弊社の副社長に口説かれています
8.史絵瑠との決別
その週の金曜日、執務室でランチを摂っていると、尚登のスマートフォンが鳴った、電話の着信にスラックスから取り出し画面を見た尚登は立ち上がる。

「ちょっと部屋借りる」

断り秘書室に入る、誰からとも告げない様子に聞かれたくない話なのだと判り陽葵はわずかにむっとしてしまう。仕事関連はスマートフォンにもかかってくるが当然別室に入ることはない。それがわざわざ聞かれたくないと別室に行くとは──いやいやと陽葵は頭を振った、自分が気に掛けるなどおかしい話だ。
ドアまで締めた尚登は、わずか1~2分ほどで出てきた、本当に用件のみだったのだろう。誰からなのか気になりつつも、山本もプライベートなものと判り聞くこともないのでは、陽葵から質問することはできなかった。

それから2週間ほどしたころ、マンションの郵便受けに大きな封筒が届く。なにかのダイレクトメールかと見れば尚登宛だった。不要なチラシ類は隅に置かれたゴミ箱に放り込み、封筒を持ってエレベーター前で到着を待つ尚登にそれを手渡す。

「尚登くん宛です、って、なんで、もううち宛に郵便物が届くんですか」

渡しながら何気なく見れば封筒の下に印刷された差出人があった、大津事務所と書かれている、仕事関係かと思うがそれならば会社に届くだろう、先日の尚登宛の電話の主だとは陽葵は知る由もない。

「おお。なんだよ、いいじゃねえか、俺の現住所、ここだわ」

帰宅しても尚登はそれをすぐには開けず、まずは食事を済ませた。今日は手抜きで途中にあるステーキ店のテイクアウトである。それを食べ終わると陽葵が先にお風呂に入った、帰宅してすぐに溜めた湯舟で充分体を温めてから風呂から上がると尚登に声をかける。

「お風呂、空きました」

ソファーに座った尚登は難しい顔で書類を見ていた、前のローテーブルには先ほど届いた封筒がある。いつもの定型句を伝えれば、「ああ」と低い返事をするが、書類から目を離さない様子になんだろうと陽葵は思う。

「陽葵」

低い声のまま呼ばれた。

「ちょっとここ座んな」

ソファーの隣を指さす、陽葵はまだ湿り気の残る髪をタオルで拭いながらそこへ座った。雰囲気からよくない話であることは想像できたが逃げる方法は思いつかなかった。

「実は史絵瑠の事、探偵に依頼して調べてもらってた」
「え……っ」

出た名に息が止まった──そういえば尚登は以前「調べる」と言っていたと思い出した、その件か。

「やっぱお父さんとはなんにもないと思うぞ」

尚登は持っていた書類の束を陽葵に渡しながら言う、陽葵は受け取りつつも怒鳴っていた。

「思うって! なんでですか!」

大きな声を出すと、尚登はすぐさま落ち着けとなだめる。

「それは確たる証拠がないってだけだけどな。で、史絵瑠はおそらく男といたいがために嘘をついてでも家を出たいんじゃねえかな」
「嘘、って……」

史絵瑠に交際相手がいて、それを反対されているのか……それは父が史絵瑠を手放したくないからでは。

「最初の一週間は聞き込みで周辺の調査をしてもらったが、虐待については特にこれといって出なかった。懸念事項としてはそれだけだったから終わりにしてもよかったが、陽葵に伝えるには確たる証拠が欲しいともう少し突っ込んだ調査を頼んだ、尾行と盗聴な」

それが先日の電話だ、陽葵にはもちろん山本にも聞かれたくないと別室に入り依頼した。

「……盗聴……!」

そんなことをしてまで──こちらが犯罪を犯している気分になってしまう。

「で、2週間の音声データだけ抽出したものがこれ」

封筒に入っていたUSBメモリを取り出し示す。

「まあ聞くのはたるいだろうと、リストにもしてくれてる」

陽葵が持つA4サイズのコピー用紙を示した、表にされたそれには年月日と時間、会話された場所とどんな内容だったかが記されていた。見たくもないと思ったが、ちらりと視線を落としていた。場所はリビングと両親の寝室、史絵瑠の寝室となっていた、その3か所に家の壁に貼り付けるだけで内部の音が聞き取れるコンクリートマイクを仕掛けての作業だ。室内に入らず仕掛けられるが家に近づかないわけではない、特に2階にある史絵瑠に部屋は仕掛けるのに苦労する、探偵にもリスクはある捜査法だ。

会話はその全てが書かれているわけではない。○○についてとか、単に『(会話)』とあるはっきりとは聞き取れなかったもの、そして『(音)』とあるのは何かしらの音がしただけだ。それでもすべての音を聞きリスト化までするとは、仕事とはいえ労いたくなる。
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