Einsatz─あの日のミュージカル・スコア─
第5話 旅先の思い出
Hair Salon HIROからの帰り道、美咲は旅行代理店へ寄って旅先の候補に上がっていた場所のパンフレットをいくつか取ってきた。航の仕事の都合でそれほど長くは休みが取れないので、行き先は国内に限定されている。そもそも美咲はパスポートを持っているけれど航は持っていないので、今から申請したとしても夏の旅行に間に合うはずはない。
美咲は新婚旅行は海外に行きたかったけれど、諸々の事情で北海道になった。秋に行ったのに予想外に雪が降って寒かったのと世間の事情で観光地が閑散としていたのとで残念だったけれど、それでも宿のサービスや人との出会いは良かったと思う。一日目の小樽の宿の夕食時、コース料理のデザートの後で改めて出された御祝いのケーキは、食べきれなかったので部屋に届けてもらって夜食になり。二日目の旭川では宿の好意で部屋をグレードアップしてもらい。三日目、旭川の別の宿に泊まった夜は非常に寒く、偶然訪れたおでん屋の女将は有名な写真家だったようで。最終の札幌は、テレビをつけると御祝いのメッセージが表示されていた。
旭川のおでん屋にまた行きたいな、と航と話しながらスマホで店を検索すると『閉業』と表示されていて、詳しく探すと女将は店を訪れた数ヶ月後に亡くなったらしいと記事が出ていた。
「あのおでん屋さん行きたかったなぁ」
「手伝ってたおばちゃんも面白かったよな。おでんの形のペンダントしてた」
口数が少なかったのであまり話さなかったけれど、ペンダントの話をすると少し照れていた。できればまた会いたいけれど、名前もわからないので元気なことを願うしかできない。
夏の旅先として北海道は定番、だけれど。
美咲は二十代前半の頃、友人と頻繁に行っていたけれど。
いくつものパンフレットを見た末に、旅行先は広島になった。美咲も航も何度か行ったことがあるので、ある程度のプランも立てることができた。広島には美咲の母方の祖母がいるので会いに行くことになって、航が野球を見たいと言うのでナイター観戦に行くことも行程に入れた。あとは宮島へ行って、お好み焼きを食べて、あなごめしも食べたい。
「そういえば美咲、HIROはどうやったん? なんか──いつもと感じ違うな」
言いながら航は美咲の髪を見た。今までのところも上手かったけれど、スタッフの平均年齢が高いのでスタイルはやや古い。と言うと店に失礼になるしスタッフも日々勉強しているのを美咲は知っていた。裕人の店は駅前にあるのもあって客層も若く、スタッフも美咲くらいの年代だ。
「どっちが良いと思う? 見た感じ」
「どっちでも良いんちゃう?」
「──そーですか」
航はファッションには特に拘りがないらしく、いつも同じような服装だ。美容師に任せて髪をイメチェンされても、翌朝にはワックスで固めていつもと同じような形になっている。いまは多少は気を遣っているけれど、出会ったときは数ヶ月も放置していたようで、こういう人なのか、と少し不安になった。
「行くとこ変えるん?」
「うん。上手いし、安いし……。でも、前のとこもあるし、ちょっと迷ってる」
技術が同じなら、確実に安いほうを選ぶ。料金が同じなら、技術が上手いほうを選ぶ。まだ裕人には普通のカットしかしてもらっていないので、技術で判断するのは早いかもしれない。今まで行っていた店も、顔馴染みになったので急に行かなくなるのも申し訳なく思う。
ひとつだけ確実なのは、裕人にカットしてもらう時間が嬉しかったことだ。
もちろん、彼のことは好きだったけれど今は航と結婚しているし、話はしなかったけれど裕人もおそらく結婚しているし、二人とも独身だったとして恋愛感情が──、ということはなぜか起こらなかった。
(やっぱり、二番目……やったからかな)
今の状態でまた好きになってしまったら、それはそれで問題なので良かったのだけれど。
「広島まで新幹線で行って、……レンタカー借りる? 電車で移動する?」
変な気が起きないうちに美咲は話題を旅行に戻し、パンフレットを見た。
「電車やな。美咲のおばあちゃんのとこも、バス停の近くやろ?」
「うーん……バス停から坂道上らなあかんかったような……」
美咲が大学に入った頃に祖父が他界し、しばらくしてから祖母はマンションに引っ越した。その後、成人式の振袖を作ってくれることになった時に行ったきりなので、あまり覚えていない。祖父の墓参りにも行きたいけれど、マンションから車でも数時間かかる田舎のほうにあって道も詳しくわからないので今回は断念することになった。
「時間あったら商店街でパン買いたいな。それか昼ごはん食べたい」
美咲が子供の頃に両親と広島に行ったとき、必ず立ち寄るパン屋があった。いつ行っても賑わっていて、二階のレストランでは何を食べても美味しかったことを覚えている。ネットで検索してみるとリニューアルしたようで、久しぶりに行ってみたくなった。
「帰りに直島に寄る?」
「ああ……岡山で新幹線降りて? ……無理やな、日程を倍にせなあかん」
直島は瀬戸内海にある香川県の島で、一年ほど前に突然思い立って行った。ほとんど無計画だったので時間があまり無く、知らなかった雨と世間の事情と月曜日の飲食店休日が重なって少し残念だった。おかげで一泊二日でも楽しめたけれど、思いきり楽しむには二泊したいと思った。
「どうせなら、同じとこより違うとこに行きたいな。今度は沖縄とか東北とか行ったこと無いとこ行きたい」
