脱走悪役令嬢には、処刑人として雇われた追手騎士に溺愛されるルートが待っていました

7.エピローグ

現代 東京ー

ふと目覚めた。

頬に感じる柔らかい布の感触が、数時間前に寝入ったはずのボロボロのベッドのものとは明らかに違っていた。

重い瞼をこすりながら上体を起こすと、そこは先ほどまで自分がいた場所とは似ても似つかない誰かの部屋のようだった。
見たこともないものが、ところ狭しと溢れている。
私がよく知っている家具や道具は一つも見当たらない。

ふかふかのベッドの上で、ただただ困惑するしかなかった。

ここは一体どこなの…?

私は城内の地下牢にいたはず…
明日、処刑されることが決まっていたのに。

そう、祖国にさえ伝えられないまま、私はこの一生を終えるはずだった…

場所だけではない。
自分が身に付けている服装も、見慣れないことに気付いた。
白いブラウスに、まるで男性のようなグレーのジャケットにズボン。

私が着ていた、お気に入りのロイヤルブルーのドレスは…?

兵に連行される際に、最期のときはせめてこのドレスでと思って、急いで着替えたのだ。
祖国から贈ってもらった、金の刺繍が施された美しい大切なドレス。

恐る恐るベッドから下りて、ハート型の赤いラグの上に立った。
ぐるりと改めて部屋を見回してみる。
ラグの中央に置かれたローテーブルの上に、折り畳みの鏡らしきものが広げてあることに気付いて、急いで手に取って中を覗いた。

そこには自慢だった波打つような長い茶色の髪も、赤く厚い口唇も、美しく澄んだ大きな瞳も、見目麗しかったはずの自分の姿はどこにもなかった。

代わりにそこに写っていたのは、肩までしかない少しくせ毛がちの黒髪に、大きくはあるものの疲れ果てて、生気の失われた黒い瞳。
それに血色の悪い唇。

そっと自分のものらしき頬に触れてみた。

…誰なの…?

その前に顔色も悪いし、これなら牢にいた私の方がまだマシじゃない…
まあ磨けばそれなりに、美しくはなれないこともない容姿…ではあるわね。

しばらくふむふむと鏡の中を覗いていたが、ふと我に返った。

それよりここはどこなの?

少なくとも、自分がいた国でないということは明らかだった。

鏡をテーブルに戻して、淡い緑色のカーテンが閉められた窓に歩み寄った。
シャッとそのカーテンを引くと、夜であるはずなのに煌々と明かりが灯って、眩しいほどに輝いている街並みが広がっていた。
永遠に続くかのようにそびえ立つ高い無数の建物。

街の上や海の上に、さらに橋が掛けられている…?

そこをすごい速さで、光を放ちながら走っている乗り物らしきもの。
よく見ると橋の上以外の道にも、同じようなものがあちらこちらに走っている。

馬はおろか馬車すらも見当たらない。

一体、ここは…?

何か状況が分かるようなものはないかと辺りを見回して、恐らくこの容姿の持ち主のものであろう無造作に置かれているバックを、ベッドの横から急いで拾い上げて逆さまにひっくり返した。

中からは花柄のポーチや四角く平べったいもの機械仕掛けのようなもの、恐らく化粧をするための道具やハンカチ…
そして、首からさげられるような紐のついた四角い透明な入れ物に入った紙切れのようなものに、何やら文字が書かれている。

「社員証…田中 (あかね)…」

不思議なことに見知らぬはずの文字が読めることに驚いたが、読み書きには困らないという事実に安堵した。

あかね?
これがこの彼女の名前かしら…?

ふと横に目をやると、ベッドの脇に一冊の本が開かれたまま落ちていた。
導かれるようにそれを手にして、文字を読んだ。

「…えっと…〈このアバロン国を治める王の城では〉…ア、アバロンですって?!」

そう叫んでから自らの口を押さえた。
全身を走った衝撃を抑えながら、その続きを読み進める。

「…〈王の城では、今しがた地下牢から逃げ出した罪人の行方について、大した騒ぎになっていた。〉アバロン王国の城にある地下牢の罪人って私のことじゃない!脱げ出した?!どういうこと?私、脱走なんかしてないわよ!」

誰に言うわけでもないのに、思わず声に出して叫んでいた。

「…この物語は、私がいた世界の話だわ」

ぽつりと呟いてから、また続きに目を通す。

「〈ナタリーが目を覚ますと、そこは牢獄のベッドの上であった。美しいナタリーはその容姿を利用し、牢獄の見張りをうまく丸め込むと、脱走を図った。〉あ、ここからだわ。牢屋の硬いベッドで眠ったことまでは覚えてる…。ここまではどう考えても私のことだわ…でも、目覚めてからの記述は間違いなく私ではない…」

うーんと頭を抱えて、しばし考え込んだ。

途中までは間違いなく、私のことだ。
つまり私はこの本の中の人物で、それがなぜか今はここにいて…
その先の話を知らない…

ということは…

「そうか、分かった!!」

急に点と点が繋がったような感覚がして、また叫んだ。

「この本の中のナタリーが、途中から“茜”なんだわ!!」

そうだ!こちらの茜と本の中のナタリー(わたし)が入れ替わってる!!!

また続きを読み始めた。

「〈ナタリーの処刑を命じられたのは、このアバロン王国に仕える最強の騎士。別名、アバロンの…死神。〉…あの彼が…私の処刑人…?」

逞しい身体に銀髪の青い目をした、死神と呼ばれていた彼の顔を思い浮かべた。
最後に彼に会ったのは、そう、いつもの薔薇園。
私が唯一涙を見せたあの日…

そうなのね…彼が…私の処刑人…

なにかしら思うところがあって、思わず茫然としていると、玄関と思われる扉の方から、ピンポンと聞き慣れない音が鳴り響いた。
その音に驚いてしばらく警戒していると、もう一度同じ音が鳴った。
恐る恐る玄関へと向かうと、鍵のようなものを開けてドアノブを回した。
次の瞬間に、勢い良くその扉が開かれて、突然一人の男性が入ってくるなり目の前で土下座をして見せた。

「悪かった!本当にごめん!ただの出来心でさ!会社の若い新人の子に言い寄られて、つい…」

「えっ………」

驚く私の方を見るよりも、どうやら頭を床にこすり付ける方がこの男にとっては大事なようだ。

「昨日、もう別れるとか連絡入ってたけど、俺は別れる気とかないしさ…!」

ぽかんとその様子を見下ろすばかりで、無言なままの彼女を不審に思って彼が顔を上げた。

「別れたりなんかしないよな…?茜?」

茜の恋人かしら…?きっと浮気をしたのね。
それで、その謝罪をしているというわけか…

結局どこの世界の男も、若くて可愛い子が好きなんだわ。

「私は茜ではありません」

「は?」

「私は、東国領主の令嬢、ナタリーよ」

「え?何言って…?ってか、このタイミングでどういう冗談だよ!ナタリーって誰よ?」

わけの分からないことを言い出した彼女が、後ろを向いてスッとその細い指を、部屋の奥のベッドの方へと指したので、彼はますます怪訝な顔を見せた。

「私はあの本の中から来たらしいの。読めばきっと分かるはずだけど。替わりにあなたの謝りたい相手は、どうやら多分あの中に…」

一瞬の間があってから、彼の悲鳴にも近い声がマンション中に響いた。

「は?はあぁあぁぁぁぁぁぁぁあぁあぁぁ?!?」

こちらの世界でも、別の物語が繰り広げられていたことを、本の中のあの二人はまだ知らない。

Fin.
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