脱走悪役令嬢には、処刑人として雇われた追手騎士に溺愛されるルートが待っていました
1,プロローグ
跳ねた泥が、ロイヤルブルーのドレスの裾を遠慮なく汚していく。
道なき道に散らばる尖った木の枝や小さな小石が、素足で走る足に無数の傷をつけて血が滲んでいたが、そんなことに構ってはいられなかった。
泥濘に何度も足をとられる度に、裾に施されたダイヤ柄の刺繍がほつれては泥にまみれ、その繊細な金糸がほどけて傷んでいく。
とにかく早く逃げなきゃ…
なるべく遠くに、できるだけ遠くに…
あの追手が放たれる前に!!!
このアバロン国を治める王の城では、今しがた地下牢から逃げ出した罪人の行方について、大した騒ぎになっていた。
「あの女を探せー!今すぐに見つけて連れ戻せ!」
黒く長い髭を蓄えた国王が、玉座から腰を浮かせて声を荒げた。
「し、しかし…この暗闇では、すぐには…」
「国王」
狼狽える家臣を制して、傍に控えていた側近が、国王にそっと呼び掛ける。
「彼をお呼び致しましょう」
うむと国王が頷いて、赤いベルベット張りの玉座にドカっと腰を下ろした。
歩く度にガシャガシャと金属の擦れる甲高い音が、国王の間へと続く長い廊下に響き渡った。
頭から足の先まで白銀の鎧で覆われた騎士が、その荘厳な大扉の前で立ち止まる。
ここへ呼ばれるのは何度目だろうか。
「入れ」
王の間の前に立つ門兵が扉を開き、持っていた槍を下ろした。
騎士は重い鎧のまま王の前に進み出ると、すぐさま膝まずき、口を開いた。
「お呼びですか?」
「おお、我が国が誇る最強の騎士であり、冷徹な処刑人よ」
「恐れ入ります」
「先刻、この城の地下牢から逃げた罪人を捕らえ、その場で即効極刑にせよ。報酬は言い値でよい」
「承知致しました。この私めにお任せ下さい」
騎士は恭しく頭を下げて見せた。
「罪人の名は令嬢ナタリー。罪名姦淫罪。我が国王の子息を誘惑し、隣国の御息女との婚約を破棄させようと働き、国家の安定を揺るがそうと画策したものとする。罰として国外追放に処す」
側近が罪人名、及び罪名を読み上げた。
「しかしながら、牢獄から脱走したとなれば、反省の意思はないと見なし、国外追放ではなく、これは死をもって償うべき大罪とする」
国王が罪を改めそう強調すると、騎士が一言だけ返事を返した。
「御意」
確かにナタリーは、結果的に国家の転覆を謀ったと思われても仕方なかった。
国王の息子であるアーロンを誘惑して、隣国の息女シャーロットとの婚約を破棄させ、次期皇后の資格を得られるであろうその妻の座に就こうとした。
ナタリーは、南方のアバロンよりずっと東にある自然豊かな国の令嬢として何不自由なく育った。
だが、急速に勢力を拡大しつつあったアバロンとの同盟を結ぶため、アバロンの次期国王であるアーロンの妃候補として、この城にやってきた。
色白の肌に、美しい茶色の波打つような長い髪、ぷっくりと膨らむ血色の良い赤い唇。
髪と同じ透き通るような茶色の少し勝ち気な瞳。
それは隣国の息女シャーロットよりも見目麗しく、誰もが羨む容姿の持ち主であった。
しかし、アバロン国王は弱小国家である東国ではなく、物流が盛んな隣国との結束を強めることを選び、先に妃候補となっていたナタリーではなく、ナタリーより五つも歳下のシャーロットを正式な妃として迎え入れようとしたのだ。
母国の名誉と国家安寧のため、ナタリーはその美しい容姿を使い、アーロンを誘惑した。
ナタリーの策略により、あっさりと誘惑に負けたアーロンはナタリーにどっぷりと陶酔したものの、それを知った国王は怒り狂い、婚約者がある身で不貞を働いた息子アーロンではなく、ナタリーだけを断罪したのである。
「…なんっで、私がっ……はっ…っ…」
牢獄を脱走してからもうどれほど走ってきたのか、息は切れ切れになり、乾燥で喉がはりついている。
喉が渇いた。
もちろん飲み水など持っているはずもない。
一旦立ち止まってしまうと、傷だらけの足がズキズキと痛んだ。
ホントに何でこんなことに…
仕事でミスをして落ち込んで、会社から一人でとぼとぼと帰った。
化粧を落とすことも忘れて、ベッドに横たわったままいつの間にか眠りに落ちていた。
そしてふと目覚めると、もうそこはこのアバロン国の牢獄の中だった。
ファンタジー小説や漫画が好きな、ただの会社員でしかない私が、何故こんな目に遭っているのか。
いくらこのストーリーが好きで、何度も読んでいるとは言え、自分が小説の中に入りたいだなんて願ってもなかった。
しかも!幸せな結末を迎える主人公シャーロットじゃなくて、処刑ルートしかない悪役令嬢ナタリーだなんて聞いてない!!!
