隠したがりの傷心にゃんこは冷徹上司に拾われて
 会議室まで、なんとなく懐かしい気持ちで彼の前を歩く。後ろを歩く翔也お兄ちゃんは、私の幼馴染だ。

 *

 父と母が離婚した理由も、果たして私に父親がいたのかもどうかも、私は知らない。私は物心ついた頃にはシングルマザーの母に育てられていた。

 田舎のワンルームのアパートに、母親と二人暮らし。貧乏ではあったけれど、それなりに楽しい毎日だった。
 嫌だと思ったことはなかった。母はいつも笑っていたし、私も友達もそこそこ多かった。

 それが変わってしまったのは、私が小学四年生の春のことだった。突然、東京に引っ越すと言われたのだ。母親の実家は、東京の江戸川区。 
 都会の子は皆おしゃれでコミュニケーション力が高くて、貧乏で田舎者の私はうまく友達もできなかった。

 翔也お兄ちゃんは隣に住む二学年上で、当時は小学六年生だった。朝の登校班が同じだったけれど、彼もまた田舎者の私をバカにした一人だ。

 引越の理由も、初めは貯金が尽きたとか、どうもやりくりが上手く行かなくなったとか、そういうことだと思っていた。
 だから、母を恨んだ。「何で引っ越しなんかするの?」「お母さんがもっと頑張ればこんなことにならなかった」。そう言っては、よく母に当たり散らしていた。

 けれど、そうじゃなかった。

 その年の夏、行きたくもない子ども会のキャンプに行った。
 帰ってきた時、母は亡骸になっていた。

 母は弱かった。だから、死を選んだ。
 ムカついて、母の入った棺を蹴り飛ばしたら、祖母にこっぴどく叱られた。
 謝りはしなかった。私は間違ってないと思った。

 行く先々で、陰で噂されるようになつた。
 クラスメイトの態度が急変した。母親の棺を蹴り飛ばした、という話だけが広がって、いつの間にか怖がられていった。
 
 変わらなかったのは、翔也お兄ちゃんだけだった。

「自殺した弱虫なお母さんなんて大っ嫌い」

 そう言う私に「じゃあお前は強くなれ」と言ってくれたのが、翔也お兄ちゃんだった。
 私を田舎者扱いしてバカにするのは彼だけだった。そんな彼と言い合う時間が楽しかった。

 好きだった。

 左腕に傷を付けてしまった中学一年の時、駆けつけてくれたのも翔也お兄ちゃんだった。

「そんな風に自分傷付けたって、死ねね―だろ、バカ」

 そう言って、彼は私からナイフを取り上げた。

「私ももう死んじゃいたいよ」

 弱い自分が嫌だった。
 そんな私に、翔也お兄ちゃんは言った。

「死にてーと思わなくなるくらい、強くなれ」 

 *

 だから、私は強くなろうと思ったんだ。

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