振り解いて、世界
「お楽しみのところ悪いけどさ、今日のこれはお前には関係なくない? 突然、現れてウザいんだけど」
「関係ありますよ、友達なんで」
「友達だって」
大ヶ谷さんは腰に両手をあてて鼻で笑った。
余裕そうな態度を見せているけど、表情は緊張しているのか若干強張っている。
「何が面白いんですか」
「別に。今からそのお友達と行く所があったんだけどまた今度にするよ」
「今度?」
「今日は飲みすぎたみたいだからさ。自分のキャパも分かんないってちょっとドン引きだけど、次はちゃんと飲む量くらい抑えてね。こっちは、酔って迫られて大変だったんだから……!」
セレンは大ヶ谷さんのところまで駆け寄ると、大ヶ谷さんの胸ぐらを掴んでぐいっとねじり上げた。
爪先立ちになった大ヶ谷さんは何とか立っているといった状態になって、顔をキョロキョロとさせながら凄く慌てている。
ケンカになったら大変だ。
二人の間に入って止めようと近付いたわたしに、セレンは「来んな」と冷淡に一瞥した。
「お、下ろせ! 僕にこんなことしてタダですむと思ってんの!?」
「やってみろよ」
大ヶ谷さんを見下ろすセレンの声に、冷笑が混じっている。
胸ぐらを掴まれたまま、じたばたする大ヶ谷さんの顔が真っ赤になった。
「それなら僕にも考えがあるよ、君を業界から干すことなんか簡単に……」
「お前、近々スタジオミュージシャン同士でバンド組んでデビューすんだろ」
「何でそれを知ってるんだよ!? まだ僕の周りにいるごく一部のヤツしか知らないはずなのに」
「お前んとこのプロダクションのヤツらとは仲良いんだよ、特に会長とは。そういうコネだらけの業界だろうが」
「うちの会長と……? うちは知らないヤツなんかいないくらい大きなプロダクションなんだぞ。おれでも会長なんか見たことがないのに、どこでそんな繋がりが……」
「今回のこれ、お前んとこのお偉いさんの耳に入ったらどんな顔すんのかな。お前がやってきたことは、業界でも噂になってるからよく知ってるけど。今回みたいなこと、今までもあったんだろ? そう何度も許されることじゃねぇぞ」
大ヶ谷さんの顔色に血の気がなくなり、今度はサーッと真っ青になっていく。
「わ、分かった、僕が悪かった! だから離してくれ!」
「いろ巴に二度と手ぇ出さないって誓えよ、ここで」
「分かった! いろ巴ちゃんには二度と手は出さない、悪かった!」
セレンは地面に投げつけるように大ヶ谷さんから手を離した。
大ヶ谷さんの肩は大きく上下に揺れ、足元はバランスを取るのがやっとという様子で、よろよろと二、三歩後退った。
「人のこと、あんまナメんなよ」
「……るさいな」
大ヶ谷さんは俯きがちに襟元を整えた。
深く溜息をつき、思いきりセレンを睨み付ける。
セレンがどんな表情をしたのか後ろからは見えなかったけど、大ヶ谷さんは悔しそうに唇を噛んだあと背中を向けて走り去っていった。
「セレン、ごめんね。大丈夫? ケガはない?」
セレンの背後から顔を覗き込むようにして近付く。
飄々とした涼し気な表情を浮かべたセレンが、ちらりとわたしを見やった。
この場であったことが嘘みたいに落ち着いていて、思わず口元が緩む。
「良かった、大丈夫みたいだね」
「いろ巴は大丈夫?」
「大丈夫だよ。助けてくれてありがとう」
いつもの声だ。
緊張が解けた時だった。
セレンに手首をぎゅっと掴まれる。
それから真っすぐな視線を注がれて、わたしは身動き一つできなくなった。
「もう逃がさないよ、分かってる?」
「え……」
「分かんないなら今日はちゃんと話すよ。とりあえず帰ろ」
「帰るってどこに!?」
「おれんち」
「ちょっと待って、あのね、わたしもセレンに話があって……」
「最初に言ったの覚えてない? 後悔はさせないって。もう泣かせたくないんだよ、色んなことで。だからおれと一緒に帰ろ」
セレンはわたしの手首を強引に引っ張りながら、商店街に向かって歩き出した。
大ヶ谷さんの時とは違ってつい嬉しくなったわたしは、自分からセレンの後ろについていく。
けれど、そんなことを言われたら―――と、それ以上考えそうになったところでぶんぶんと頭を振った。
期待したらだめだ。
わたしには、それよりも伝えないといけないことがある。
セレンの背中を追いかけながら、これが最後のチャンスだと心の中で呟いた。