イケメンシェフの溺愛レシピ
「あら、また来ましたよ」
振り向くと、先ほどの彼が追加のドリンクはいらないかと聞きに来た。
「けっこうよ。この後、私たちは用事があるの。お会計をお願いできるかしら」
会計を済ませると領収書とともに彼はスマートフォンを見せる。どうやらSNSで連絡先を交換しようと言っているようだ。
英語で話してくれているとはいえ、なんとなくしか綾乃はできない。当然智香も首を傾げている。
「え、えっと。それは取材してもらいたいとか、取引先になりたいとか、そういうことかしら」
スマートフォンの画面を見て、というように青年は綾乃の手を握った。その力は見た目以上に強く、綾乃は大きな手にびっくりして身動きができない。そのときだった。
「Hai qualche affare con mia moglie?(俺の妻になにか?)」
綾乃の肩を抱いて現れたのは哲也だった。イタリア語で堂々と話す背の高い日本人に驚いたのか、青年はあわてて綾乃の手を離した。
そしてイタリア語で何か言い訳をするように勢いよく話して、そして領収書を置いて店の奥へと引き下がったのだった。
「なんて言ってたの?」
「店の口コミを書いて、たくさんの日本人に宣伝して欲しいってお願いしていただけだってさ。本心はどうだか」
フンッと不機嫌そうな顔をして哲也が言った。
来てくれてありがとう、と綾乃が言おうとしたのに、言えなかった。智香とフラヴィオがそれぞれ言いたいことを言い始めたからだ。
「大変でしたよ!綾乃さんシニョールからも人気があって!」
「同じく哲也もシニョーラに囲まれて!」
騒がしさとともに綾乃のストレスも上昇していく。いくら親しくて気を遣わなくていい関係だとしても、いい加減静かに過ごしたい。
そう思った瞬間、綾乃の視界に入ったのは一人のイタリア人女性だった。栗色の、少し癖のあるセミロングヘアを揺らし、知的な雰囲気で、イタリア人にしてはちょっと珍しいほど控えめに微笑んでくれた。
誰?
そう言いたい綾乃の気持ちに気づいて、口を開いたのは哲也…ではなくフラヴィオだった。
「彼女はローザ。私とテツヤの友人です。昔から、ズット」
フラヴィオは自分の持つ言葉でどうにかその親しさを表現しようとしているのが綾乃にはわかった。古い友人、ということだろう。
綾乃が頭を下げると彼女もそれに合わせて少しだけ頭を下げてくれた。そしてごく自然に哲也の腕に触れて、何かをイタリア語で話している。綾乃にはもちろん理解できなかった。
その瞬間、綾乃は自分の心が陰るのがわかる。もちろん哲也には国内外、男女問わず素晴らしい友人がいることはわかっていた。それでも、こんな形で顔をあわせて、親しい様子を見せつけられると、なんだかやりきれない。
確かに、念願のイタリア旅行が叶った。でもまさか、こんな賑やかなメンバーでイタリア旅行、それも哲也と結婚して初めての、綾乃にとって初めてのイタリア旅行がこの騒がしさなんて、誰が想像しただろう。
もしも哲也と二人でアペリティーヴォを楽しんでいれば、知らないイタリア人青年から手を掴まれるような面倒ごとも、哲也の古い友人の女性とこんな形で遭遇することだってなかったはずなのだ。
「疲れたから休むわ。智香は楽しんできて」
そう言って綾乃が店を出ようとする。どこまで本心が見えているかは別にしても、いい態度でないのは確かだった。
その綾乃の不機嫌を感じ取った哲也が手を掴んだ。
「悪い、そばにいられなくて」
冷静でありながら、その顔には謝罪が感じられた。もしも二人きりだったら、ぎゅっと抱きついただろう。そういう瞬間だった。
それでも綾乃の視界には智香とフラヴィオ、そしてローザという女性がしっかりと存在した。
「大丈夫」
なにが大丈夫なのか。
自分自身にそう問いただしてみたいような気持ちになりながら、綾乃はホテルに戻った。ガイドブックに教えてもらった通りバッグはぎゅっと前に抱えて、防犯対策は十分にしてローマの街を歩く。まるで一人でも大丈夫といういみたいしっかりした足取りで。
智香と同室のシングルベッド、エアコン、コーヒーに紅茶、ミネラルウォーター、美しいローマの夜景も。すべてが揃っているはずのホテルの一室。それなのに異国の一人きりの部屋は、思った以上に孤独だった。
