イケメンシェフの溺愛レシピ

この家


少し早い夕刻、近くの駐車場に車を止めて訪れた料亭たけ久は、静寂すら感じる異世界のような風貌でビル街の中に存在していた。
少しばかりの竹林と紅葉の並ぶ小道を少し行くと入口が見え、そしてその横に着物姿の女性が立っていた。

「哲也さん、お待ちしておりました。お席にご案内します。こちらへ」

案内してくれる仲居の高齢女性は深緑の着物を着こなし、きゅっと髪をまとめていかにもベテランという風格だった。やりとりからして哲也ともよく知っている関係のようだった。言われるがままに案内された別室は、庭園がすぐ横にあるガラス張りの一室、いってしまえば最上級の部屋だと言うことがすぐわかる部屋だった。そしてその広い空間に一つだけぽつんと存在するテーブルの上にセッティングされた四人分の食事の用意に、綾乃は胃がキリリと痛むのを感じる。
哲也は、単に自分の両親に会わせたいと、堅苦しいものではないと言ったが、どう考えても重要な時間になるのがわかってしまう。

「綾乃」

名前を呼ばれて哲也の顔を見上げると、彼は軽く微笑んだ。

「心配しなくていい。」

やわらかい表情。甘い笑顔。そして綾乃を抱き寄せる力強い片腕。
ほんの1時間ほど前に彼に選んでもらったワンピースに身を包む綾乃は、彼の腕が自分の体に絡まるのを拒まない。
これから先もこの腕に抱かれていたい。
そのためには、大変そうな一つ一つを乗り越えていかなくてはと思う。
その瞬間だった。

「こんばんは」

振り向くと、哲也に似た背格好のスーツ姿の男性と藤色の着物姿の女性が立っていた。
女性のほうの知的でセクシーな目元は、哲也によく似ている。
この場に現れた二人は間違いなく哲也の両親だった。

「こ、こんばんは」

綾乃はすぐに頭を下げる。仕事柄、有名人だとか立派な人に会う機会は多くあったけれど、結婚を考えている相手の両親に会うというのはそれよりももっと緊張する。

「ご足労いただいてすみませんでしたね」
「い、いえ!」

いつになくぎこちない綾乃に気づいた哲也はすぐに言った。

「堅苦しいのはやめよう。綾乃、紹介する。うちの両親。それから彼女が中原綾乃さん。将来を考えてお付き合いをさせていただいている」

将来を考えてお付き合い。
その言葉が何を意味しているかは哲也の両親もわかっていたように、それが聞けてよかった、というような顔をした。安堵、といえる表情だったかもしれない。
品定めされるように眺められるか、冷たくあしらわれるかなどとネガティブなことを考えていた綾乃にとっては、そのにこやかな表情は若干拍子抜けするような瞬間でもあった。
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