イケメンシェフの溺愛レシピ

いつもよりおいしくない

平日午後だった。
一仕事を終えてすっきりしていた綾乃は、この後コン・ブリオのランチに行こうと決めていた。そういう楽しみがあるとテレビ局に泊まり込みの日々が何日か続いても頑張れる。そしてきちんと仕事を終えて、おいしいものを食べに行く、好きな人の顔を見る。それは日常の一部なんかじゃなくて、貴重でありがたいことだ。

一軒家レストランのコン・ブリオのドアは少しだけ重たい。綾乃はゆっくりとドアを開けると、すぐにホールを取りまとめる笹井マネージャーが気付いて、いらっしゃいませ、と笑顔で声をかけてくれた。

「どうぞ」

そう言って彼が案内してくれるのは、厨房が見えるカウンター席だ。綾乃が一人で来店するときはいつもこの場所に座らせてくれる。一人でも気楽に食事が楽しめるのはもちろんだが、哲也が料理をしている姿を見せてくれている気がした。
席に案内されながら、ありがとうございます、と綾乃が返事をしたところで視界に入ったのは一人の女性。

園部真理子。

五席あるうちの一つに彼女は座っていた。ドルチェを食べ終えてエスプレッソを味わっているようだったが、そんなことは綾乃にとってどうでもいい。一人でランチに来て、カウンター席に座って哲也の料理を食べていたのだ。
とたんに胸の奥から何か嫌な感情が湧き出るのを感じる。子どもみたいに、そこは私の場所と叫びそうになる。

「ごちそうさまでした。本日のオススメ、とってもおいしかったです。それではまた来月もよろしくお願いしますね。失礼します」

食事を終えた彼女は立ち上がって、カウンターの向こう側にいる哲也に向かって声をかける。
それからちょうどカウンターに座ろうとした綾乃に気づくと、彼女は哲也に向けた笑顔のまま綾乃にも小さく会釈をした。その笑顔の意味は、綾乃にはわからない。

ただ、一人で食事に来て、自分の定位置に彼女がいたことが引っ掛かった。
言ってしまえば、それは嫉妬という感情だ。直接何かされたわけでもないのに、自分の醜い心が嫌になるほどに、綾乃は彼女に嫉妬していた。

「いらっしゃい。疲れてるみたいだけどワインは飲める?今日の魚に合うシチリアのワインがあるけど」
「うん、ありがとう」

顔色を気にしてくれる哲也に対し、綾乃は気の利いた返事もできないまま、静かに料理を待った。

そのシチリアのワインはレモンの爽やかな風味がした。しっかりとした酸味は空っぽの胃に響く。メインディッシュのめかじきもトマトやケッパー、ワインビネガーでさっぱりと仕上げられ、確かにワインとも相性がいいようだ。

でも、いつもよりおいしくない。

いつも自分にたくさんの元気をくれた彼の料理が、つまらない感情一つでこんなに味気なくなるなんて。

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