弊社の副社長に口説かれています
「陽葵が九州まで行ったのは、陽葵が言い出したことになっているらしい」

尚登は陽葵を覗き込むようにして言った、陽葵はじかれたように顔を上げる。

「私、そんなこと言ってな……!」
「──本当だよ」

陽葵がかすれた声で訴えれば、京助は静かな声で肯定した。

「私からすればまだ幼い陽葵がそんな遠くに行ってしまうのが残念だった、でもお義母さんが──新奈が子どもの意見は尊重すべきだ、難関大学への進学率も高くて自慢できる学校だから、行けばきっと本人のためになると言うから」

京助の言葉に陽葵は首を左右に振ることしかできなかった。先日の史絵瑠(シエル)の言葉も脳内を回り出す、継母も史絵瑠も陽葵が嫌いだから九州へやったのだと──それこそが真実だ。年末年始の帰省も誰一人、京助だって歓迎してはくれなかったのに。

「大学も、聖ミシェルだと聞いてますね」

尚登が聞けば、京助はすぐさま答える。

「ええ。だから史絵瑠も追いかけて入学したと言われ、仲が良い姉妹でよかったと思ったものです。陽葵が関東に帰ってきても実家に戻らないことは残念だと思いましたが、それだけに姉妹で交流があればそれもいいと」

違うと言いたい声は、涙にしかならなかった。

「陽葵は東大出身です、その証明書も入社時に提出されています」
「……そんな……」

京助は初めて聞く事実にショックは大きい。

「聖ミシェルの学費やらなにやらをずいぶん払っていたが……陽葵が都内で住まいを構えるからとその生活費も」
「──もらってない……!」

陽葵は声を絞り出した、なぜそんなことになっているのか、自分の苦労はいったい──。 

「──余計なことをお聞きしますが、そのお金はどこへ消えたんでしょう」

京助は頭を抱えるようにして大きなため息を吐いた。

「判らない──妻の……新奈の言われるがままに渡していた……」

陽葵が連絡を取らないことをいいことに、新奈は嘘をつき続けた。陽葵が戻ってきても、京助と連絡を取ることがあっても、のらりくらりとかわす自信があってのことだ、そんな新奈の本性を京助はまったく気づかずにいた。
学費も直接京助の口座から引き落とせばいいものを、専用の口座を作ったと嘘をついた。学部にもよるが私学の聖ミシェルの学費は陽葵が通った国立大学よりもはるかに高額だ、そのお金はどこに消えたというのか──疑うこともなく払い続けていた自分を呪った。

「済まなかった、陽葵。お義母さんは頑張って君のお母さんになろうとしてくれていると思っていた。君のことをよく褒めていたし、自慢の娘だと言っていたし、すっかり仲良くやっているものだと任せきりだった」

仲良くなどありえない──叫びたい言葉が出ない、父からはそんな風に見えていたのかと思う衝撃の方が強かった。継母の嘘を疑うこともなく信じたとは、やはり自分より継母の方が大事ということなのか──。

「よく陽葵の近況も知らせてくれたよ、なにかあれば知らせている様子に、本当の母子(おやこ)のようだとほっとしていたんだ」
「……きんきょう……?」
「ああ、学生時代は行事や友人の話だった、親元から遠く離れても楽しくやっているようだと嬉しそうに話してくれた。最近では仕事の悩みだね、新規の契約を取りに行くのが大変だとこぼしているから、うちで新規に契約をしてあげよう、なんて」

完璧な作り話だ、陽葵は大きなため息とともに涙が零れ落ちる。

「──全部、嘘だったのか──」

事実を知った京助もまた、大きなため息を吐いた。女性同士、仲良くやっているのだと信じて疑っていなかった、やはり再婚をしてよかったと勝手に安心していた──今度は大きく息を吸い陽葵を見つめる、その瞳には決意が宿っていた。

陽葵(ひまり)。尚登さんから聞いた、私は天地神明に誓って、史絵瑠(シエル)に乱暴などしていない」

言葉を聞き終わる前に陽葵は息を呑み尚登を見た、なぜ直接本人に──もちろん尚登も事実無根の確証があってのことだ。小さく肩をすくめてから涙を拭うためのハンカチを手渡し尚登は陽葵の非難に応える。

「電話での話しぶりからでも、陽葵や史絵瑠から聞いた様子とは明らかに印象が違うと感じた。史絵瑠には直接問い質さないでくれと頼んで、聞いた」

おそらく史絵瑠も陽葵についたその場限りの嘘で、周囲に言いふらすようなことはしていないだろうと踏んでのことだ。だが陽葵はなおも疑心暗鬼である、大罪を簡単に自供するだろうか。

「やっていないという証拠を出すのは難しい」

陽葵の疑念を感じ取った京助が重い声で語る、それは『悪魔の証明』と呼ばれるものだ。

「だがやったという証拠も一切ない、信じてほしい」

まっすぐな京助の瞳に、陽葵は小さくうなずく。

「虐待についても、実の娘の陽葵と義理の娘の史絵瑠を平等に扱わなくては思う中、陽葵には厳しく当たっていた覚えがある、そして史絵瑠には甘かった。そんなことで陽葵が嫌な思いをしていて九州に行きたいなどと言い出したものだと思っていたんだ」
「……九州は……お義母さんが受験しろって言ったの……お父さんも了承してる、って……」

小さな声で言えば、京助は目を見開いた。
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