弊社の副社長に口説かれています
☆
接待などがなければ定時退社だが、今日はやや遅くなった。夕飯担当の尚登が食べてから帰ろうというが、倹約が身に染みた陽葵は帰ろうと提案しかける、だが山本も一緒だと判れば素直に従い、野毛にあるラーメン屋に向かった。
場所柄飲み屋も多い、行きたいとソワソワする尚登を山本が引き留めてくれた。決して酒に弱いわけではないが、翌日酒の匂いなどさせていては困るといえば、尚登は不機嫌ながらも従った。つくづくこの二人は仲がいいと陽葵は感心してしまう。
「あっ、ここは私がお支払いしますっ!」
陽葵が店の前で財布を出しながら声を上げた、尚登が「ええー?」と笑顔で異を唱える。
「またかよ、もう諦めろよ」
「でもっ」
「じゃあ私は関係ないので、お先に買わせていただきますね」
山本は笑顔で言うとさっさと券売機で購入してしまう。
「ほれ、陽葵もなに食う?」
「副社長こそ!」
「だーかーらー」
「私の気が済みませんっ」
「ほんと生真面目だな」
尚登は笑う、そんなところが義妹につけいれられているのだろうと思う。
「判ったよ、じゃあ、マジでこれでチャラな。ラーメン替え玉付きと、玉子とチャーシュー追加、ビールもおねしゃす」
「え、そんなに食べるんですか、それでなんで太らないんですか?」
一緒に生活を始めてからも判る、特に節制をしている様子も配慮もなく気の向くままに食べたいものを食べたいだけ食べている印象だ、それでもむしろ痩せている方ではないのか。
「運動はしてるわな、まあ最近は運動というよりボディメイクが主だけど」
「それで維持できてるなら羨ましいです」
「前はマーシャルアーツにドはまりしてやってたから、その貯金はあるかもな」
「マーシャルアーツですか」
エクササイズとしてその名を聞いたことがあった。様々格闘技を組み合わせたものだ、パルクールのような演武もあったような気がする。尚登が体を動かす習慣があるのだと判った。
「興味あんなら、今度一緒に行ってみるか?」
「マーシャルアーツなんて無理です」
かなり身軽な印象だ。
「ボディメイクの方だよ」
「それなら──」
行ってみたいと言いかけ飲み込んだ、そんな約束はまるで本当の恋人のようではないか。
唇を引き結んでから自分用にはラーメンを購入するボタンを押した、替え玉を購入するくらいならこの麺を半分あげても──思いながら券売機に吸い込まれる5千円札を見つめた、とりあえず尚登に借りを返せたようでほっとした。
食べ終わると店の前で山本とは別れる。駅へ向かう山本を見送り、陽葵たちは歩いて帰宅することにした。
「だいぶ冷えるようになったな」
尚登が夜空を見上げて言う。10月も下旬だ、夜ともなれば冬が間近だと身をもって実感する。
「寒かったら抱きしめてやるぞ」
嬉しそうな尚登の提案を陽葵は冷ややかな目でけん制した、そんな陽葵を尚登は笑って受け入れる。
現に歩いて帰宅すれば十分温まった、もらった合鍵で尚登がドアを開錠する。どうぞ、と招き入れた瞬間、陽葵のスマートフォンが着信を知らせる。
「え……っ」
靴を脱ぎながら鞄を開く、そこにある文字を見て息を呑んだ、『Diana』──史絵瑠だ。
「なんだ、まだ諦めてなかったのか。陽葵同様しつこいな」
尚登は陽葵の手元を覗き込むと、さっさとスマートフォンを取り上げた。
「え……っ、なお……っ」
「もしもーし?」
スピーカーで応答し受話口に口を寄せることもなく靴を脱ぎ、玄関を上がる。
『なんであんたなのよ!』
すぐさま史絵瑠の大きな声が響いた。
「ご挨拶だな、俺だって当事者なんだよ」
答えれば史絵瑠はふんと鼻を鳴らす。
『姉は! いないの!?』
「いるけど、てめえと話すことはないってよ」
ネクタイを緩めながらソファーに座り尚登は答える、そんな荒っぽい回答に陽葵は青ざめるばかりだ、あまり喧嘩腰にはならないで欲しい。
『単に私の相手ができないだけでしょ、気が弱いから私の頼みを断れなくて』
「判ってんならもう電話してくんなよ」
『姉からスマホ預かってんの!?』
「そこまでしてねえよ、ちゃんと陽葵が持ってる」
