弊社の副社長に口説かれています
「もし妹さんから連絡が来たら、迷わず連絡してこいよ」
「はい」

力強い言葉に素直に返事をしていた。

「何時でも気にしないから。真夜中でも」

さすがに史絵瑠もそんな時間には連絡はしてこないだろう、そう思いながらも「はい」と答えていた、尚登の優しさが嬉しかった。
鞄から鍵を出し、開錠すると自動扉が開く。

「お世話になりました」
「いいえ。おやすみ」
「おやすみなさい」

一礼して中へ入った、今日も見てくれているのだろうと思いながら歩みを進めた。いつもなら郵便受けを見てから上がるが、見送られていてはできないとまっすぐエレベーターに向かった。背後で自動扉が閉まるのが判る。
今日はエレベーターは6階にあった、先日よりも待つなと思いながら上行きのボタンを押していた。
尚登の視線を感じる、恥ずかしさと無視をしているのは辛く、少しだけ体の向きを変えて尚登を見れば、尚登は笑顔で手を振った。わずかに頭を下げて返事に変えた時、尚登に歩み寄る年配の女性がいた。5階に住む者だが名前までは知らない、顔を見れば挨拶を交わす程度だった。

「あらまあ、色男ね」

5階に住む小宮という女は気さくに声をかけた、尚登もにこりと微笑み答える。

「ありがとうございます」

素直な礼にこの男は言われ慣れているなと小宮は確信する。確かにこれほどの美男子だ、誰も放っておかないだろう、かくゆう自分も思わず声をかけていたのだ、むしろ50代も後半になると恥ずかしさもなく声をかけるようになっていた。

「どうしたの? 入れないの? 一緒に入る?」
「いえ、友人を見送りに来ただけですので、こちらで失礼します」

尚登は笑顔で中を指さした、小宮が見えれば陽葵が小さく頭を下げた。
度々会う陽葵のことはよく知っている、と言っても名前も知らないし、自分より上階に住んでいることを知っている程度だが、物静かでもきちんと挨拶をする、清潔感もあり好印象の少女だった。
そんな少女と色男がこんな時間にこのような送迎とは──ははーんと下世話にも笑顔になる。

「まあ、そうなのねえ、いいわねえ」

深くは聞かずに、にまにまと笑いながらオートロックを解除し中へ入った、陽葵を見れば再度頭を下げ歩みを進める、エレベーターが到着したのだ。振り返れば尚登が笑顔で手を振っており、小宮が見ていると判れば会釈をして挨拶する、これまた好青年だと思った。

陽葵が開いたドアを押した状態で開けて待っていてくれた、そこへ乗り込む。

「まあまあまあ」

コンビニにビールを買いに行ってよかったと思った、いいものを見ることができたと思うのは老婆心もいいところだ。

「とんでもない色男じゃなーい、素敵な恋人ねぇ?」

いかにも艶話的な物言いで言うが、陽葵は笑顔で応じる。

「とんでもない、上司なんです。今日は会社の人たちと食事に行きまして、ついでだからと送ってくださいました」

二人きりだったとは言いづらく、嘘を交えた。

「まあ、そうなのねぇ、素敵な人と働けて羨ましいわぁ」
「いえ、上司と言ってもはるか上の方で、普段は言葉を交わすこともないんですよ、今日はたまたまで」

本当にそうだと陽葵は思う、三宅も頭頂部が見ることができれば喜ぶと言っていた、まさにそれだ。

「そうなのぉ? そんな人がこんなところまで、ついでだなんて言い訳して送ってくれるなんて、あの人はあなたに気があるんじゃないの~?」

なんともいやらしい笑みで小宮は言うが、陽葵は返答に困る、そんなことはないと断言できる。

「いいわねえ、かっこよくてぇ、私があと30歳若かったら口説いちゃうわぁ」

ニヤニヤと言われ陽葵は曖昧に微笑んだ。それからも尚登の讃辞が続き、陽葵が曖昧に微笑み返事をしていれば、ようやく5階に着き小宮はいやらしく「じゃあねえ」と挨拶をして降りていく。解放されたことにホッとしている間に陽葵も到着しエレベーターを降りた。
ああ、やっと我が家だと陽葵は安堵した。いろいろありすぎて長い一日だったと感じた。
スマートフォンの電源は落としたまま、その日は眠りについた。
いつもよりも温かい心なのは気のせいだろうか。
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