弊社の副社長に口説かれています
「そうかそうか、相思相愛で結構だな!」
相思相愛などではないと陽葵は心の中で叫ぶ。
「陽葵さんの心が決まり次第になるが、式や披露宴の支度は早く始めなくては駄目なんだ。会場を押さえるのも一苦労でな」
披露宴はまさにお披露目の場だ、血縁、親戚のみならず取引のある会社関係も呼ぶことになる。その数は優に数百人は超え、仁志の時は二日間に渡り、午前と午後の二部制で行ったほどだ。
「陽葵さんがその気になったらすぐに言ってくださいね──それと、陽葵さんのご家族へのご挨拶だが」
そればかりは声を抑えめにし、一呼吸入れてから続けた。
「尚登から聞いています、陽葵さんの意向に沿いますので無理はなさらぬよう。我々としてもそこまで形式張るつもりはないので、なんでも相談してください。陽葵さんさえよければ結納を行いますし、せめてご挨拶くらい伺えればと思っています」
優しい声に陽葵は俯き頷いた、古式ゆかしくならば結婚とは家と家とのつながりだ。だが自分にはその家族がない状態であり──恥じ入る気持ちを尚登が背を撫でくれたことで慰められた。
☆
食事を済ませ社に戻ってきた。エレベーターを降れば尚登と仁志は手を振って別れ、それぞれの執務室へ向かう。
ドアには錠の機構はついているが特に鍵などかけることはない、そのドアもほとんどは解放されたままで、不在時や来客の折に閉める程度だ。そのドアを山本が開けたが、中を見てぴたりと足を止めた。
「──どなたです?」
山本の厳しい声がした、副社長が不在時に誰が待っているというのか──。
「尚登さぁん!」
なんとも媚びた女の声が響く、山本越しにその人物が見えた尚登は思わず後ずさった。その人物は座っていたソファーから立ち上がるとようこそと言わんばかりに手を広げ尚登を迎えに来る。
「失礼ですがお名前を伺ってもよろしいでしょうか」
尚登を守るがごとく山本は仁王立ちになり鋭い声で聞いた。
「丸山塔子ですわぁ」
甘えた声での名乗りに尚登は小さな声でその名前を繰り返した、まったく覚えがない名だ。
「申し訳ありません、本日ご訪問の予定は聞いておりません、お相手を間違えてはおられませんか?」
山本はなおも緊張を解かず聞いた。客が来る予定の覚えはなく、そもそも来訪者は受付に名乗り出て、受付はその確認を取ってから対象の階に案内するのが手順だ。重役クラスならば秘書が受付まで迎えに来る。訪問相手が外出中ならば3階の受付があるロビーか、4階の商談室で待っていてもらうのがルールである、それがわざわざ不在の副社長室で待っているなど、おかしい話なのだ。
「落合課長にご案内いただきましたわぁ」
「──落合」
尚登と山本が同時に呟いた、陽葵も「え」と声が出てしまう。秘書課の課長で尚登に見合い相手を押し付けている人物がやりそうなことだと意見が一致した。
尚登はドアを押し開けた姿勢で立つ山本の背をそっとつつき、わずかに振り返った山本に親指で背後を示して知らせる──社長を呼んで来いというのだ。言葉もない指示だが山本は理解し視線だけで頷いて廊下へ出た。そんなツーカーなやり取りに二人は信頼しあっているのだろうと陽葵は感心する。
「ご用件を伺いましょう」
尚登は笑顔で聞くが、目は笑っていない。
「昨日、お会いできるのを楽しみにいておりましたのに、突然会えないと連絡がありましてとても残念でしたの。ですから本日、はせ参じてしまいましたわ!」
「……昨日」
尚登は呟き繰り返した、陽葵にも判る、見合い相手だ。
「まあ、わたくしのことなど、お忘れなのね!」
両手を顔の近くに持っていく動作といい、服や化粧のセンスも陽葵は違和感を感じた。尚登に会うために意識しすぎていているのか、そもそものセンスが的外れなのか、時代遅れなのか──もっと似合うものがあるだろうに、無理しているようにしか見えない。
「申し訳ありません、こと女性に関しては最近はお会いする機会が多く、どなたがどなたなのか」
尚登は素直に謝る、単に覚える気がなかっただけだがそれは言えない。
「中学時代の学友ですわ! 同じ学び舎で学んだ仲ではありませんか!」
知らねー、と呟く尚登の声は陽葵にだけ聞こえた。
「あの頃からずっとお慕い申し上げておりましたわ! わたくしが毎年のバレンタインデーに告白をしておりましたのも覚えていらっしゃらなくて?」
「申し訳ありません、その手の者は多くおりましたし、自分は勉学に忙しくてそれどころではなかったので、完全にその他大勢に入ってました」
微々たる自慢を交えながらの嫌味に、陽葵がヒヤヒヤしてしまう。
「高校に上がってもおそばにいると誓いましたのに尚登さんはアメリカに行ってしまわれて、わたくし傷心でしたのよ?」
「はあ」
尚登はなおも無関心に相づちを打つ。
「ご帰国されていたなんて存じ上げませんでしたわ! ご連絡がないなんて尚登さんは恥ずかしがり屋さんですのね!」
