イケメンシェフの溺愛レシピ

覚悟とか夢とか

「お疲れ様でーす!じゃあ、あとは当日本番に。よろしくお願いしますね!」

翌週の午後、都内の飲食店で行われたロケはとてもスムーズで予定より少し早く終わった。

「綾乃さん、テレビ局戻ります?」

智香に時計を見せられながら綾乃は空を仰ぐ。だいぶ陽が短くなってきて辺りは薄暗いがまだ夕方だった。

「中途半端だよね。泊り込みで作業するほど今回切羽詰まってないし。智香は直帰したら?」
「いいんですか?」
「大丈夫。私も、そうしようかな」

もう一度時計を見る。午後五時。めずらしく早く帰って自炊でもできそうな時間だった。でも、とても自炊なんてする気になれない。自分でたいしたものが作れないのはわかっていたし、一人での食事が味気ないのは十分わかっていた。
お疲れ様ですという智香の元気な声がビル街に響き、カメラマンの男性も撤収すると、綾乃は通りかかったタクシーを捕まえた。

十分後についたその場所は、先日哲也と訪れた場所の一つだった。

「こんばんは」

そっと動かしたつもりの扉はガラガラといい音を立てて、その瞬間、和のだしの香りが綾乃を包んだ。

「あら、いらっしゃい!今日は一人?」

そう言って笑顔で迎えてくれたのは、割烹かわかみの女将だった。
店内には、幸いにもまだ誰もいなかった。

「すみません、いきなり来ちゃって」
「大歓迎よ。座って座って!お仕事帰り?まずはビール?何が食べたい?」

突然の綾乃の訪問が嬉しかったみたいで、女将は手際よくカウンターに席を用意しながら、質問を次から次へと投げかける。
その様子に綾乃が笑いつつ、カウンター越しにマスターがグラスとお通しの小鉢を二つずつ差し出した。

「まだ誰も来ないから。お前も座って休憩しな」

そう言ってマスターは女将を綾乃の隣に座らせた。
まだ開店したばかりで休憩というのもおかしい話だが、ようは、綾乃が何か話したいことがあって来たことをわかっていた彼なりの気遣いだった。

「混んできたらちゃんと手伝うからね」

そう言って笑顔で女将が言うと、マスターも同じように笑顔をみせて頷いた。
そのやりとりに綾乃もつい笑顔になる。そういう気遣いをしてくれることが嬉しいだけでなく、息の合った、分かり合っている二人は見ていると幸せになる。理想の夫婦の姿だった。
< 37 / 55 >

この作品をシェア

pagetop