弊社の副社長に口説かれています
『お姉ちゃん!』
史絵瑠の声が響く。
『ちょっと! 本当にその男、顔だけで馬鹿すぎでしょ! 人の話を聞きなさいよ!』
その声は途中で途切れた、尚登はスマートフォンの電源まで落としテーブルに放り出す。
静かな室内にキスの音が響く。こすれあう舌の感触に陽葵は体に熱が帯びるのを感じた、スマートフォンから離れた尚登の手が優しく頬を撫で全身から力が抜けそうになる。
なぜこんなことに──戸惑う間にキスはさらに深くなっていく。
「……やめ……」
声は言葉にならなかった。
「ふく……!」
「尚登」
ようやく離れた尚登が瞳を色っぽく光らせて言う。
「言ってみな」
いたずら気味に微笑むその頬を、陽葵は戸惑いと怒りに任せて叩いていた。
「──かわいい顔して馬鹿力だな」
つぅ、と痛みを訴えてからぼやいた。
「なんでキスなんか! ファ、ファ、ファ……!」
ファーストキスなのにと叫ぶこともできずに体をわなわなと震えさせる。
男性経験もないのに。
それがこんなにさりげなく。
しかもいきなりのディープキスで。
恋人でもない人と。
しかも副社長などと──脳内には文句しか出ない。その文句を誰かに訴えてもきっと羨ましがられるだろうが、自分にとっては嬉しい状況ではなかった。
「初めてか。どうりで新鮮な反応だった」
そんなことを言ってにこりと微笑む、その瞬間尚登が軽薄な男なのだと判じた、このような人間とまともに関わることはない、それより史絵瑠だとテーブルに置かれたスマートフォンに手を伸ばしたが。
「本当にやめておけ」
尚登が冷静に引き留める。
「今の言動見てても判るだろ。あいつは放っておいても図太く生きてく」
「でも──っ」
確かにとは思う。これで泣いてすがるようなことがあれば本当に手を差し伸べねばと責務に駆られるが、言葉も汚く怒鳴る様子には十分強さを感じる──だが抱きしめたスマートフォンの電源を入れることはできなかった。
「──もし史絵瑠が自殺でもしたら、副社長を恨みますから」
陽葵は脅しのつもりだったが、尚登は呆れてため息を吐く。史絵瑠はどう見ても自殺よりは他人を攻撃するタイプのようだが。
「恨まれても君に覚えてもらえてたら嬉しいくらい言えるけどね。自殺って、どうして」
できるならば言いたくはないが、尚登の『なぜ』を解消するためには言わなくてはいけない──家族の恥を──深呼吸で気持ちと脳内を整理する。
「父が……」
喉に絡みつくものをごくりと飲み込んだ。
「父が史絵瑠に性的虐待をしているそうです……もう10年以上も、ずっと」
思いのよらない言葉に尚登は「そう」と呻くように返事をした。
既に家族関係のことは聞いた、史絵瑠と陽葵の父ならば戸籍上の親子だ、その二人がしていること──頬杖をして思案を始める。
「私と住みたいというのは、その父から逃げたいという史絵瑠のSOSなんです、義理でも史絵瑠は妹だし、父は私の実の父だし、あの子の性格が悪いって言うならそれも家庭環境でしょう、だったら私が責任を取るべきだと──」
「判っていても勇気は出なかった、過去の辛い体験で、家族とのつながりは持ちたくないと」
図星に陽葵の全身から力が抜け、涙がこぼれる。史絵瑠が自殺したら尚登のせいだとは言ったが、それは自分に向けた言葉だ。返事を引き延ばさず、たった一言、「おいで」と言ってやればよかっただけだ、そんな後悔が声もなく涙となって流れ始める。
尚登は無言でハンカチを出したが、今日も陽葵は断り自分のミニタオルでそれを拭う。
「無理することはない、君は頑張ってきた。妹さんはそういう被害者を受け入れてくれる施設を頼らせればいい。それで十分だ」
「でも史絵瑠は私を頼って……!」
