イケメンシェフの溺愛レシピ
フラヴィオの店を一人で取材することについては伝えていないはずだった。

「どうしてわかったの?」

哲也の運転する高級イタリア車の助手席で、倒した座席から彼の横顔を見て綾乃は言った。
慣れた手つきで夜の東京の街を運転しながら、哲也は前を見たまま言う。

「最近静かだなと思って気になってさ。テレビ局に電話したら、綾乃は取材に行ったってADの子が教えてくれたからさ。別件で用事もあったし」

ADの子。智香だろう。気が利く彼女らしい。
別件で用事があったとは言いつつも、気にかけてテレビ局に問い合わせてくれた哲也に感謝する。
フラヴィオが無理やり何か、ということはなさそうではあったが、もしあの瞬間に哲也が来てくれなかったらどうなっていただろうとも思う。

綾乃の住むマンションの駐車場に車を止めると、哲也は言った。

「一人で取材に行くなんて危ないこと、二度としないと約束して欲しい」
「よくある、普通のことよ。今回はたまたま料理の取材で、ついお酒も飲んじゃったのはよくなかったかもしれないけど」
「それが危ないんだ。警戒心が足りなすぎる。」
「そんな、警戒心なんて」

ちょっとした取材だったら一人で行くことも多かったので、何をそんなに心配したり警戒したりすることがあるのだろうかと綾乃はつい反論する。

「わかってない。きみはどれだけ自分が」

そこまで言ったところで、哲也は自分の手を口でふさいだ。ああ、というため息みたいなものが表情から伝わってくるようだった。
助手席からその横顔を見ながら、綾乃は少しだけ期待する。自分が大切に想われている感じを、実感したくて。できればもっと味わいたくて。
綾乃は助手席に座ったまま腕を伸ばして哲也の頬に両手を振れる。それから自分の頬を近づけてチュッと口で音を鳴らした。覚えたてのイタリア式の挨拶。
キスよりも照れくさくなくて、ただ手を振って別れるより気持ちが伝えられる。そんな気がして、たまにこうして挨拶をするようになった。その点に関していえば、フラヴィオに感謝だ。いいものを教えてもらった。

「送ってくれてありがとう。おやすみなさい」

まだ少しアルコールが残っている綾乃は機嫌よく哲也に挨拶をして、車を降りようとした。
そのときだった。
ぐっと哲也に腕を引き寄せられ、綾乃は哲也の腕に包まれる。それから容赦なく唇を奪われる。
唇を話すと哲也は真顔で言った。

「…酒臭い」

その言葉に綾乃は思わず顔を赤らめる。

「これはその、ワインけっこう飲んじゃったから!」

振り返ってみれば料理に合うからと白、赤とそれなりに飲んだ。しかし酒臭いと言われるのはちょっとショックだった。

「このせいで飲酒運転で捕まるのはごめんだなあ」

言いながら、哲也は少しだけ笑っていた。ああ、家に上がりたい、ということなんだなと綾乃はわかってしまった。少し考えたふりをして綾乃は言う。

「私、すぐ寝ちゃうと思うわ。いびきをかくかもしれない。それに部屋もすごく汚いの。それでも嫌いにならないって約束してくれるなら」

三日ぶりの自宅。当然掃除なんてしていない。綾乃が正直な気持ちを伝えると哲也は嬉しそうに笑った。

「大丈夫。すでにそういうきみを知っている。」

にっこり。哲也の極上のスマイル。思わず「ちょっと!」と綾乃が言うと哲也は声をあげて笑った。

それから車のエンジンを切ると綾乃の頭に手をのせて柔らかく笑った。

「ただ一緒にいたいだけだよ」

その言葉に、女心がぎゅっと締め付けられないはずがない。
大人になっても、30代になっても、こういう感情を味わうことがあることを知った。たぶんこれからも、こういう感情を教えてくれるとしたらこの人だけだ、とも。

その夜、久しぶりに一緒に夜を過ごした。といっても特別なことはなく、ただ一緒に眠っているだけだったけれど、疲れもストレスもどこかに消えていった、穏やかな眠りだった。
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