脱走悪役令嬢には、処刑人として雇われた追手騎士に溺愛されるルートが待っていました
6.“私”の生きる道
現在ー
「貴様、罪人をかばうなど、国を裏切ったのか」
敵勢の将だと思われる一騎が前に出て、こちらと数百メートルほどのところまで来ると、そう叫んだ。
ナタリーの隣にいる騎士と似た鎧を身に付けてはいるが、その甲には赤い旗が靡いている。
「俺はやり方が気に食わないだけだ。最初から将が出てくればいいものを、なぜあんな捨て馬のような大男を寄越した?この俺に無駄な殺生をさせるな」
「黙れ。綺麗事などどうでもよい。事前に危機を知らせてやったのだ、ありがたく思ってもらいたいものだが。それにしても雇われの平民騎士の分際で、寵愛してくれる国王を裏切るとは大した最強騎士様だな。その罪人を妻にでもするつもりか」
「どうしたいのか、何が己にとって正義なのかは、その時々で俺が決めることだ」
騎士の言葉に、敵将がふんと鼻で笑った。
「くだらんな。王もなぜこやつにここまで肩入れなさるのか理解しがたい。処刑のために城を出てから数日経っても戻らないお前をいぶかしんで、側近殿が我らの隊に偵察を命じられたが、国王はまだお前を信用しているようだ」
「では、お前の隊を壊滅させられれば、側近を黙らせることができるということだな」
「大した自信だな。だが、我らの目的はどんな姑息な手を使おうとも、あくまで罪人の首を跳ねることのみだ。それを邪魔するのであれば容赦はせん」
敵将がそう言った瞬間、ナタリーの後ろに広がる茂みから、ガサガサと不穏な音が響いた。
騎士は首を少しだけナタリーに傾けて口を開いた。
「用心しろ。あいつは本当に姑息な奴だ、背後に兵を忍ばしていてもおかしくない」
ナタリーが足元に視線を落とすと、さっき騎士に首を落とされた大男が持っていた剣が足元に転がっている。
それを咄嗟に拾い上げて構えると、ナタリーは騎士に背中を預けた。
「剣を扱えるのか?」
騎士が驚いて声を掛けた。
「いいえ。けど、それに似たようなものなら習ったことがあるだけ。自信ははっきり言って、ない」
もちろん真剣を扱ったことはないが、剣道ならかじったことがある、中学の部活でだけど。
「十分だ。やはり元の世界に戻すには惜しい女だ」
騎士は強気な笑みを浮かべた。
それから続けて、また敵将へ向けて声を張り上げる。
「罪人の女一人の首を跳ねるために、軍を率いてくるなどご苦労なことだな。それに託つけて俺の首も獲る算段だろうが、それにしてもちょっと少な過ぎるな」
「ちょっ、ちょっと挑発してどうすんのよ?!すでに結構な軍勢よ?!」
ナタリーが焦って騎士の背中に声をぶつけた。
「ざっと見、やはり百ってとこだな」
「ひゃ、百?!」
それが令嬢たった一人に差し向ける人数?!
「勘違いするな。あれはお前にではなく、俺に向けられた人数だ」
いや、そこは自慢するとこじゃないから!
「俺も見くびられたもんだな」
見くびられたという言葉に驚いて、騎士を振り返って仰視した。
「…は?何言ってんの?!百よ?」
「やはり百ごときでは少ないか…」
「違う違う違う!!多い多い!」
やはり死神は感覚がおかしいのか?!
