弊社の副社長に口説かれています
9.愛するあなたと
夕飯は尚登が作ったガパオライスだった、おいしかったがあまり喉は通らなかったのが残念だった。
食後少しして風呂に入り、出ればテレビを観ていた尚登を交代し、ソファーに座って髪をタオルで拭っていた。尚登が観ていたのはお笑い番組だった、髪を拭いながらぼんやりと観るがいつもなら笑えるネタでも笑顔にすらならない。
テレビが流す言葉も耳を素通りしていく、脳内ではずっと史絵瑠や家族のことばかりが思い出された。
継母も史絵瑠も自分を嫌っていた──薄々は判っていた、でなければ恐ろしい形相で叩いたりはしないだろう、遠く九州の学校に閉じ込めたり、会うことすら拒んだりしない──しかし気づかないふりをしていた、家族だからとすべてを受け入れようとしていた。そして改めてその事実を突き付けられたくらいで傷ついている。とっくに縁を切ったつもりだったが、未だ家族だと思っていたのだ。
愚かすぎる、最初からそんなものなかったのに、ずっとすがりついていた。遠く離れても家族だと思っていたが継母が家族になったのは父の京助だけだったのだ、その父も新しい家族の方が大事なのだろう。
自分は最初から不要だった、とっくに一人だった、もう帰る場所はない。
「……お母さん」
小さな声で呼びかけた。今も生きていてくれればこんな思いをしなくて済んだだろう。
若くして亡くなった母との思い出は多くない、それでも毎日が楽しかった記憶だ──その顔を思い出した時急に写真を見たくなった。遺影も含め出力した物は部屋に飾ってあるが未だ実家に置いたままだ、それくらいは取りに行けないものかと急に焦燥に駆られる。九州に持っていけなかった荷物の多くは置きっぱなしになったままだ、既に処分されているとも限らないが取りに行きたい、父に頼めばもっとたくさんの母の写真分けてもらえないだろうか──じわりと滲んでくる涙にこぼれるなと念じていると髪を撫でられた。
温かく大きな手の持ち主を見上げれば、濡れた髪にタオルをかぶせた尚登が優しく微笑み立っていた。
「まだ気にしてるのか」
言われて「別に」と答え、首にかかるタオルを目に押し当てる。余計な心配はかけたくなかった。
「陽葵は悪くない」
力強い言葉に礼を述べる、父に嫌われても尚登がいればいいと思えた。
「今日は頑張ったな」
労いに微笑んだが笑顔にはなりきらなかった。
「尚登くんがいてくれたから……いなかったら無理でした」
会うことすら無理だったが、会えば押し切られ今頃家に招いていたことだろう。史絵瑠の思惑ははっきりとは判らなかったが、公衆の面前で嫌いだと啖呵が切れるほどの自分と暮らそうと思ったのはなにか腹にあってのことだろう──史絵瑠の告白に傷つきはしたが、結果としてははっきりしてよかったのは事実で──。
「本当に、ありがと──」
声は涙に潰れた、いろんな感情が入り混じり大粒の涙が落ちる。タオルで顔を覆う陽葵を、尚登は隣に座り抱きしめた。
「家族なんかいなくても生きていける」
確かにと陽葵は頷いた、現に何年も家族とは離れて暮らしていた、これからも一人だと思っていたのだ。
「俺がいる」
優しい声に陽葵の心は一気に溶けた。
「俺は陽葵がいればそれでいい」
熱い求めに自分もだと思った、ここまで自分が必要とされたことがあるだろうか──尚登の気持ちに応えたいが、涙が邪魔をした。
「我慢しなくていい、泣きな」
義理とはいえ妹からあてられた敵意は残酷だ、泣けば少しでも癒えるだろうと優しく背中を叩き言うが、陽葵は顔を覆ったまま小さく頭を振って応える。
家族とうまくいっていないとは既に告白した、それをはっきり突きつけられたからといって泣くなど恥ずかしさが先に立った。しかし我慢するほど涙は勝手に溢れてくる、優しく背を撫でてくれる尚登の優しさに甘えてその体にしがみついたが、声だけは喉の奥でかみ殺していた。
それがいけなかったのか、呼吸が怪しくなってくる。吸っているのに吸いきれない──また過呼吸だと判り、尚登と呼吸を合わせ整えようとしたが、尚登は体を離してしまう。
