イケメンシェフの溺愛レシピ
「scuza」
イタリア語で‘ごめん’の意味の言葉だ。謝りながらも楽しそうな顔を見せるフラヴィオに、本気で怒ることなどできるだろうか。綾乃はため息のような深呼吸を一つすると疲れた顔で笑って言った。
「二度とこんなことしないでよね」
二度と。
そう言いながら、次の出演を想像してしまっていた。
一度きりのはずが、なんだかまたフラヴィオ・マンチーニと言うシェフをテレビ越しで世の中に届けたいような、そんな気持ちがあった。今でも十分においしいフラヴィオの料理だけど、もっともっと進化する予感があったから。哲也の言う、‘フラヴィオ・マンチーニの味’が極められていくのを、これからも見ていたい。
そんな綾乃にすっかり心を許したのか、フラヴィオはふっと表情を緩めて笑うと、日本語で言った。
「教えてあげる。アヤノ。初めて打合せしたとき、僕はテツヤに言った。彼女はテツヤのアモーレかと。二人が並んでいてすぐにわかったから。でもそれに対して彼は黙った。たぶんアヤノの立場を考えた。でも本当はすごく自分のものだって言いたそうだった。それを見て僕はチャンス、と思った。ちょっとだけ彼の顔を歪ませてやりたかった。アヤノにちょっかいをだしたのは、そう、テツヤに嫉妬したのかもね。僕の憧れの師匠に、僕より先に認められた彼を困らせてみたいって」
そのときのフラヴィオの笑顔が柔らかくて、綾乃はつい笑ってしまった。嫉妬ゆえに少し歪んでしまってはいたが、料理という仕事に情熱を持っているのは哲也と同じだったから。
「さっきも、お前の彼女が困ってもいいのかって、脅して料理対決サセマシタ」
にっこり笑って言うフラヴィオだが、それを聞いて綾乃は収録中や、先ほどの哲也の表情一つ一つを思い出すと、哲也もすごく大変な思いをして生放送をこなしてくれたのだと思った。
「ああ、でもアヤノは、本当にとても魅力的だよ。もしイタリアに来てくれるならゆっくり案内するからネ」
そしてこれは僕のプライヴェートの連絡先、と小さなメモをくれた。さすがイタリア男性、と思うセリフに綾乃が笑うと、フラヴィオは頬と頬をくっつける、バーチというイタリア式の挨拶をしてきた。
ちゅっという音がかわいらしく響いたと思ったら、次の瞬間、いつのまにか現れた哲也が二人を静かに引きはがした。
「仕事終わったな。帰るぞ、フラヴィオ。送ってやる。綾乃、打ち上げはまた別の日に改めてしよう」
哲也のその言葉で、綾乃はすべてを納得する。
ああ、きっと哲也は今夜はフラヴィオと二人で打ち上げをするのだ。慣れない日本のテレビ番組、それも生放送に出演したフラヴィオを労い、二人だけの話をするのだろう。きっとおいしく、懐かしいイタリア料理たちとともに。
いい仕事をした後に哲也と乾杯できないのはちょっとだけ寂しいけれど、そして振り返ってみればここのところフラヴィオにデートを邪魔されてばかりだったけれど…それもまたいい思い出ということにしよう。
哲也の友人と会うことができて、昔話も聞くことができたのだから。
「ええ、また後日。」
綾乃は笑顔でそういって、二人を見送った。
数日後。
「綾乃さん!この間の番組の反響すごいですよ!フラヴィオ・マンチーニと石崎シェフの再演を熱望する声がたくさん届いています!」
番組の資料を片手に智香が勢いよく、綾乃のもとにやって来た。
綾乃自身も視聴率やSNSでの反応をチェックしていたが、再び二人に共演してもらうところまではまだ考える余裕はなかった。
「えー、またあれをやるの?ドキドキハラハラしてこっちが大変じゃない?」
「チーフも乗り気でしたよ!せっかくフラヴィオが日本にいるんだから!もう1回くらい二人で並んでいるところ放送したくないですか?日伊イケメン最強シェフ!そしておいしい料理!家庭で再現して、‘推し’と同じ味を堪能!どうですか!」
智香の言葉がおかしくて、でもそれもいい、と思いながら綾乃は笑った。
「じゃあちょっと相談してみてから、かな」
実は今夜、フラヴィオの店に哲也と二人で招待されている。彼の自慢のイタリア全土のとっておきの料理をふるまってもらう約束なのだ。そんな素敵な夜に仕事の相談をしたとしても、二人とも喜んで話を聞いてくれるだろう。
久しぶりのデートに仕事の話なんてと思いながら、それもまた楽しいはずだ。きっと。
そんなことを思いながら、約束の時間まで、綾乃は次の企画のアイデアをノートに書き出し始めた。
新しい素敵な予感を感じながら。
・・・エピソード3に続きます・・・