朝を綴る詞
あれから一度寝てしまったことにより
寝付けなくなってしまい、
しばらくの間布団の中で
何度も寝返りを打った。

結局、一睡もできず早めに会社へ行き
仮眠でも取ろう、なんて考えて
相変わらずの満員電車に揺られ
会社の最寄り駅まで向かう。

駅に到着すると改札口を抜けて
一直線に会社の方へ行こうとしたが、
すぐにグイッと腕を強く引かれた。



「あの、おはようございます。
朝早くからすみません。」


「昨日の……。」



そこには、
昨日ピアノの弾き語りをしていた少女が
少し申し訳なさそうに
腕を掴んで立っていた。



「昨日、嬉しくて
たくさんお話ししてしまってすみません。

謝りたくて。」



震えた声で、少女は言葉を紡ぐ。



「私、何か悪いことをしてしまったかなと
思って。

帰り際の貴方の顔が、
とても苦しそうだったから。」



自分の中の音が止まった。
違う、周りの電車の音も
ホームの閉まる音も
人が歩く音も止んだように感じただけだ。

目を見開いていると、
困り果てた表情で少女はオロオロと
し始めた。



「あ、あの、すみません。

私ったらーーー。」


「……たんだ。」


「え?」


「……キミが羨ましかったんだ。
夢に真っ直ぐなキミが。

いいなと思ったんだ。」
 


今、自分がどんな表情をしているのかは
分からない。

だけど、少女は先程の
困り果てた表情ではなく
真剣な眼差しを向けてくれている。



「今している仕事は、
自分がしたかった仕事じゃない。
でも、生きていくには仕方なくて、
もう夢を追いかけるのは疲れたんだ。

必死に毎日を
生きて、生きて、生きているのに
そこには変わらない日々があって、
夜が過ぎれば朝が来る。

朝なんて来なきゃいいのにって
何度も思った。

だけど、世界は残酷で朝は来るし、
頑張ったって努力は報われやしないんだ。」




朝っぱらからきっと
自分よりも年下であろう女の子に、
何を語っているんだろうって
自分でも笑ってしまうくらい
おかしいなんてことは分かっている。

何真剣に語ってるんだこの人……と
思われているに違いない。

そう考えていると、
彼女は掴んでいた腕を離して
自分から遠ざかった。

そうだよなぁ……なんて
自分への嘲笑を浮かべると、
ピアノ音色が駅全体に響いた。

パッと顔を上げると
少女は詞(ことば)のない歌に
ラララという声だけを乗せて、歌を歌った。

そして、歌い切るとこちらを向き、
自身の足元に置いてあった鞄から
1冊の古びた手帳を取り出した。



「その手帳……!」


「昨日、貴方が落として行ったものです。」



椅子から降りた少女は、
自分の前に立つと手帳を差し出した。



「貴方の素直な気持ち、伝わりました。」


「中、見た?」


「すみません。」


「笑っていいんだよ。

気持ち悪いでしょ、
こんな詞(ことば)の羅列……。」




いつ落としたのか分からない
手帳を受け取りながら、
そう言ってから笑いを浮かべる。

少女は、黙ったまま。




「キミはきっと努力も才能も時間もある。
たくさん成長して、
こんな大人にならないようにした方が
いいよ。」



手帳を鞄にしまい、諭すように伝える。

周りの人も増えてきた。

そろそろ会社へ向かわないと。

少女の横を通り過ぎようとした時、
また腕を強く引かれる。




「ごめんね、そろそろ会社に……。」


「私がなんで、
歌詞を歌わなかったか分かりますか?」


「え?それはーーー
もともと詞なんてないから?」


「半分は正解で、残り半分は不正解です。」



少女は、怪しげにニヤリと笑った。




「貴方に、詞をつけてもらうためです。」




その言葉を聞いて、
何を馬鹿なことを……と言いかけたが、
少女の目を見たときに察した。

これは本気で言っている目だということを。



「でも、プロでもなんでもない。」


「私は好きでした。

貴方の真っ直ぐな詞が。

こんな大人なんて、
自分のことを卑下しないで下さい。」




寂しそうな表情のまま、笑って



「私の音に詞を紡いでくれませんか?」



正直、初めてだった。

自分の詞がいいなんて言って貰えたのは。



「え?!あの、えっ?!」



少女は急に焦りだし、
カバンの中からティッシュを取り出し、
自分の方へ差し出す。

何故ティッシュを差し出されたのか、
分からずに固まっていると



「そんなに嫌でしたか?
急に泣き出されたので……。」



そうか、今、泣いているんだ。

少女からの一言で、
ずっと言って欲しかった一言で。



‘‘私は好きでした。貴方の真っ直ぐな詞が。’’



誰にも理解して貰えず、
仕事から帰っては夜にヒソヒソと
諦めたはずが諦めきれなくて、
書き綴っていた詞を好きだと言って貰えた。

周りの目なんてどうでも良くなり、
だらしなく大粒の涙を溢す。

そんな自分のことを否定したり、
気持ち悪がらず、少女はずっと
隣で優しそうな微笑みを
浮かべてくれていた。

しばらく泣いた後、
少女は「落ち着きました?」と
言いながら顔を覗き込んできた。

「ごめんね、ありがとう。」とだけ言うと、
一息吸って、
ゆっくり自分の気持ちを紡いだ。




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