原作に描かれることはなかった、極刑を命じられた悪役令嬢の末路。
小説ではたったの数行だけだった。
隣国から迎え入れられたシャーロットを欺き、婚約者である現国王の子息を誘惑し、惑わし寝取った疑いで国外追放。
後に国王の指示で、追放されたナタリーへは処刑人として追手が放たれ、彼女はその処刑人によって国内の森のどこかで命を絶たれた。
その後アーロンとシャーロットは無事に結ばれ、ハッピーエンドを迎える。
このナタリーの処刑を命じられたのが、このアバロン王国に仕える最強の騎士。
別名、アバロンの死神。
国王軍を率いる将として、幾度となく大局戦を勝利に導いてきた屈強な騎士。
口の堅い寡黙な男としても知られ、国王の確固たる信頼を得て、秘密裏に罪人の処刑をも一任されている。
これまで処刑執行した人数は数知れず。
というのが、原作内で得られる追手の情報の全てだった。
国外追放され、挙げ句そのまま追手に処刑されると分かっていて、黙って投獄されているわけにはいかないじゃない!
ナタリーはその美しい容姿を利用し、牢獄の見張りをうまく丸め込み、脱走を図ったのだ。
せめて、ストーリー序盤から転生させてくれれば、まだ処刑を回避する術もあったものの…
何故、牢獄で目覚めるところからの転生なのよーーー?!
なんならもうクライマックスじゃない!!
道なき道に散らばる尖った木の枝や小さな小石が、素足で走る足に無数の傷をつけて血が滲んでいたが、そんなことに構ってはいられなかった。
泥濘に何度も足をとられる度に、裾に施されたダイヤ柄の刺繍がほつれては泥にまみれ、その繊細な金糸がほどけて傷んでいく。
とにかく早く逃げなきゃ…
なるべく遠くに、できるだけ遠くに…
あの追手が放たれる前に!!!
このアバロン国を治める王の城では、今しがた地下牢から逃げ出した罪人の行方について、大した騒ぎになっていた。
「あの女を探せー!今すぐに見つけて連れ戻せ!」
黒く長い髭を蓄えた国王が、玉座から腰を浮かせて声を荒げた。
「し、しかし…この暗闇では、すぐには…」
「国王」
狼狽える家臣を制して、傍に控えていた側近が、国王にそっと呼び掛ける。
「彼をお呼び致しましょう」
うむと国王が頷いて、赤いベルベット張りの玉座にドカっと腰を下ろした。
歩く度にガシャガシャと金属の擦れる甲高い音が、国王の間へと続く長い廊下に響き渡った。
頭から足の先まで白銀の鎧で覆われた騎士が、その荘厳な大扉の前で立ち止まる。
ここへ呼ばれるのは何度目だろうか。
「入れ」
王の間の前に立つ門兵が扉を開き、持っていた槍を下ろした。
騎士は重い鎧のまま王の前に進み出ると、すぐさま膝まずき、口を開いた。
「お呼びですか?」
「おお、我が国が誇る最強の騎士であり、冷徹な処刑人よ」
「恐れ入ります」
「先刻、この城の地下牢から逃げた罪人を捕らえ、その場で即効極刑にせよ。報酬は言い値でよい」
「承知致しました。この私めにお任せ下さい」
騎士は恭しく頭を下げて見せた。
「罪人の名は令嬢ナタリー。罪名姦淫罪。我が国王の子息を誘惑し、隣国の御息女との婚約を破棄させようと働き、国家の安定を揺るがそうと画策したものとする。罰として国外追放に処す」
側近が罪人名、及び罪名を読み上げた。
「しかしながら、牢獄から脱走したとなれば、反省の意思はないと見なし、国外追放ではなく、これは死をもって償うべき大罪とする」
国王が罪を改めそう強調すると、騎士が一言だけ返事を返した。
「御意」
確かにナタリーは、結果的に国家の転覆を謀ったと思われても仕方なかった。