「そうやなぁ……。私は東北は一回だけ行ったことあるけど」
美咲が小学校六年生の夏休みの出来事になるけれど、それはまた別の話だ。
まずは目先の広島旅行について、しっかり計画を立てることにした。
美咲は新婚旅行は海外に行きたかったけれど、諸々の事情で北海道になった。秋に行ったのに予想外に雪が降って寒かったのと世間の事情で観光地が閑散としていたのとで残念だったけれど、それでも宿のサービスや人との出会いは良かったと思う。一日目の小樽の宿の夕食時、コース料理のデザートの後で改めて出された御祝いのケーキは、食べきれなかったので部屋に届けてもらって夜食になり。二日目の旭川では宿の好意で部屋をグレードアップしてもらい。三日目、旭川の別の宿に泊まった夜は非常に寒く、偶然訪れたおでん屋の女将は有名な写真家だったようで。最終の札幌は、テレビをつけると御祝いのメッセージが表示されていた。
旭川のおでん屋にまた行きたいな、と航と話しながらスマホで店を検索すると『閉業』と表示されていて、詳しく探すと女将は店を訪れた数ヶ月後に亡くなったらしいと記事が出ていた。
「あのおでん屋さん行きたかったなぁ」
「手伝ってたおばちゃんも面白かったよな。おでんの形のペンダントしてた」
口数が少なかったのであまり話さなかったけれど、ペンダントの話をすると少し照れていた。できればまた会いたいけれど、名前もわからないので元気なことを願うしかできない。
夏の旅先として北海道は定番、だけれど。
美咲は二十代前半の頃、友人と頻繁に行っていたけれど。
いくつものパンフレットを見た末に、旅行先は広島になった。美咲も航も何度か行ったことがあるので、ある程度のプランも立てることができた。広島には美咲の母方の祖母がいるので会いに行くことになって、航が野球を見たいと言うのでナイター観戦に行くことも行程に入れた。あとは宮島へ行って、お好み焼きを食べて、あなごめしも食べたい。
「そういえば美咲、HIROはどうやったん? なんか──いつもと感じ違うな」
言いながら航は美咲の髪を見た。今までのところも上手かったけれど、スタッフの平均年齢が高いのでスタイルはやや古い。と言うと店に失礼になるしスタッフも日々勉強しているのを美咲は知っていた。裕人の店は駅前にあるのもあって客層も若く、スタッフも美咲くらいの年代だ。
「どっちが良いと思う? 見た感じ」
「どっちでも良いんちゃう?」
「──そーですか」
航はファッションには特に拘りがないらしく、いつも同じような服装だ。美容師に任せて髪をイメチェンされても、翌朝にはワックスで固めていつもと同じような形になっている。いまは多少は気を遣っているけれど、出会ったときは数ヶ月も放置していたようで、こういう人なのか、と少し不安になった。
「行くとこ変えるん?」
「うん。上手いし、安いし……。でも、前のとこもあるし、ちょっと迷ってる」
技術が同じなら、確実に安いほうを選ぶ。料金が同じなら、技術が上手いほうを選ぶ。まだ裕人には普通のカットしかしてもらっていないので、技術で判断するのは早いかもしれない。今まで行っていた店も、顔馴染みになったので急に行かなくなるのも申し訳なく思う。
ひとつだけ確実なのは、裕人にカットしてもらう時間が嬉しかったことだ。
もちろん、彼のことは好きだったけれど今は航と結婚しているし、話はしなかったけれど裕人もおそらく結婚しているし、二人とも独身だったとして恋愛感情が──、ということはなぜか起こらなかった。
(やっぱり、二番目……やったからかな)
今の状態でまた好きになってしまったら、それはそれで問題なので良かったのだけれど。
「広島まで新幹線で行って、……レンタカー借りる? 電車で移動する?」
変な気が起きないうちに美咲は話題を旅行に戻し、パンフレットを見た。
「電車やな。美咲のおばあちゃんのとこも、バス停の近くやろ?」
「うーん……バス停から坂道上らなあかんかったような……」
美咲が大学に入った頃に祖父が他界し、しばらくしてから祖母はマンションに引っ越した。その後、成人式の振袖を作ってくれることになった時に行ったきりなので、あまり覚えていない。祖父の墓参りにも行きたいけれど、マンションから車でも数時間かかる田舎のほうにあって道も詳しくわからないので今回は断念することになった。
「時間あったら商店街でパン買いたいな。それか昼ごはん食べたい」
美咲が子供の頃に両親と広島に行ったとき、必ず立ち寄るパン屋があった。いつ行っても賑わっていて、二階のレストランでは何を食べても美味しかったことを覚えている。ネットで検索してみるとリニューアルしたようで、久しぶりに行ってみたくなった。
「帰りに直島に寄る?」
「ああ……岡山で新幹線降りて? ……無理やな、日程を倍にせなあかん」
直島は瀬戸内海にある香川県の島で、一年ほど前に突然思い立って行った。ほとんど無計画だったので時間があまり無く、知らなかった雨と世間の事情と月曜日の飲食店休日が重なって少し残念だった。おかげで一泊二日でも楽しめたけれど、思いきり楽しむには二泊したいと思った。
「どうせなら、同じとこより違うとこに行きたいな。今度は沖縄とか東北とか行ったこと無いとこ行きたい」
「そうやなぁ……。私は東北は一回だけ行ったことあるけど」
美咲が小学校六年生の夏休みの出来事になるけれど、それはまた別の話だ。
まずは目先の広島旅行について、しっかり計画を立てることにした。