イケメンシェフの溺愛レシピ
「口に合わなかった?」

厨房がひと段落したからと食後のエスプレッソを持ってきてくれた哲也は、綾乃の隣に座ると、少しだけ困ったように、そして寂しそうな顔をして言った。

「ううん、とってもおいしかったわ!ただ、私やっぱり寝不足と疲労で舌がおかしくなっちゃったみたい。やっぱりここは、もっとちゃんと元気なときに来るべきね」

綾乃は誤魔化すように言ったが、これまでも徹夜明けやしばらく休みなしで働いた後にこの店に来たことは何度もある。

それでもいつも、おいしいを何度も言って、料理を気持ちよく口に運び笑顔になっていた綾乃が今日は何か違うとなれば哲也はもちろん、コン・ブリオの他のスタッフたちだって気になっただろう。

「彼女なら、連載が掲載された雑誌を届けに来ただけだよ。そのついでにランチを食べて行っただけだ。今日は13時過ぎまで満席で、カップルで来た人たちにもカウンターに座ってもらうほどでさ」

だからこの席に座ってもらったのは深い意味があるわけじゃない、と説明するように哲也は言った。
その話を聞きながら、綾乃は苦すぎるエスプレッソを口に含んだ。

掲載紙を届けに来たと言っても、そんなの郵送すれば済む話じゃないか。いくらオフィスが近くても、昼ご飯がまだだったとしても、他の感情がなければわざわざこの場所に来ないはずだ。

それは綾乃自身もそうだったから痛いほどわかる。その感情を綾乃は誰よりも知っているつもりだった。

「やだ、何のこと。私、何も気にしていないわよ。さすがの人気店ね」

それだけ言うと綾乃は、今日は眠気がひどいからもう帰るわねと席を立った。
哲也が何か言いたそうだったことも気づかない振りをして、店を出た。
コン・ブリオ。活き活きと、という言葉とはかけ離れた顔つきのまま。
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