騎士が私の焦りを鼻で笑ったのが分かった。
「一振で十騎獲れば、十振りで終わる」
「いや、至って単純な計算だけど、それは絶対におかしいと思う!後ろにだって敵がいるかもしれないって状況でよく言えるわね」
「では、今からこの剣をお前のために振るうというのはどうだ?さすれば単純な話ではなくなるな」
「え?」
「あの百の兵を全て退け、お前を守り抜けたら、今夜その身を俺に預けよ」
「はあぁあぁぁぁぁ?!」
そこら中に響き渡るような大声がこだました。
敵勢でさえ、不思議そうな顔をこちらに向けている。
彼の言うその言葉が、単に一晩を一緒にするという意味ではなく、つまり私を妻に迎えたいと言っているのだと理解したからだ。
この世界の理でいけば、婚前の男女が誰それと関係を結んでいいわけではない。
だからこそ、このナタリーは、祖国のために身を呈してアーロンの妻になろうとしたわけで。
そのせいで謂れのない罪で、その身を追われている。
そんな物語の中で、今夜身を預けろなどという台詞に素直に頷けるはずがない。
「何でそうなるの?!南国へ私を逃がすか、できるなら元の世界へ戻す手助けをしてくれるんじゃなかったの?!夕べの話は?!」
片眉をへの字に歪ませて叫びなから、騎士を見上げた。
「そのつもりだったんだが…少し気が変わった」
「いやいやいやいや…おかしいから!」
「お前を俺のものにしたくなった」
「はあぁあ?!だから!私はナタリーじゃないのよ?!異世界人よ?!分かってる?!?」
もう、わけが分からない!
なぜ急に結婚の申し込みよ?!
「この腕がある限り、一生食うには困らん生活の保証はしよう。たとえ元の世界に帰れなくとも」
いや、そんなことは聞いてないから!!
「ただし、万が一にも俺が命を落とすことがあれば、隣国まで死ぬ気で逃げろ。いいな?」
私の質問には明確に答えないまま、騎士が真剣な目をこちらに寄越したので、思わず素直に頷いてしまう。
「…は、はい」
「はいと言ったな?」
そう問われて、また騎士に背中を預けたまま勢い良く見上げた。
「…は?えっ?!ちっ、違うし!!それは死ぬ気で逃げろって言われた返事なだけで、他意はないから!」
しかし騎士は焦るナタリーを無視して振り向くと、その前にそっと膝まずき、その手を伸ばした。
「この境地を切り抜けられたら、その時はもう一度きちんとこうして膝まずき、ナタリーではなく“アカネ”に結婚を申し込もう」
ナタリーは思わず顔を赤らめて顔を両手で覆った。
「もおぉぉ、だから意味分かんないんだってば!なぜにここで私にプロポーズよ…」
「ただし、たとえ俺が死のうともお前は生きると約束しろ。あの世で無様な姿を見られるのはごめんだからな」
目を細め、私の頬に触れながらそう言った騎士の表情が、今まで見たこともない程に和らいでいることに気付いて驚いた。
急に優しく触れられたせいか、それともこちらにも何か他意があるのか、自分でも分からないが、私は思わずびくっと身体を強張らせた。
「ナタリーではなく、茜になんか結婚を申し込んでどうするのよ~?!」
「そのままの意味だが?浮気性のカレシなど、捨ててしまえばよい」
「酒飲んでる方が冷静だった気がするのはどうしてよ…それにナタリーへの気持ちは?どうするの?!」
「こんな状況でまだそんなことを気にしているとは、本当に肝の座った女だ」
騎士が苦笑した。
「いや、こんな状況で数日共にしただけの異世界人に、プロポーズしてる人に言われたくないんですけど…」
「この数日を共にして、俺が惚れたのは“ナタリー”ではなく“お前”だ」
騎士はそう笑って私から手を離すと、口を横にきゅっと引き結んで立ち上がった。
「まあ、この俺が負けることなどまずないがな」
「…いや、でもそれってつまり…?」