『じゃあ、姉を出しなさいよ!』
「陽葵」
呼んだが電話を代ろうというのでない、手招き付きで呼ばれた陽葵が遠慮がちに隣り合わせに座れば、尚登は通話をビデオに変え同じ画面に二人並んで映りこんだ。
『お姉ちゃん』
嬉しそうな史絵瑠の声がして画面が切り替わる、満面の笑みの史絵瑠が映し出された。
『……って、あら、そこお姉ちゃんち?』
陽葵たちの背後に映るキッチンの様子に気が付いた、もっとも見えているのは吊戸棚くらいだが自宅だと推察できた。
『案外広そうじゃない』
それならと史絵瑠は思うが、尚登はなおも冷たい。
「広くないとはいわないがワンルームなんでね。あんたが住めるスペースはない」
もっと仲が良い身内や友人同士ならば住めないこともないだろうが、犬猿の仲の姉妹が住めるとは思えなかった。
『ほんとにあんたって……! お姉ちゃんはどうなのよ、一人や二人増えたってどうってことないでしょ!』
「どうってことは……」
ある、と言いたい。住人が増えれば管理会社にも届けなくてはいけない、つい先日尚登も住むことになったと管理人に知らせればなんとも好色そうな笑顔で見られた。こんな短期間にまた人が増えたなどと知らせるのなんとなく嫌だった。
『そこってどこなの?』
住所を聞き出し乗り込んでやろう──そんな思惑で聞いたが、尚登は笑顔で答える。
「川崎市中原区」
その答えに陽葵は驚き、史絵瑠は苛ついた様子で顔を歪めた。史絵瑠が現在も住む家の住所に間違いないからだ。
『ふざけんじゃないわよ!』
「諦めろって言ってんだよ、もうかけてくんな」
陽葵の頭に手をかけ愛おしそうに抱き寄せる様を見せつけてから通話を切った。
「……尚登くん……っ」
電源まで落としてからスマートフォンを返し、陽葵を解放する。
「判ったろ、あいつは十分図太い」
陽葵は自殺を心配していたが大丈夫だといいたい、陽葵は不安げながらも頷きスマートフォンを抱きしめた。
「まあ、ともあれ、やっぱ俺いてよかったじゃん」
陽葵の髪をひと撫でしてから立ち上がる尚登に頷いていた、それは間違いなかった。
接待などがなければ定時退社だが、今日はやや遅くなった。夕飯担当の尚登が食べてから帰ろうというが、倹約が身に染みた陽葵は帰ろうと提案しかける、だが山本も一緒だと判れば素直に従い、野毛にあるラーメン屋に向かった。
場所柄飲み屋も多い、行きたいとソワソワする尚登を山本が引き留めてくれた。決して酒に弱いわけではないが、翌日酒の匂いなどさせていては困るといえば、尚登は不機嫌ながらも従った。つくづくこの二人は仲がいいと陽葵は感心してしまう。
「あっ、ここは私がお支払いしますっ!」
陽葵が店の前で財布を出しながら声を上げた、尚登が「ええー?」と笑顔で異を唱える。
「またかよ、もう諦めろよ」
「でもっ」
「じゃあ私は関係ないので、お先に買わせていただきますね」
山本は笑顔で言うとさっさと券売機で購入してしまう。
「ほれ、陽葵もなに食う?」
「副社長こそ!」
「だーかーらー」
「私の気が済みませんっ」
「ほんと生真面目だな」
尚登は笑う、そんなところが義妹につけいれられているのだろうと思う。
「判ったよ、じゃあ、マジでこれでチャラな。ラーメン替え玉付きと、玉子とチャーシュー追加、ビールもおねしゃす」
「え、そんなに食べるんですか、それでなんで太らないんですか?」
一緒に生活を始めてからも判る、特に節制をしている様子も配慮もなく気の向くままに食べたいものを食べたいだけ食べている印象だ、それでもむしろ痩せている方ではないのか。
「運動はしてるわな、まあ最近は運動というよりボディメイクが主だけど」
「それで維持できてるなら羨ましいです」
「前はマーシャルアーツにドはまりしてやってたから、その貯金はあるかもな」
「マーシャルアーツですか」
エクササイズとしてその名を聞いたことがあった。様々格闘技を組み合わせたものだ、パルクールのような演武もあったような気がする。尚登が体を動かす習慣があるのだと判った。
「興味あんなら、今度一緒に行ってみるか?」
「マーシャルアーツなんて無理です」
かなり身軽な印象だ。