「わざわざ探してまで君に会いに来たのか? 違うだろ、偶然、たまたま、日曜日に再会したんじゃないのか?」
確かにと陽葵は思う。あまりに突然で、だからこそびっくりしてショックが大きかったということはある。
「なるほどね──少し調べてみるか」
尚登は小さな声でつぶやいた。
虐待の有無や陽葵に同居を持ちかける背景をだ。今会話した限りの史絵瑠の様子からでは幼少期から性的虐待を受けている印象はなかった、それは単なる勘だ、その手の知識があってのことではないが自分の直感を信じた。うまくいっていないと泣く陽葵に、そこまでの嘘をついて取り入ろうとする史絵瑠が何をしたいのか──簡単に立つ埃ならばありがたいが。
「調べるって……なにを……?」
何をどう調べるのか、調べることなどあるのかときょとんとする陽葵に、尚登はにこりと微笑みかける。
「まあ、いろいろ」
それなりにツテはあるが、それを明かすつもりはない。
「とりあえず妹さんはブロックしとけよ。もうかけてこないだろうけど」
「え、でも、そんなことして、本当になにかあったら……!」
「優しいな」
尚登は笑う、それは言葉のとおり優しい笑みだった。
「んじゃ俺と連絡先、交換しとこう。連絡来たらグループ作って、そこで話すよう誘導すればいい」
尚登はスマートフォンを取り出すと、通信アプリの二次元コードを表示しテーブルに置いた、陽葵は副社長の連絡先をもらうなどとは、と戸惑う。
「でも……」
「一緒に住んでるなんて嘘ついた手前、掛かってきた時俺がいないなんてなったら、どう言い訳する?」
嘘だったと馬鹿正直に言えばいいと思いやめた、そんなことを言えばきっと史絵瑠は怒り、馬鹿にするだろう──つくづく嘘はつくものではないと納得する、嘘をごまかすには嘘を重ねないといけないのだ。
諦めてスマートフォンの電源を入れ、二次元コードを読み取り登録した。
史絵瑠の声が響く。
『ちょっと! 本当にその男、顔だけで馬鹿すぎでしょ! 人の話を聞きなさいよ!』
その声は途中で途切れた、尚登はスマートフォンの電源まで落としテーブルに放り出す。
静かな室内にキスの音が響く。こすれあう舌の感触に陽葵は体に熱が帯びるのを感じた、スマートフォンから離れた尚登の手が優しく頬を撫で全身から力が抜けそうになる。
なぜこんなことに──戸惑う間にキスはさらに深くなっていく。
「……やめ……」
声は言葉にならなかった。
「ふく……!」
「尚登」
ようやく離れた尚登が瞳を色っぽく光らせて言う。
「言ってみな」
いたずら気味に微笑むその頬を、陽葵は戸惑いと怒りに任せて叩いていた。
「──かわいい顔して馬鹿力だな」
つぅ、と痛みを訴えてからぼやいた。
「なんでキスなんか! ファ、ファ、ファ……!」
ファーストキスなのにと叫ぶこともできずに体をわなわなと震えさせる。
男性経験もないのに。
それがこんなにさりげなく。
しかもいきなりのディープキスで。
恋人でもない人と。
しかも副社長などと──脳内には文句しか出ない。その文句を誰かに訴えてもきっと羨ましがられるだろうが、自分にとっては嬉しい状況ではなかった。
「初めてか。どうりで新鮮な反応だった」
そんなことを言ってにこりと微笑む、その瞬間尚登が軽薄な男なのだと判じた、このような人間とまともに関わることはない、それより史絵瑠だとテーブルに置かれたスマートフォンに手を伸ばしたが。
「本当にやめておけ」
尚登が冷静に引き留める。
「今の言動見てても判るだろ。あいつは放っておいても図太く生きてく」
「でも──っ」
確かにとは思う。これで泣いてすがるようなことがあれば本当に手を差し伸べねばと責務に駆られるが、言葉も汚く怒鳴る様子には十分強さを感じる──だが抱きしめたスマートフォンの電源を入れることはできなかった。
