イケメンシェフの溺愛レシピ
割烹かわかみを出ると、哲也は愛車のイタリア車を日本橋まで走らせ、老舗デパートの地下駐車場に停めた。
「約束通り、きみにワンピースを用意しないとね」
そう言って手を引かれると、綾乃はちょっとだけ俯いてしまう。哲也の両親に会うための洋服が必要ならば、自分で用意することもできる。本当は欲しいものなんてないのだ。それでも哲也が自分のことを考えて、自分が身に着けるものを選んで、用意してくれることは光栄なことだ。
もし問題ないならこの服装で、と言おうとしたところで哲也が言った。
「実はもう目をつけてある」
ニッと笑って綾乃の手を引く哲也の顔つきは、どこか幼くも見える。いつになく楽しそうな哲也を見るのは嬉しくもあるが、何か企みがあるのではと、綾乃はつい表情をこわばらせた。
「目をつけてあるって…」
「きみに似合いそうなのがあるんだ」
いつのまに下見をしたのだろうか、と思ってしまう彼の言葉。
「なにそれ、試着してみないとわからないわ」
ここのところ、食欲の秋で体重も増えた気がするなどという綾乃の小言を振りきって、哲也は一階にあるイタリアブランドのショップに入った。
そこは誰もが知っている有名店だった。
綾乃は自分の体形やもともとの顔立ちなど色々心配しながら手を引かれるまま店内に入る。
ブランドコンセプト通りのゴージャスな内装。マネキンが来ている洋服はとうてい一般人に着こなせるレベルのものではない。
それらを見ながら、若干青ざめつつ綾乃は哲也の後を歩く。
哲也は慣れ親しんだような店員の女性と話を始めると、綾乃のほうに視線を向けた。
「綾乃、試着室へ」
先ほど食べたかわかみのおいしい料理たちが逆流しそうだった。
「あの、食後でちょっとおなかが」
「調整可能でございます」
綾乃の言葉を遮るように優秀そうなスタッフに案内されて試着室に入る。
こんなボディラインの出るワンピースなら昼食のご飯をおかわりしなかったのに、という綾乃の後悔など誰も気にしていないと言う様子で、スタッフの女性はファスナーをぐぐっと上げて、ウエストのベルトを締めて哲也に声をかける。
「ぴったりでございます」
ベージュをべースに、幾何学的な模様。紅葉を感じさせるオレンジ、赤、イエロー、ブラウンが気ままに入り混じるそのワンピースは、自由が感じられた。
綾乃の姿を見た哲也は、すぐに満足そうな顔をして、思った通りだと言った。
「よく似合う。きみにぴったりだ」
そんな哲也の柔らかい微笑みを前に、綾乃はぎこちない顔を浮かべる。
「あの、おなかが…ぴったり…」
必死に息を吸って胃袋を少しでも小さくしようとする綾乃に対し、哲也は声を出して笑った。
「いい食べっぷりだったもんな。」
「だって、おいしかったから!」
軽く食べるつもりだったはずが、おいしいを連発する綾乃につい大将もサービスしてしまい、結局ご飯のお代わりにデザートを追加で出してくれた。
「いいんだよ。大将も嬉しかっただろうし。夕食まではまだ時間がある。少し散歩しよう。歩きやすい靴にしたほうがいいな。」
それだけ言うと哲也はスタッフに声をかけ、ローヒールのパンプスを用意してもらっていた。
「履いて」
「まさか靴まで?」
「ハイヒールじゃ歩きにくいだろう?食事の前に車で履き替えればいい。まだしばらく時間がある。房総半島まではいけないけど、近くの公園を散歩しよう。ちょうど紅葉が見ごろだから。」
そう言う横で、にこにことスタッフの女性が二足のパンプスを手に持っていた。
一つは歩きやすそうなローヒールのグレーのパンプス。もう一つはワンピースを引き立てるようなアイボリーにゴールドをちりばめたような華やかなハイヒールのパンプス。
「しかも二足?」
「今日きみが履いてきたパンプスも素敵だったけど、ワンピースに合わせるならこれかなって」
いきなり値段を聞くようなことは当然しないけれど、綾乃にはこの店のパンプスが高価なものであることはわかっていた。それを二足も、ワンピースと一緒に買うなんてこと、自分の人生にはないことだった。おそらくこれからもないだろう。
「さ、履いてみて」
促されるままに女性スタッフの持ってきた椅子に腰をかけてパンプスに足を入れる。つま先、踵の部分を確認しながら女性スタッフは「ちょうどよさそうですね」と笑顔をみせた。
考えてみたら、老舗料亭の跡取り息子で自身も人気レストランのオーナーシェフなのだから、このくらいの金額はたいしたものではないのかもしれない。
そのとき綾乃の気持ちが少しだけ曇る。哲也と自分が釣り合わない気がする、と。綾乃だって誠実に生きてきた両親に育てられ、会社員としてきちんとお給料をもらって自立して生活してはいるものの、哲也はやっぱり偉大な人なのだと思わされる。
そんな人と家庭を作っていこうだなんて。