「今夜が楽しみだな」
ニッと白い歯を見せて、騎士はこちらに勝ち気な笑顔を見せた。
と、とんでもない約束をしてしまった気がするけど…
現実の世界ですら、結婚とは程遠い日常だったのに。
顔をひきつらせる私の横で、颯爽と白馬に跨がった騎士の銀製の鎧が、太陽に反射してギラリと光った。
このあと、次から次に自分に向けられる剣先を、一つも取り零すことなく、一網打尽になぎ払っていく騎士の姿に圧倒されたのは言うまでもなかった。
この世界でどこまで生き延びられるのかは分からない。
ただ今は少しの間、この騎士に背中を預け、もう少しだけ一緒に突き進んでいきたいと思った。
私の壮大な物語はまだ幕を上げたばかりのようだ。
fin
「貴様、罪人をかばうなど、国を裏切ったのか」
敵勢の将だと思われる一騎が前に出て、こちらと数百メートルほどのところまで来ると、そう叫んだ。
ナタリーの隣にいる騎士と似た鎧を身に付けてはいるが、その甲には赤い旗が靡いている。
「俺はやり方が気に食わないだけだ。最初から将が出てくればいいものを、なぜあんな捨て馬のような大男を寄越した?この俺に無駄な殺生をさせるな」
「黙れ。綺麗事などどうでもよい。事前に危機を知らせてやったのだ、ありがたく思ってもらいたいものだが。それにしても雇われの平民騎士の分際で、寵愛してくれる国王を裏切るとは大した最強騎士様だな。その罪人を妻にでもするつもりか」
「どうしたいのか、何が己にとって正義なのかは、その時々で俺が決めることだ」
騎士の言葉に、敵将がふんと鼻で笑った。
「くだらんな。王もなぜこやつにここまで肩入れなさるのか理解しがたい。処刑のために城を出てから数日経っても戻らないお前をいぶかしんで、側近殿が我らの隊に偵察を命じられたが、国王はまだお前を信用しているようだ」
「では、お前の隊を壊滅させられれば、側近を黙らせることができるということだな」
「大した自信だな。だが、我らの目的はどんな姑息な手を使おうとも、あくまで罪人の首を跳ねることのみだ。それを邪魔するのであれば容赦はせん」
敵将がそう言った瞬間、ナタリーの後ろに広がる茂みから、ガサガサと不穏な音が響いた。
騎士は首を少しだけナタリーに傾けて口を開いた。
「用心しろ。あいつは本当に姑息な奴だ、背後に兵を忍ばしていてもおかしくない」
ナタリーが足元に視線を落とすと、さっき騎士に首を落とされた大男が持っていた剣が足元に転がっている。
それを咄嗟に拾い上げて構えると、ナタリーは騎士に背中を預けた。
「剣を扱えるのか?」
騎士が驚いて声を掛けた。
「いいえ。けど、それに似たようなものなら習ったことがあるだけ。自信ははっきり言って、ない」
もちろん真剣を扱ったことはないが、剣道ならかじったことがある、中学の部活でだけど。
「十分だ。やはり元の世界に戻すには惜しい女だ」
騎士は強気な笑みを浮かべた。
それから続けて、また敵将へ向けて声を張り上げる。
「罪人の女一人の首を跳ねるために、軍を率いてくるなどご苦労なことだな。それに託つけて俺の首も獲る算段だろうが、それにしてもちょっと少な過ぎるな」
「ちょっ、ちょっと挑発してどうすんのよ?!すでに結構な軍勢よ?!」
ナタリーが焦って騎士の背中に声をぶつけた。
「ざっと見、やはり百ってとこだな」
「ひゃ、百?!」
それが令嬢たった一人に差し向ける人数?!
「勘違いするな。あれはお前にではなく、俺に向けられた人数だ」
いや、そこは自慢するとこじゃないから!
「俺も見くびられたもんだな」
見くびられたという言葉に驚いて、騎士を振り返って仰視した。
「…は?何言ってんの?!百よ?」
「やはり百ごときでは少ないか…」
「違う違う違う!!多い多い!」
やはり死神は感覚がおかしいのか?!