「ボディメイクの方だよ」
「それなら──」
行ってみたいと言いかけ飲み込んだ、そんな約束はまるで本当の恋人のようではないか。
唇を引き結んでから自分用にはラーメンを購入するボタンを押した、替え玉を購入するくらいならこの麺を半分あげても──思いながら券売機に吸い込まれる5千円札を見つめた、とりあえず尚登に借りを返せたようでほっとした。
食べ終わると店の前で山本とは別れる。駅へ向かう山本を見送り、陽葵たちは歩いて帰宅することにした。
「だいぶ冷えるようになったな」
尚登が夜空を見上げて言う。10月も下旬だ、夜ともなれば冬が間近だと身をもって実感する。
「寒かったら抱きしめてやるぞ」
嬉しそうな尚登の提案を陽葵は冷ややかな目でけん制した、そんな陽葵を尚登は笑って受け入れる。
現に歩いて帰宅すれば十分温まった、もらった合鍵で尚登がドアを開錠する。どうぞ、と招き入れた瞬間、陽葵のスマートフォンが着信を知らせる。
「え……っ」
靴を脱ぎながら鞄を開く、そこにある文字を見て息を呑んだ、『Diana』──史絵瑠だ。
「なんだ、まだ諦めてなかったのか。陽葵同様しつこいな」
尚登は陽葵の手元を覗き込むと、さっさとスマートフォンを取り上げた。
「え……っ、なお……っ」
「もしもーし?」
スピーカーで応答し受話口に口を寄せることもなく靴を脱ぎ、玄関を上がる。
『なんであんたなのよ!』
すぐさま史絵瑠の大きな声が響いた。
「ご挨拶だな、俺だって当事者なんだよ」
答えれば史絵瑠はふんと鼻を鳴らす。
『姉は! いないの!?』
「いるけど、てめえと話すことはないってよ」
ネクタイを緩めながらソファーに座り尚登は答える、そんな荒っぽい回答に陽葵は青ざめるばかりだ、あまり喧嘩腰にはならないで欲しい。
『単に私の相手ができないだけでしょ、気が弱いから私の頼みを断れなくて』
「判ってんならもう電話してくんなよ」
『姉からスマホ預かってんの!?』
「そこまでしてねえよ、ちゃんと陽葵が持ってる」
『じゃあ、姉を出しなさいよ!』
「陽葵」
呼んだが電話を代ろうというのでない、手招き付きで呼ばれた陽葵が遠慮がちに隣り合わせに座れば、尚登は通話をビデオに変え同じ画面に二人並んで映りこんだ。
『お姉ちゃん』
嬉しそうな史絵瑠の声がして画面が切り替わる、満面の笑みの史絵瑠が映し出された。
『……って、あら、そこお姉ちゃんち?』
陽葵たちの背後に映るキッチンの様子に気が付いた、もっとも見えているのは吊戸棚くらいだが自宅だと推察できた。
『案外広そうじゃない』
それならと史絵瑠は思うが、尚登はなおも冷たい。
「広くないとはいわないがワンルームなんでね。あんたが住めるスペースはない」
もっと仲が良い身内や友人同士ならば住めないこともないだろうが、犬猿の仲の姉妹が住めるとは思えなかった。
『ほんとにあんたって……! お姉ちゃんはどうなのよ、一人や二人増えたってどうってことないでしょ!』
「どうってことは……」
ある、と言いたい。住人が増えれば管理会社にも届けなくてはいけない、つい先日尚登も住むことになったと管理人に知らせればなんとも好色そうな笑顔で見られた。こんな短期間にまた人が増えたなどと知らせるのなんとなく嫌だった。
『そこってどこなの?』
住所を聞き出し乗り込んでやろう──そんな思惑で聞いたが、尚登は笑顔で答える。
「川崎市中原区」
その答えに陽葵は驚き、史絵瑠は苛ついた様子で顔を歪めた。史絵瑠が現在も住む家の住所に間違いないからだ。
『ふざけんじゃないわよ!』
「諦めろって言ってんだよ、もうかけてくんな」
陽葵の頭に手をかけ愛おしそうに抱き寄せる様を見せつけてから通話を切った。
「……尚登くん……っ」
電源まで落としてからスマートフォンを返し、陽葵を解放する。
「判ったろ、あいつは十分図太い」
陽葵は自殺を心配していたが大丈夫だといいたい、陽葵は不安げながらも頷きスマートフォンを抱きしめた。
「まあ、ともあれ、やっぱ俺いてよかったじゃん」
陽葵の髪をひと撫でしてから立ち上がる尚登に頷いていた、それは間違いなかった。