違うわと毒気づく尚登の声が聞こえ、心の中だけで収めてくれと陽葵は焦る。
相思相愛などではないと陽葵は心の中で叫ぶ。
「陽葵さんの心が決まり次第になるが、式や披露宴の支度は早く始めなくては駄目なんだ。会場を押さえるのも一苦労でな」
披露宴はまさにお披露目の場だ、血縁、親戚のみならず取引のある会社関係も呼ぶことになる。その数は優に数百人は超え、仁志の時は二日間に渡り、午前と午後の二部制で行ったほどだ。
「陽葵さんがその気になったらすぐに言ってくださいね──それと、陽葵さんのご家族へのご挨拶だが」
そればかりは声を抑えめにし、一呼吸入れてから続けた。
「尚登から聞いています、陽葵さんの意向に沿いますので無理はなさらぬよう。我々としてもそこまで形式張るつもりはないので、なんでも相談してください。陽葵さんさえよければ結納を行いますし、せめてご挨拶くらい伺えればと思っています」
優しい声に陽葵は俯き頷いた、古式ゆかしくならば結婚とは家と家とのつながりだ。だが自分にはその家族がない状態であり──恥じ入る気持ちを尚登が背を撫でくれたことで慰められた。
☆
食事を済ませ社に戻ってきた。エレベーターを降れば尚登と仁志は手を振って別れ、それぞれの執務室へ向かう。
ドアには錠の機構はついているが特に鍵などかけることはない、そのドアもほとんどは解放されたままで、不在時や来客の折に閉める程度だ。そのドアを山本が開けたが、中を見てぴたりと足を止めた。
「──どなたです?」
山本の厳しい声がした、副社長が不在時に誰が待っているというのか──。
「尚登さぁん!」
なんとも媚びた女の声が響く、山本越しにその人物が見えた尚登は思わず後ずさった。その人物は座っていたソファーから立ち上がるとようこそと言わんばかりに手を広げ尚登を迎えに来る。
「失礼ですがお名前を伺ってもよろしいでしょうか」
尚登を守るがごとく山本は仁王立ちになり鋭い声で聞いた。
「丸山塔子ですわぁ」
甘えた声での名乗りに尚登は小さな声でその名前を繰り返した、まったく覚えがない名だ。
「申し訳ありません、本日ご訪問の予定は聞いておりません、お相手を間違えてはおられませんか?」
山本はなおも緊張を解かず聞いた。客が来る予定の覚えはなく、そもそも来訪者は受付に名乗り出て、受付はその確認を取ってから対象の階に案内するのが手順だ。重役クラスならば秘書が受付まで迎えに来る。訪問相手が外出中ならば3階の受付があるロビーか、4階の商談室で待っていてもらうのがルールである、それがわざわざ不在の副社長室で待っているなど、おかしい話なのだ。
「落合課長にご案内いただきましたわぁ」
「──落合」
尚登と山本が同時に呟いた、陽葵も「え」と声が出てしまう。秘書課の課長で尚登に見合い相手を押し付けている人物がやりそうなことだと意見が一致した。
尚登はドアを押し開けた姿勢で立つ山本の背をそっとつつき、わずかに振り返った山本に親指で背後を示して知らせる──社長を呼んで来いというのだ。言葉もない指示だが山本は理解し視線だけで頷いて廊下へ出た。そんなツーカーなやり取りに二人は信頼しあっているのだろうと陽葵は感心する。
「ご用件を伺いましょう」
尚登は笑顔で聞くが、目は笑っていない。
「昨日、お会いできるのを楽しみにいておりましたのに、突然会えないと連絡がありましてとても残念でしたの。ですから本日、はせ参じてしまいましたわ!」
「……昨日」
尚登は呟き繰り返した、陽葵にも判る、見合い相手だ。
「まあ、わたくしのことなど、お忘れなのね!」
両手を顔の近くに持っていく動作といい、服や化粧のセンスも陽葵は違和感を感じた。尚登に会うために意識しすぎていているのか、そもそものセンスが的外れなのか、時代遅れなのか──もっと似合うものがあるだろうに、無理しているようにしか見えない。
「申し訳ありません、こと女性に関しては最近はお会いする機会が多く、どなたがどなたなのか」
尚登は素直に謝る、単に覚える気がなかっただけだがそれは言えない。
「中学時代の学友ですわ! 同じ学び舎で学んだ仲ではありませんか!」
知らねー、と呟く尚登の声は陽葵にだけ聞こえた。
「あの頃からずっとお慕い申し上げておりましたわ! わたくしが毎年のバレンタインデーに告白をしておりましたのも覚えていらっしゃらなくて?」
「申し訳ありません、その手の者は多くおりましたし、自分は勉学に忙しくてそれどころではなかったので、完全にその他大勢に入ってました」
微々たる自慢を交えながらの嫌味に、陽葵がヒヤヒヤしてしまう。
「高校に上がってもおそばにいると誓いましたのに尚登さんはアメリカに行ってしまわれて、わたくし傷心でしたのよ?」
「はあ」
尚登はなおも無関心に相づちを打つ。
「ご帰国されていたなんて存じ上げませんでしたわ! ご連絡がないなんて尚登さんは恥ずかしがり屋さんですのね!」
違うわと毒気づく尚登の声が聞こえ、心の中だけで収めてくれと陽葵は焦る。