いつものように助けて──声にならない懇願をした時、口を口で塞がれた。いつかのキスを思い出しそんな場合ではないと焦るが、そのキスはホテルのレストランで受けたものとは違いただ口を塞ぐだけのものだった。唇からいつも言う合わせろという呼吸が直接感じられた、陽葵は素直にそのキスを受け入れゆっくりと呼吸を繰り返す、背中に添えた手もその呼吸を知らせてくれた。
1分か2分──ようやく呼吸が落ち着き、尚登はもったいぶるように離れていく。
「大丈夫か」
優しい声に頷いていた、額をつけるように近くにいる尚登が恥ずかしく俯きかけたが、顎に指がかかり上向きにされた。そして再び唇が重なる、今度は味わうように食み、音を立てて離れる。同じキスなのに感じ方が全く違うのが不思議だった、脳が蕩けて行く感覚に身を委ねてしまいたい。
目を合わせた尚登が潤む視界の中にいる、それは悲しみの涙ではない。
「──陽葵」
優しい声で呼ばれ頬を撫でられた、それだけで全身が熱くなってくる。震える唇がようやく返事をしようとしたのに、その前に再度口を塞がされた。
舌が侵入してくるのを受け入れた、優しく絡み合うのが心地よく陽葵は尚登の背にある手に力を込めていた。
いつの間にかテレビは消えていた、静かな室内にキスの音と微かに乱れる呼吸音が響く、そんな音が聴覚を支配し全身がゾクゾクした。
尚登の指が喉を撫で、胸の谷間をなぞれば体がビクビクと震えてしまう、その指は肋骨に沿うようにして背中に回る、それだけでため息が漏れた。
「──嫌がらないのか」
なにをと陽葵はのんびり考えた──ああ、苦手な触れるという行為についてだとゆっくり思い当たる──むしろ離れたくなかった。
「嫌じゃ、ないです」
小さな声で訴え離れたくないと尚登の体に腕を回した、温かくて心地よく、遠くでトクトクと心臓が鼓動を刻んでいるのがとても安心できた。
尚登は陽葵の髪にキスをする、体を寄せてくる陽葵が愛おしい、接触恐怖症だという陽葵が安心したように息を吐くことにほっとした。
「──じゃあ……ちゃんと言いな」
囁くような尚登の声が何を求めているのか、なぜだかはっきりと判った。
「好き……」
ため息交じりに答えていた。
「私……尚登くんが、好き、です」
ようやく陽葵の心を溶かせた──尚登は安堵と喜びから笑顔で答える。
「俺も好きだよ、陽葵──愛してる」
堪えきれずキスをした、優しく付いては離れるを何度も繰り返した後、腕で後頭部を固定し口内に舌を侵入させる。先日の戸惑った様子とは違い、息も弾ませそれを受け入れる陽葵が愛おしかった。
熱いキスに心が解放されていくのを陽葵は感じていた、尚登になら何をされてもいい、全てを捧げたい──その気持ちを硬い背中に這わせた手に込め、滑らかな髪を撫でることで示した。
音を立てて唇が離れる、見つめあった瞳は熱く潤み揺れている、互いにその先を求めていると判った。
「──始めたらやめねえよ?」
囁くように確認すれば、陽葵は小さくうなずく。恥じらいを見せるその顔が愛おしく、髪を、頬を撫でた。陽葵は揺れる瞳を伏せただけで拒絶はしない。
「賭けは俺の勝ちだな」
「……賭け……?」
何のことだと溶け切った頭で考えた。
「ひと月で陽葵が俺に惚れなかったら諦めるって話」
「ああ……」
そうだと思い出した、尚登となど無理だとそんな提案をしていた。
その頃から比べれば自分の気持ちの違いがはっきりと判る。ここまで尽くしてくれる尚登を拒絶する理由がない、嫌いな素振りを見せても掛け値なしに愛情表現をしてくれた尚登に応えたい思いの方が勝っていた。
笑顔で手を伸ばし尚登の髪に触れ、頭を抱きしめた。近づく尚登はそのままキスをする、キスがこんなに気持ちが良いものだと初めて知った。身も心も溶けていく感覚が心地よかった、もっともっと味わいたい──尚登がいればいい、尚登なしでは生きられないと実感した。
「大好き」
僅かに唇が離れた隙に気持ちを伝えた、感情の全て言葉にするのは難しくこんな短い単語になってしまうのがもどかしい。
「陽葵」