国王の息子であるアーロンを誘惑して、隣国の息女シャーロットとの婚約を破棄させ、次期皇后の資格を得られるであろうその妻の座に就こうとした。
ナタリーは、南方のアバロンよりずっと東にある自然豊かな国の令嬢として何不自由なく育った。
だが、急速に勢力を拡大しつつあったアバロンとの同盟を結ぶため、アバロンの次期国王であるアーロンの妃候補として、この城にやってきた。
色白の肌に、美しい茶色の波打つような長い髪、ぷっくりと膨らむ血色の良い赤い唇。
髪と同じ透き通るような茶色の少し勝ち気な瞳。
それは隣国の息女シャーロットよりも見目麗しく、誰もが羨む容姿の持ち主であった。
しかし、アバロン国王は弱小国家である東国ではなく、物流が盛んな隣国との結束を強めることを選び、先に妃候補となっていたナタリーではなく、ナタリーより五つも歳下のシャーロットを正式な妃として迎え入れようとしたのだ。
母国の名誉と国家安寧のため、ナタリーはその美しい容姿を使い、アーロンを誘惑した。
ナタリーの策略により、あっさりと誘惑に負けたアーロンはナタリーにどっぷりと陶酔したものの、それを知った国王は怒り狂い、婚約者がある身で不貞を働いた息子アーロンではなく、ナタリーだけを断罪したのである。
「…なんっで、私がっ……はっ…っ…」
牢獄を脱走してからもうどれほど走ってきたのか、息は切れ切れになり、乾燥で喉がはりついている。
喉が渇いた。
もちろん飲み水など持っているはずもない。
一旦立ち止まってしまうと、傷だらけの足がズキズキと痛んだ。
ホントに何でこんなことに…
仕事でミスをして落ち込んで、会社から一人でとぼとぼと帰った。
化粧を落とすことも忘れて、ベッドに横たわったままいつの間にか眠りに落ちていた。
そしてふと目覚めると、もうそこはこのアバロン国の牢獄の中だった。
ファンタジー小説や漫画が好きな、ただの会社員でしかない私が、何故こんな目に遭っているのか。
いくらこのストーリーが好きで、何度も読んでいるとは言え、自分が小説の中に入りたいだなんて願ってもなかった。
しかも!幸せな結末を迎える主人公シャーロットじゃなくて、処刑ルートしかない悪役令嬢ナタリーだなんて聞いてない!!!
原作に描かれることはなかった、極刑を命じられた悪役令嬢の末路。
小説ではたったの数行だけだった。
隣国から迎え入れられたシャーロットを欺き、婚約者である現国王の子息を誘惑し、惑わし寝取った疑いで国外追放。
後に国王の指示で、追放されたナタリーへは処刑人として追手が放たれ、彼女はその処刑人によって国内の森のどこかで命を絶たれた。
その後アーロンとシャーロットは無事に結ばれ、ハッピーエンドを迎える。
このナタリーの処刑を命じられたのが、このアバロン王国に仕える最強の騎士。
別名、アバロンの死神。
国王軍を率いる将として、幾度となく大局戦を勝利に導いてきた屈強な騎士。
口の堅い寡黙な男としても知られ、国王の確固たる信頼を得て、秘密裏に罪人の処刑をも一任されている。
これまで処刑執行した人数は数知れず。
というのが、原作内で得られる追手の情報の全てだった。
国外追放され、挙げ句そのまま追手に処刑されると分かっていて、黙って投獄されているわけにはいかないじゃない!
ナタリーはその美しい容姿を利用し、牢獄の見張りをうまく丸め込み、脱走を図ったのだ。
せめて、ストーリー序盤から転生させてくれれば、まだ処刑を回避する術もあったものの…
何故、牢獄で目覚めるところからの転生なのよーーー?!
なんならもうクライマックスじゃない!!
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