Einsatz─あの日のミュージカル・スコア─

第8話 鹿とお好み焼き

 帰る直前に突然出た話だったので、朋之とも相談してまた連絡する、と言う裕人に見送られて美咲は店を出た。

 裕人と話したいことは、もちろんたくさんある。なので店の外で会えるのは嬉しいけれど、朋之が一緒となると事情は別だった。美咲が当時いちばん好きだったのは、朋之だったからだ。先ほど裕人が美咲に『どうだったのか』と聞いたのは、おそらく彼のことだろう。どう答えて良いのか考えているうちに、違う話になった。

 もちろん美咲は──友人には話したけれど──彼らにそんなことは何も言わなかった。よく近くの席になっていた裕人は、美咲の視線の先まで見ていたのだろうか。

 考えていても仕方ない、美咲には航という旦那が既にいる。

 家に戻って簡単に片付けをして、夕食の支度をする。暑いけれど頑張ってカレーを作り、出来上がってから航の帰りを待つ。よっぽどのことがない限り残業をしないので、十八時前後にはいつも帰ってくる。それからすぐに食べ始めて、だいたい十九時には片付けも終了だ。

「来週、雨大丈夫かな?」

 テレビで天気予報を見ながら航が呟いた。台風の予定はないけれど、広島に行く予定の頃に小さい傘マークが並んでいた。

「まだ何とも言えんなぁ……。雨のほうが涼しくて良いかも」

 広島へは、お盆の帰省と平和記念式典を避けて行くことになった。祖母は遺族ではないけれど、今年は式典に参加予定らしい。

 裕人からLINEで『たぶん週末の夜になるけどいつが空いてる?』と連絡が来ていたので旅行期間とその前後以外なら大丈夫と返信し、準備できるものから鞄に詰め始めた。同級生たちと週末に会うことは航にも簡単に話し、三人か……、と戸惑っていると裕人から『誰か一人、女の子誘って! 三人は気まずいやろ?(笑)』とLINEが来た。
 それなら一択で華子なので、美咲は作業を中断して華子に連絡した。すぐに既読になって、OKの返事が来た。

 数日のうちに広島の天気予報から傘マークは消え、旅行の間はずっと晴れだった。広島駅まで新幹線で向かい、荷物をロッカーに預けてから日傘を差して目的地へ向かう。祖母とはマンションで会う予定にしていたけれど、予定を変更して駅前の喫茶店になった。

 久しぶりに会う祖母は、少し痩せていた。それは年齢のことを考えると当然だった。体力もいくらか落ちてきているけれど、週の半分くらいは仕事をしているらしい。

「美咲ちゃんは仕事は辞めたんね?」
「うん。結婚してから辞めて……いまは専業主婦」
「ふぅん。航さんは何の仕事しよるん?」
「地元の企業で、サラリーマンしてます」

 若者がメインターゲットではない古くからある喫茶店で、BGMも穏やかなので落ち着いて話すことができた。駅前ではあるけれど昼間なので客は少ないほうだ。

 美咲と航が結婚に至った経緯や美咲の母親の近況を話し、それから祖母には広島の情報をいくつか教えてもらった。『いつも商店街のパン屋さん行ってたでしょう? 綺麗に改装しとるけぇ、行ってみんさい』と言うのでその予定だと言うと、商店街の方角を教えてくれた。

「それじゃあ、また遊びにおいでね」
「うん。ありがとう」

 祖母は買い物をして帰ると言うので喫茶店の前で別れ、美咲と航は荷物を取って宿泊先を目指した。ナイターのあとで電車移動は辛いので、スタジアムの近くを選んだ。

 ホテルにチェックインして部屋に入り、荷物はとりあえず放置してベッドにダイブした。新大阪から広島はそれほど遠くはないけれど、ずっと座っていたので体が少々痛い。

 今日はどこへ行こうか、と言う航に起こされ、必要なものだけ持ってとりあえずホテルを出た。
 時間がまだ早いので厳島神社に行くことになり、電車とフェリーを乗り継いで、降りてからは海沿いの道を右へと進んだ。大鳥居は残念ながら改修工事で見れなかったけれど。神社を含めて島をゆっくりまわり、最後に水族館へ行ってからあなごめしを食べた。もちろん、歩いていると鹿が寄ってきた──けれど、奈良の鹿と比べると大人しい気がする。

 お土産のもみじ饅頭は帰りに広島駅で買うことにして、再びフェリーと電車に揺られて広島市内へ戻る。既に日は落ちているけれどホテルに戻っても何もないので、近くの居酒屋で小腹を満たすことにした。美咲というより航のほうが、旅先で個人経営の店に入って地元の情報を聞くのが好きらしい。

 航が直感で選んだ店はそれほど大きくはなかったけれど、既に店にいた常連客たちとすぐに打ち解けた。テレビで野球をやっていたので明日は観に行く予定だと言うと、お互いの応援チームは違ったので航が「明日はこっちが負けます」と笑った。

 そして実際、航が応援しているチームは逆転敗けをしてしまい──、ホテルに戻る前に居酒屋の前を通ると前日に話した人達と一緒になったので、「おめでとうございます」と再び笑った。

 旅行最終日、広島駅で新幹線に乗る前にお土産を買った。美咲はとりあえず各実家の分と自分が食べたいもの、それから近々会う予定の同級生三人に。航は会社でばら蒔く用と、いつの間にかカープソースをカゴに入れていた。何年か前に他のメーカーがカープのイラスト付きの辛いソースを地元のスーパーで売っていたけれど、いつの間にか見かけなくなった。

 ちなみに大阪のお好み焼きは混ぜてから焼いて、広島のお好み焼きはクレープ状の生地から積み上げる。母親が広島から嫁いでいる美咲の実家では、生地は山芋たっぷりでぼってりしていて、好きな具を乗せてから生地で薄く蓋をする焼き方だ。焼き上がったものを放射線状にカットされると発狂しそうになるけれど、いまのところ美咲はそういう場面に出くわしたことはない。
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