イケメンシェフの溺愛レシピ
約束の日の午前。綾乃のマンション前に黒いイタリア車が止まる。哲也の愛車だ。
「おはよう!よく眠れたかい?」
普段着の哲也を見るのは少し久しぶりだ。だいたいはコン・ブリオで会っていたから、シェフコート姿の彼の印象が強い。もちろんあの白いシェフコート姿の彼も素敵なのだが、クリーニングから帰って来たばかりのぴしっと整ったジャケットと細身のパンツスタイルを着こなす彼はやはりかっこいい。
「この後ワンピースを買ってもらうつもりだから、適当な恰好で来たわ」
カジュアルなデニムに秋らしい彩りのキャメル色のカットソーをあわせただけの恰好をした綾乃が強気に言う。助手席に座ると哲也は笑った。
「いいねえ。そのくらいの感じでいてくれると嬉しいよ」
そして車は走り出す。たけ久のある日本橋方面までしばしドライブだ。こういう時間も久しぶりだった。少し前にフラヴィオの店から車で送ってもらったことはあるけれど、体調を崩していたこともあってとてもドライブと言う感じではなかったし、こうして明るい時間に完全にプライヴェートな気持ちで東京の街を走るのは楽しい。
そして隣にいる哲也の運転する横顔と、ハンドルを握る手つきも。ついじっくり観察してしまう。料理をするときとはまた違う真剣な顔がかっこよかった。仕事中はつけない腕時計の皮のベルトとジャケットの色もよく合っている。
「綾乃」
無言で観察を続けていた綾乃に哲也が言った。
「その恰好もいいね」
自分の服を褒められた綾乃は、自分のほうこそ彼のファッションを楽しんでいたことがばれていたみたいで、恥ずかしくなった。でもこの服装は、本当は房総半島へのドライブに来て行こうと思っていたものだった。特に何かのブランドとかではないけれど、ちゃんとこの日のデートのためにと思って選んでおいたものだった。
「ありがとう。秋のドライブデートがテーマなの」
「まさに今。ぴったりだ」
嬉しい気持ちを抑えるように、ちょっとだけ皮肉を込めて綾乃が言ったものの、哲也にはやっぱりかなわない。でも、哲也に言われれば予定変更のドライブも、ちゃんと特別に感じられる。通り過ぎる都心の街路樹は秋の色をしていた。
「まずは昼食にしよう。」
そう言って案内されたのは、ごく普通の雰囲気の和風のお店だった。東京のビル街に隠れていたその店は、もう何十年も前から変わらずにそこにあるような、どこか懐かしいようなあたたかい店構えだった。