哲也から今日の食事会を提案されたときの例えようのない憂鬱さは、綾乃自身の結婚への覚悟がないせいなのかもしれない。
「約束通り、きみにワンピースを用意しないとね」
そう言って手を引かれると、綾乃はちょっとだけ俯いてしまう。哲也の両親に会うための洋服が必要ならば、自分で用意することもできる。本当は欲しいものなんてないのだ。それでも哲也が自分のことを考えて、自分が身に着けるものを選んで、用意してくれることは光栄なことだ。
もし問題ないならこの服装で、と言おうとしたところで哲也が言った。
「実はもう目をつけてある」
ニッと笑って綾乃の手を引く哲也の顔つきは、どこか幼くも見える。いつになく楽しそうな哲也を見るのは嬉しくもあるが、何か企みがあるのではと、綾乃はつい表情をこわばらせた。
「目をつけてあるって…」
「きみに似合いそうなのがあるんだ」
いつのまに下見をしたのだろうか、と思ってしまう彼の言葉。
「なにそれ、試着してみないとわからないわ」
ここのところ、食欲の秋で体重も増えた気がするなどという綾乃の小言を振りきって、哲也は一階にあるイタリアブランドのショップに入った。
そこは誰もが知っている有名店だった。
綾乃は自分の体形やもともとの顔立ちなど色々心配しながら手を引かれるまま店内に入る。
ブランドコンセプト通りのゴージャスな内装。マネキンが来ている洋服はとうてい一般人に着こなせるレベルのものではない。
それらを見ながら、若干青ざめつつ綾乃は哲也の後を歩く。
哲也は慣れ親しんだような店員の女性と話を始めると、綾乃のほうに視線を向けた。
「綾乃、試着室へ」
先ほど食べたかわかみのおいしい料理たちが逆流しそうだった。
「あの、食後でちょっとおなかが」
「調整可能でございます」
綾乃の言葉を遮るように優秀そうなスタッフに案内されて試着室に入る。
こんなボディラインの出るワンピースなら昼食のご飯をおかわりしなかったのに、という綾乃の後悔など誰も気にしていないと言う様子で、スタッフの女性はファスナーをぐぐっと上げて、ウエストのベルトを締めて哲也に声をかける。
「ぴったりでございます」
ベージュをべースに、幾何学的な模様。紅葉を感じさせるオレンジ、赤、イエロー、ブラウンが気ままに入り混じるそのワンピースは、自由が感じられた。
綾乃の姿を見た哲也は、すぐに満足そうな顔をして、思った通りだと言った。
「よく似合う。きみにぴったりだ」
そんな哲也の柔らかい微笑みを前に、綾乃はぎこちない顔を浮かべる。
「あの、おなかが…ぴったり…」
必死に息を吸って胃袋を少しでも小さくしようとする綾乃に対し、哲也は声を出して笑った。
「いい食べっぷりだったもんな。」
「だって、おいしかったから!」
軽く食べるつもりだったはずが、おいしいを連発する綾乃につい大将もサービスしてしまい、結局ご飯のお代わりにデザートを追加で出してくれた。
「いいんだよ。大将も嬉しかっただろうし。夕食まではまだ時間がある。少し散歩しよう。歩きやすい靴にしたほうがいいな。」
それだけ言うと哲也はスタッフに声をかけ、ローヒールのパンプスを用意してもらっていた。
「履いて」
「まさか靴まで?」
「ハイヒールじゃ歩きにくいだろう?食事の前に車で履き替えればいい。まだしばらく時間がある。房総半島まではいけないけど、近くの公園を散歩しよう。ちょうど紅葉が見ごろだから。」
そう言う横で、にこにことスタッフの女性が二足のパンプスを手に持っていた。
一つは歩きやすそうなローヒールのグレーのパンプス。もう一つはワンピースを引き立てるようなアイボリーにゴールドをちりばめたような華やかなハイヒールのパンプス。
「しかも二足?」
「今日きみが履いてきたパンプスも素敵だったけど、ワンピースに合わせるならこれかなって」
いきなり値段を聞くようなことは当然しないけれど、綾乃にはこの店のパンプスが高価なものであることはわかっていた。それを二足も、ワンピースと一緒に買うなんてこと、自分の人生にはないことだった。おそらくこれからもないだろう。
「さ、履いてみて」
促されるままに女性スタッフの持ってきた椅子に腰をかけてパンプスに足を入れる。つま先、踵の部分を確認しながら女性スタッフは「ちょうどよさそうですね」と笑顔をみせた。
考えてみたら、老舗料亭の跡取り息子で自身も人気レストランのオーナーシェフなのだから、このくらいの金額はたいしたものではないのかもしれない。
そのとき綾乃の気持ちが少しだけ曇る。哲也と自分が釣り合わない気がする、と。綾乃だって誠実に生きてきた両親に育てられ、会社員としてきちんとお給料をもらって自立して生活してはいるものの、哲也はやっぱり偉大な人なのだと思わされる。
そんな人と家庭を作っていこうだなんて。
哲也から今日の食事会を提案されたときの例えようのない憂鬱さは、綾乃自身の結婚への覚悟がないせいなのかもしれない。