騎士が私の焦りを鼻で笑ったのが分かった。
「一振で十騎獲れば、十振りで終わる」
「いや、至って単純な計算だけど、それは絶対におかしいと思う!後ろにだって敵がいるかもしれないって状況でよく言えるわね」
「では、今からこの剣をお前のために振るうというのはどうだ?さすれば単純な話ではなくなるな」
「え?」
「あの百の兵を全て退け、お前を守り抜けたら、今夜その身を俺に預けよ」
「はあぁあぁぁぁぁ?!」
そこら中に響き渡るような大声がこだました。
敵勢でさえ、不思議そうな顔をこちらに向けている。
彼の言うその言葉が、単に一晩を一緒にするという意味ではなく、つまり私を妻に迎えたいと言っているのだと理解したからだ。
この世界の理でいけば、婚前の男女が誰それと関係を結んでいいわけではない。
だからこそ、このナタリーは、祖国のために身を呈してアーロンの妻になろうとしたわけで。
そのせいで謂れのない罪で、その身を追われている。
そんな物語の中で、今夜身を預けろなどという台詞に素直に頷けるはずがない。
「何でそうなるの?!南国へ私を逃がすか、できるなら元の世界へ戻す手助けをしてくれるんじゃなかったの?!夕べの話は?!」
片眉をへの字に歪ませて叫びなから、騎士を見上げた。
「そのつもりだったんだが…少し気が変わった」
「いやいやいやいや…おかしいから!」
「お前を俺のものにしたくなった」
「はあぁあ?!だから!私はナタリーじゃないのよ?!異世界人よ?!分かってる?!?」
もう、わけが分からない!
なぜ急に結婚の申し込みよ?!
「この腕がある限り、一生食うには困らん生活の保証はしよう。たとえ元の世界に帰れなくとも」
いや、そんなことは聞いてないから!!
「ただし、万が一にも俺が命を落とすことがあれば、隣国まで死ぬ気で逃げろ。いいな?」
私の質問には明確に答えないまま、騎士が真剣な目をこちらに寄越したので、思わず素直に頷いてしまう。
「…は、はい」
「はいと言ったな?」
そう問われて、また騎士に背中を預けたまま勢い良く見上げた。
「…は?えっ?!ちっ、違うし!!それは死ぬ気で逃げろって言われた返事なだけで、他意はないから!」
しかし騎士は焦るナタリーを無視して振り向くと、その前にそっと膝まずき、その手を伸ばした。
「この境地を切り抜けられたら、その時はもう一度きちんとこうして膝まずき、ナタリーではなく“アカネ”に結婚を申し込もう」
ナタリーは思わず顔を赤らめて顔を両手で覆った。
「もおぉぉ、だから意味分かんないんだってば!なぜにここで私にプロポーズよ…」
「ただし、たとえ俺が死のうともお前は生きると約束しろ。あの世で無様な姿を見られるのはごめんだからな」
目を細め、私の頬に触れながらそう言った騎士の表情が、今まで見たこともない程に和らいでいることに気付いて驚いた。
急に優しく触れられたせいか、それともこちらにも何か他意があるのか、自分でも分からないが、私は思わずびくっと身体を強張らせた。
「ナタリーではなく、茜になんか結婚を申し込んでどうするのよ~?!」
「そのままの意味だが?浮気性のカレシなど、捨ててしまえばよい」
「酒飲んでる方が冷静だった気がするのはどうしてよ…それにナタリーへの気持ちは?どうするの?!」
「こんな状況でまだそんなことを気にしているとは、本当に肝の座った女だ」
騎士が苦笑した。
「いや、こんな状況で数日共にしただけの異世界人に、プロポーズしてる人に言われたくないんですけど…」
「この数日を共にして、俺が惚れたのは“ナタリー”ではなく“お前”だ」
騎士はそう笑って私から手を離すと、口を横にきゅっと引き結んで立ち上がった。
「まあ、この俺が負けることなどまずないがな」
「…いや、でもそれってつまり…?」
「今夜が楽しみだな」
ニッと白い歯を見せて、騎士はこちらに勝ち気な笑顔を見せた。
と、とんでもない約束をしてしまった気がするけど…
現実の世界ですら、結婚とは程遠い日常だったのに。
顔をひきつらせる私の横で、颯爽と白馬に跨がった騎士の銀製の鎧が、太陽に反射してギラリと光った。
このあと、次から次に自分に向けられる剣先を、一つも取り零すことなく、一網打尽になぎ払っていく騎士の姿に圧倒されたのは言うまでもなかった。
この世界でどこまで生き延びられるのかは分からない。
ただ今は少しの間、この騎士に背中を預け、もう少しだけ一緒に突き進んでいきたいと思った。
私の壮大な物語はまだ幕を上げたばかりのようだ。
fin