振り向くと、先ほどの彼が追加のドリンクはいらないかと聞きに来た。
「けっこうよ。この後、私たちは用事があるの。お会計をお願いできるかしら」
会計を済ませると領収書とともに彼はスマートフォンを見せる。どうやらSNSで連絡先を交換しようと言っているようだ。
英語で話してくれているとはいえ、なんとなくしか綾乃はできない。当然智香も首を傾げている。
「え、えっと。それは取材してもらいたいとか、取引先になりたいとか、そういうことかしら」
スマートフォンの画面を見て、というように青年は綾乃の手を握った。その力は見た目以上に強く、綾乃は大きな手にびっくりして身動きができない。そのときだった。
「Hai qualche affare con mia moglie?(俺の妻になにか?)」
綾乃の肩を抱いて現れたのは哲也だった。イタリア語で堂々と話す背の高い日本人に驚いたのか、青年はあわてて綾乃の手を離した。
そしてイタリア語で何か言い訳をするように勢いよく話して、そして領収書を置いて店の奥へと引き下がったのだった。
「なんて言ってたの?」
「店の口コミを書いて、たくさんの日本人に宣伝して欲しいってお願いしていただけだってさ。本心はどうだか」
フンッと不機嫌そうな顔をして哲也が言った。
来てくれてありがとう、と綾乃が言おうとしたのに、言えなかった。智香とフラヴィオがそれぞれ言いたいことを言い始めたからだ。
「大変でしたよ!綾乃さんシニョールからも人気があって!」
「同じく哲也もシニョーラに囲まれて!」
騒がしさとともに綾乃のストレスも上昇していく。いくら親しくて気を遣わなくていい関係だとしても、いい加減静かに過ごしたい。
そう思った瞬間、綾乃の視界に入ったのは一人のイタリア人女性だった。栗色の、少し癖のあるセミロングヘアを揺らし、知的な雰囲気で、イタリア人にしてはちょっと珍しいほど控えめに微笑んでくれた。
誰?
そう言いたい綾乃の気持ちに気づいて、口を開いたのは哲也…ではなくフラヴィオだった。
「彼女はローザ。私とテツヤの友人です。昔から、ズット」
フラヴィオは自分の持つ言葉でどうにかその親しさを表現しようとしているのが綾乃にはわかった。古い友人、ということだろう。
綾乃が頭を下げると彼女もそれに合わせて少しだけ頭を下げてくれた。そしてごく自然に哲也の腕に触れて、何かをイタリア語で話している。綾乃にはもちろん理解できなかった。
その瞬間、綾乃は自分の心が陰るのがわかる。もちろん哲也には国内外、男女問わず素晴らしい友人がいることはわかっていた。それでも、こんな形で顔をあわせて、親しい様子を見せつけられると、なんだかやりきれない。
確かに、念願のイタリア旅行が叶った。でもまさか、こんな賑やかなメンバーでイタリア旅行、それも哲也と結婚して初めての、綾乃にとって初めてのイタリア旅行がこの騒がしさなんて、誰が想像しただろう。
もしも哲也と二人でアペリティーヴォを楽しんでいれば、知らないイタリア人青年から手を掴まれるような面倒ごとも、哲也の古い友人の女性とこんな形で遭遇することだってなかったはずなのだ。
「疲れたから休むわ。智香は楽しんできて」
そう言って綾乃が店を出ようとする。どこまで本心が見えているかは別にしても、いい態度でないのは確かだった。
その綾乃の不機嫌を感じ取った哲也が手を掴んだ。
「悪い、そばにいられなくて」
冷静でありながら、その顔には謝罪が感じられた。もしも二人きりだったら、ぎゅっと抱きついただろう。そういう瞬間だった。
それでも綾乃の視界には智香とフラヴィオ、そしてローザという女性がしっかりと存在した。
「大丈夫」
なにが大丈夫なのか。
自分自身にそう問いただしてみたいような気持ちになりながら、綾乃はホテルに戻った。ガイドブックに教えてもらった通りバッグはぎゅっと前に抱えて、防犯対策は十分にしてローマの街を歩く。まるで一人でも大丈夫といういみたいしっかりした足取りで。
智香と同室のシングルベッド、エアコン、コーヒーに紅茶、ミネラルウォーター、美しいローマの夜景も。すべてが揃っているはずのホテルの一室。それなのに異国の一人きりの部屋は、思った以上に孤独だった。