回った。
朋之が『交際期間は無しで良いのか?』と聞いてきたので、美咲は『要らない』と答えた。
「いつも送ってもらってるし、しょっちゅう家に来てたし、付き合ってたみたいなもんやん?」
「確かに……。きぃの家族とも何回も話したしなぁ。俺の親も、きぃのこと気に入ったっぽい」
美咲と朋之は、既にお互いの両親への挨拶を済ませていた。母親同士が意気投合したようで、近いし時々お茶しましょうね、と笑っていた。
時間があったのでHair Make HIROに顔を出すと、裕人は暇そうにしていた。美咲と朋之の関係が変わったことは、まだ伝えていない。
「今日はお客さんおらんの?」
「そやねん。明日はいっぱいなんやけどな。ところで──どうなったん? 紀伊、トモ君に返事したん?」
「うん。したよ。先週かな」
具体的にどっち、とは言わなかったので、裕人は改めて朋之に質問した。朋之は答える前に笑ってしまったので裕人はすぐに答えを知った──そしてやはり、佳樹には秘密にしておこう、と三人で笑った。
夕方にえいこんに戻ると、ちょうど片付けをしているところだった。
「ごめんごめん、話って?」
「実は、ハナちゃんがまた同窓会をしよう、って言ってるんですけど、先生、当時の先生たちと連絡取れますか?」
「うーん……誰やったかはっきり覚えてないけど……取れると思うよ。あ、でも、亡くなってる先生もおるで?」
美咲と朋之は三年間で関わった先生たちをリストアップしていて、それを篠山に見せた。全員は難しいけれど、何人かは連絡が可能らしい。
「それか、今の勤務先か連絡先教えてもらえたら、こっちで連絡します」
「そうねぇ。そうしてもらおうか。同窓会に呼ぼうと思ってんの?」
「はい。できたら先生にも来てもらいたいんですけど……できたらというか、先生にお願いが──」
美咲の話を聞いて、篠山はしばらく難色を示していた。すぐには決められないので保留になって、連絡を待つことになった。