尚登の返答もまた短いものだった、だがそれで十分だった、名を呼ばれることがこんなに嬉しいと思うのは初めてだった。
食後少しして風呂に入り、出ればテレビを観ていた尚登を交代し、ソファーに座って髪をタオルで拭っていた。尚登が観ていたのはお笑い番組だった、髪を拭いながらぼんやりと観るがいつもなら笑えるネタでも笑顔にすらならない。
テレビが流す言葉も耳を素通りしていく、脳内ではずっと史絵瑠や家族のことばかりが思い出された。
継母も史絵瑠も自分を嫌っていた──薄々は判っていた、でなければ恐ろしい形相で叩いたりはしないだろう、遠く九州の学校に閉じ込めたり、会うことすら拒んだりしない──しかし気づかないふりをしていた、家族だからとすべてを受け入れようとしていた。そして改めてその事実を突き付けられたくらいで傷ついている。とっくに縁を切ったつもりだったが、未だ家族だと思っていたのだ。
愚かすぎる、最初からそんなものなかったのに、ずっとすがりついていた。遠く離れても家族だと思っていたが継母が家族になったのは父の京助だけだったのだ、その父も新しい家族の方が大事なのだろう。
自分は最初から不要だった、とっくに一人だった、もう帰る場所はない。
「……お母さん」
小さな声で呼びかけた。今も生きていてくれればこんな思いをしなくて済んだだろう。
若くして亡くなった母との思い出は多くない、それでも毎日が楽しかった記憶だ──その顔を思い出した時急に写真を見たくなった。遺影も含め出力した物は部屋に飾ってあるが未だ実家に置いたままだ、それくらいは取りに行けないものかと急に焦燥に駆られる。九州に持っていけなかった荷物の多くは置きっぱなしになったままだ、既に処分されているとも限らないが取りに行きたい、父に頼めばもっとたくさんの母の写真分けてもらえないだろうか──じわりと滲んでくる涙にこぼれるなと念じていると髪を撫でられた。
温かく大きな手の持ち主を見上げれば、濡れた髪にタオルをかぶせた尚登が優しく微笑み立っていた。
「まだ気にしてるのか」
言われて「別に」と答え、首にかかるタオルを目に押し当てる。余計な心配はかけたくなかった。
「陽葵は悪くない」
力強い言葉に礼を述べる、父に嫌われても尚登がいればいいと思えた。
「今日は頑張ったな」
労いに微笑んだが笑顔にはなりきらなかった。
「尚登くんがいてくれたから……いなかったら無理でした」
会うことすら無理だったが、会えば押し切られ今頃家に招いていたことだろう。史絵瑠の思惑ははっきりとは判らなかったが、公衆の面前で嫌いだと啖呵が切れるほどの自分と暮らそうと思ったのはなにか腹にあってのことだろう──史絵瑠の告白に傷つきはしたが、結果としてははっきりしてよかったのは事実で──。
「本当に、ありがと──」
声は涙に潰れた、いろんな感情が入り混じり大粒の涙が落ちる。タオルで顔を覆う陽葵を、尚登は隣に座り抱きしめた。
「家族なんかいなくても生きていける」
確かにと陽葵は頷いた、現に何年も家族とは離れて暮らしていた、これからも一人だと思っていたのだ。
「俺がいる」
優しい声に陽葵の心は一気に溶けた。
「俺は陽葵がいればそれでいい」
熱い求めに自分もだと思った、ここまで自分が必要とされたことがあるだろうか──尚登の気持ちに応えたいが、涙が邪魔をした。
「我慢しなくていい、泣きな」
義理とはいえ妹からあてられた敵意は残酷だ、泣けば少しでも癒えるだろうと優しく背中を叩き言うが、陽葵は顔を覆ったまま小さく頭を振って応える。
家族とうまくいっていないとは既に告白した、それをはっきり突きつけられたからといって泣くなど恥ずかしさが先に立った。しかし我慢するほど涙は勝手に溢れてくる、優しく背を撫でてくれる尚登の優しさに甘えてその体にしがみついたが、声だけは喉の奥でかみ殺していた。
それがいけなかったのか、呼吸が怪しくなってくる。吸っているのに吸いきれない──また過呼吸だと判り、尚登と呼吸を合わせ整えようとしたが、尚登は体を離してしまう。