「──もし史絵瑠が自殺でもしたら、副社長を恨みますから」
陽葵は脅しのつもりだったが、尚登は呆れてため息を吐く。史絵瑠はどう見ても自殺よりは他人を攻撃するタイプのようだが。
「恨まれても君に覚えてもらえてたら嬉しいくらい言えるけどね。自殺って、どうして」
できるならば言いたくはないが、尚登の『なぜ』を解消するためには言わなくてはいけない──家族の恥を──深呼吸で気持ちと脳内を整理する。
「父が……」
喉に絡みつくものをごくりと飲み込んだ。
「父が史絵瑠に性的虐待をしているそうです……もう10年以上も、ずっと」
思いのよらない言葉に尚登は「そう」と呻くように返事をした。
既に家族関係のことは聞いた、史絵瑠と陽葵の父ならば戸籍上の親子だ、その二人がしていること──頬杖をして思案を始める。
「私と住みたいというのは、その父から逃げたいという史絵瑠のSOSなんです、義理でも史絵瑠は妹だし、父は私の実の父だし、あの子の性格が悪いって言うならそれも家庭環境でしょう、だったら私が責任を取るべきだと──」
「判っていても勇気は出なかった、過去の辛い体験で、家族とのつながりは持ちたくないと」
図星に陽葵の全身から力が抜け、涙がこぼれる。史絵瑠が自殺したら尚登のせいだとは言ったが、それは自分に向けた言葉だ。返事を引き延ばさず、たった一言、「おいで」と言ってやればよかっただけだ、そんな後悔が声もなく涙となって流れ始める。
尚登は無言でハンカチを出したが、今日も陽葵は断り自分のミニタオルでそれを拭う。
「無理することはない、君は頑張ってきた。妹さんはそういう被害者を受け入れてくれる施設を頼らせればいい。それで十分だ」
「でも史絵瑠は私を頼って……!」
「わざわざ探してまで君に会いに来たのか? 違うだろ、偶然、たまたま、日曜日に再会したんじゃないのか?」
確かにと陽葵は思う。あまりに突然で、だからこそびっくりしてショックが大きかったということはある。
「なるほどね──少し調べてみるか」
尚登は小さな声でつぶやいた。
虐待の有無や陽葵に同居を持ちかける背景をだ。今会話した限りの史絵瑠の様子からでは幼少期から性的虐待を受けている印象はなかった、それは単なる勘だ、その手の知識があってのことではないが自分の直感を信じた。うまくいっていないと泣く陽葵に、そこまでの嘘をついて取り入ろうとする史絵瑠が何をしたいのか──簡単に立つ埃ならばありがたいが。
「調べるって……なにを……?」
何をどう調べるのか、調べることなどあるのかときょとんとする陽葵に、尚登はにこりと微笑みかける。
「まあ、いろいろ」
それなりにツテはあるが、それを明かすつもりはない。
「とりあえず妹さんはブロックしとけよ。もうかけてこないだろうけど」
「え、でも、そんなことして、本当になにかあったら……!」
「優しいな」
尚登は笑う、それは言葉のとおり優しい笑みだった。
「んじゃ俺と連絡先、交換しとこう。連絡来たらグループ作って、そこで話すよう誘導すればいい」
尚登はスマートフォンを取り出すと、通信アプリの二次元コードを表示しテーブルに置いた、陽葵は副社長の連絡先をもらうなどとは、と戸惑う。
「でも……」
「一緒に住んでるなんて嘘ついた手前、掛かってきた時俺がいないなんてなったら、どう言い訳する?」
嘘だったと馬鹿正直に言えばいいと思いやめた、そんなことを言えばきっと史絵瑠は怒り、馬鹿にするだろう──つくづく嘘はつくものではないと納得する、嘘をごまかすには嘘を重ねないといけないのだ。
諦めてスマートフォンの電源を入れ、二次元コードを読み取り登録した。