イケメンシェフの溺愛レシピ
「ごめんなさい、嫉妬したの」

一番奥のテーブル席でまだシェフコートを着たままの哲也とグラスを傾けるなり、綾乃は謝罪した。嫉妬、という言葉を使うだけでも恥ずかしい。それは決して気持ちいい感情ではないからだ。

「嫉妬するようなことないんだけどな」

ふう、とやっと一息ついて哲也はワイングラスを口元に運ぶ。たったそれだけの仕草でも絵になってしまうのは、哲也が魅力的だからだ。嫉妬したり不安に感じたりするくらいなら、本当は自分を磨いて自信をつけるべきなのに。そう思うと、綾乃の胸には情けない気持ちも込み上げてくる。

「でも、まあいいか。今日はきみの素直な気持ちが聞けたし」

言いながら、哲也はにやにやと笑った。
勢いとはいえ‘あなたが他の人に私と同じようなことをしてたら嫌’なんて、大人の女が言うようなセリフじゃない。本当は、そんなのたいしたことないって平気な顔をして、余裕たっぷりに恋愛したい。でも相手がこんなイケメンシェフとなると、なかなか余裕なんて出てこない。
恥ずかしさをごまかしたくて、綾乃はワイングラスの中を覗くように俯く。

「おいしいうちに召し上がれ」

そういってよく冷えた茄子と生ハムの前菜を差し出され、綾乃は小さくなったまま「はい」と返事をして料理にフォークを差し込んだ。

「おいしい」

その瞬間、ようやく綾乃は表情を緩める。幸せな顔、というやつかもしれない。
じっくりと焼いて皮を剥かれた茄子はトロリとした食感で、オリーブオイルのコクがバランスよくあわさる。そして野菜の自然な甘さ。茄子の青い香り。ああ、こんなにおいしいんだ、と気づかされる。生ハムとの相性もとてもよくて、一緒にもう一口とフォークで差し込んだところで綾乃は顔を上げる。哲也が笑っていたのだ。
何?と首を傾げた綾乃に哲也はにこやかに笑ったまま言った。

「その顔をずっと見ていたいんだ、俺は」

食い意地のはった自分が恥ずかしくなって、綾乃は顔を赤らめる。
食いしん坊で悪かったですねと口答えしそうになったけれど、やめた。少しは素直になろうと思ったのだ。ほんの少しだけど。

「だって、哲也の料理は本当においしいから」

そう言うと、哲也は嬉しそうにありがとう、と言って笑顔をみせた。


綾乃と哲也が食後のエスプレッソを飲んでいると、園部さんはじめ出版社の女性三人組がやってきた。

「とってもおいしかったです。ご馳走様でした。」
「お口に合いましたら何よりです」

哲也は立ち上がって編集長らしき女性に頭を下げる。

「一年間の連載が終わってしまうのは残念ですが、また別の企画などもご相談させていただけたらありがたいです。今後ともよろしくお願いいたします」
「こちらこそ」

そんなやりとりを綾乃が眺めていると、編集長の斜め後ろにいた園部さんと目があった。
勝手に嫉妬していた自分が恥ずかしくて、俯くように綾乃は思わず軽く会釈をする。
すると彼女はにっこりと笑顔をみせた。
まるで‘お幸せに’と言ってくれているかのような温かい微笑みだった。

< 12 / 55 >

この作品をシェア

pagetop