いつものように助けて──声にならない懇願をした時、口を口で塞がれた。いつかのキスを思い出しそんな場合ではないと焦るが、そのキスはホテルのレストランで受けたものとは違いただ口を塞ぐだけのものだった。唇からいつも言う合わせろという呼吸が直接感じられた、陽葵は素直にそのキスを受け入れゆっくりと呼吸を繰り返す、背中に添えた手もその呼吸を知らせてくれた。
1分か2分──ようやく呼吸が落ち着き、尚登はもったいぶるように離れていく。
「大丈夫か」
優しい声に頷いていた、額をつけるように近くにいる尚登が恥ずかしく俯きかけたが、顎に指がかかり上向きにされた。そして再び唇が重なる、今度は味わうように食み、音を立てて離れる。同じキスなのに感じ方が全く違うのが不思議だった、脳が蕩けて行く感覚に身を委ねてしまいたい。
目を合わせた尚登が潤む視界の中にいる、それは悲しみの涙ではない。
「──陽葵」
優しい声で呼ばれ頬を撫でられた、それだけで全身が熱くなってくる。震える唇がようやく返事をしようとしたのに、その前に再度口を塞がされた。
舌が侵入してくるのを受け入れた、優しく絡み合うのが心地よく陽葵は尚登の背にある手に力を込めていた。
いつの間にかテレビは消えていた、静かな室内にキスの音と微かに乱れる呼吸音が響く、そんな音が聴覚を支配し全身がゾクゾクした。
尚登の指が喉を撫で、胸の谷間をなぞれば体がビクビクと震えてしまう、その指は肋骨に沿うようにして背中に回る、それだけでため息が漏れた。
「──嫌がらないのか」
なにをと陽葵はのんびり考えた──ああ、苦手な触れるという行為についてだとゆっくり思い当たる──むしろ離れたくなかった。
「嫌じゃ、ないです」
小さな声で訴え離れたくないと尚登の体に腕を回した、温かくて心地よく、遠くでトクトクと心臓が鼓動を刻んでいるのがとても安心できた。
尚登は陽葵の髪にキスをする、体を寄せてくる陽葵が愛おしい、接触恐怖症だという陽葵が安心したように息を吐くことにほっとした。
「──じゃあ……ちゃんと言いな」
囁くような尚登の声が何を求めているのか、なぜだかはっきりと判った。
「好き……」
ため息交じりに答えていた。
「私……尚登くんが、好き、です」
ようやく陽葵の心を溶かせた──尚登は安堵と喜びから笑顔で答える。
「俺も好きだよ、陽葵──愛してる」
堪えきれずキスをした、優しく付いては離れるを何度も繰り返した後、腕で後頭部を固定し口内に舌を侵入させる。先日の戸惑った様子とは違い、息も弾ませそれを受け入れる陽葵が愛おしかった。
熱いキスに心が解放されていくのを陽葵は感じていた、尚登になら何をされてもいい、全てを捧げたい──その気持ちを硬い背中に這わせた手に込め、滑らかな髪を撫でることで示した。
音を立てて唇が離れる、見つめあった瞳は熱く潤み揺れている、互いにその先を求めていると判った。
「──始めたらやめねえよ?」
囁くように確認すれば、陽葵は小さくうなずく。恥じらいを見せるその顔が愛おしく、髪を、頬を撫でた。陽葵は揺れる瞳を伏せただけで拒絶はしない。
「賭けは俺の勝ちだな」
「……賭け……?」
何のことだと溶け切った頭で考えた。
「ひと月で陽葵が俺に惚れなかったら諦めるって話」
「ああ……」
そうだと思い出した、尚登となど無理だとそんな提案をしていた。
その頃から比べれば自分の気持ちの違いがはっきりと判る。ここまで尽くしてくれる尚登を拒絶する理由がない、嫌いな素振りを見せても掛け値なしに愛情表現をしてくれた尚登に応えたい思いの方が勝っていた。
笑顔で手を伸ばし尚登の髪に触れ、頭を抱きしめた。近づく尚登はそのままキスをする、キスがこんなに気持ちが良いものだと初めて知った。身も心も溶けていく感覚が心地よかった、もっともっと味わいたい──尚登がいればいい、尚登なしでは生きられないと実感した。
「大好き」
僅かに唇が離れた隙に気持ちを伝えた、感情の全て言葉にするのは難しくこんな短い単語になってしまうのがもどかしい。
「陽葵」
尚登の返答もまた短いものだった、だがそれで十分だった、名を呼ばれることがこんなに嬉しいと思うのは初めてだった。