弊社の副社長に口説かれています
「あの、本当に一人でも大丈夫ですので……」
次の駅で降りてくださいと続けようとしたが。
「ああ、会社に寄りますので、お気になさらずに」
尚登はにこりと微笑み言う、みなとみらい駅までは一緒なのだと理解した。
「日曜日にもお仕事ですか、大変ですね」
陽葵は基本的に残業も休日出勤もないが、重役は忙しいなどと思ったが。
「まあ。仕事みたいなものですね」
尚登のぶっきらぼうな声と仏頂面は見逃さなかった。
「あ……もしかして、お見合いですか?」
思わず聞いてしまえば尚登は盛大なため息を吐いた。
まさしくだ、目黒にある高級ホテルでセッティングされた見合いに行き、相手には結婚はしないと断り逃げてきたところだった。度重なる見合いが社内でも噂になっていることなど知っている。
「結婚するつもりはないと言っているのに、どうにも諦めが悪い。そもそも私がアメリカの大学院まで行ったのが気に入らなかったようですね、20代半ばなどとっくに結婚していてもいい年だとうるさいんです。祖父にはひ孫の顔を見ないと死ねないと言うので、長生きできていいなと返せば怒られましたし」
そんな嫌味を返せばそうだろうと陽葵は呆れた。だが遠目から見れば神々しいまでに見えていた尚登の人間臭く見える仕草と文句にくすりと微笑んでいた、尚登は嫌そうな顔で陽葵を見る。
「他人事だと思っているでしょう」
「いえ、すみません、副社長でも悩みがおありなんだと、少し安心したんです」
順風満帆な人生で、完璧な人で悩みなどなく、あってもどんな問題でも簡単に乗り越えられる人なのだと、勝手に思っていたようだ。
「そりゃあります──結婚相手くらい自分で選ぶので放っておいて欲しいですね。見合いなんて肉食獣の檻に放り込まれたウサギの気持ちになります、今日も怖くて逃げだしました」
例えが的確過ぎて、陽葵は納得できた。うまくすればこの美丈夫な副社長と、周囲に大歓迎されて結婚できるのだ。イケメンの伴侶という立場だけではなく、いずれは総資産2千億円の会社の社長夫人の座にもおさまるならば、なんとしてでも手に入れたいと思うのは人の性だろう。恐ろしいまでにギラギラ殺気立っているのではないだろうか、そんな相手を前にしたら誰でも逃げたくなるのは当然だ。そして本当に逃げてきたのだろうと想像できた、副社長レベルの者が送迎の車もないなんてありえない、逃げ出し電車で一人帰ろうとし自分と会ったのだと判った。
「それでも会わずに逃げることをしないだけでも副社長が誠実だと判ります」
「ご挨拶もなくというのはさすがに失礼ですからね。うちの親や祖父の顔に泥を塗るくらいはどうということはないですが、お相手にも体面がありますからバックれるというのは」
尚登の優しさに触れて、陽葵は頷いていた。
「副社長に早くいいかたが現れることを祈ります」
これだけのスペックの男相手だ、見合い相手も断られたくらいでは諦めないだろう、会えたからにはせめてお付き合いくらいと食い下がるに違いない。それを毎回断るのも大変だろう、恋人でもできれば毎週お見合いなどということはなくなるのでは思った。
尚登はありがとうと微笑み言葉を続ける。
「よかった、顔色はよくなりましたね」
言われて陽葵は両手で顔を包み込んだ、どれほど顔色は悪かったのか。
「はい、おかげさまで」
思わず言っていた、尚登の隣でいるだけで血流がよくなるような気がするのは、自分だけはないかもしれない。
「顔が真っ白になるほど苦手な人って、誰ですか?」
何気なく聞いていた、完全に血の気を失った顔をしていたのだ、苦手な虫を見たと想像すれば判るような気がするほどだ。聞かれた陽葵は途端に史絵瑠のことを思い出した、史絵瑠の笑顔を思い出しただけで──こみ上げてきたすっぱいものに口を手で覆っていた。
「……すみません、余計なことを聞きましたか」
尚登はジャケットのポケットから白いハンカチを出しながら謝った。
「いえ……すみません、大丈夫です」
ハンカチは辞退し、鞄からミニタオルを出し口を押えながら答える。
「……すみません、恥ずかしながら、妹なんです……その、私、家族と仲が悪くて、もう何年も会わずにいたんですけど……」
いろんなことをオブラートに包んだ、大いなる問題は言う必要はないだろう。
「……でも妹は全部忘れたかのように、本当に親しい人を相手にしたように久しぶり、ゆっくり話がしたいなんて言われて……なんか……」
思いのたけを言葉にしようとすると、それは涙になって零れ落ちた。慌ててタオルで目を覆いそれを隠したが尚登は仕草で気づいた。青ざめた顔に涙、せめて慰めようと陽葵の頭に手をかけそっと抱き寄せていた──余計なことをしていると思ったが、放ってなどおけなかった。
「え、あの……!」
「要らないことを聞きましたね、忘れましょう」
声は尚登の体を通して直接聞こえた、そして周囲の声も感じられる、ええ、嘘などというざわめきと共に、ため息やら息を呑む気配だ。尚登がどれだけ目立つ存在かよく判った。
「はい、はい、忘れました……っ、あの、本当に……ありがとう、ございます……」
礼を述べて離れようとしたが、尚登はむしろ手に力を込める。
次の駅で降りてくださいと続けようとしたが。
「ああ、会社に寄りますので、お気になさらずに」
尚登はにこりと微笑み言う、みなとみらい駅までは一緒なのだと理解した。
「日曜日にもお仕事ですか、大変ですね」
陽葵は基本的に残業も休日出勤もないが、重役は忙しいなどと思ったが。
「まあ。仕事みたいなものですね」
尚登のぶっきらぼうな声と仏頂面は見逃さなかった。
「あ……もしかして、お見合いですか?」
思わず聞いてしまえば尚登は盛大なため息を吐いた。
まさしくだ、目黒にある高級ホテルでセッティングされた見合いに行き、相手には結婚はしないと断り逃げてきたところだった。度重なる見合いが社内でも噂になっていることなど知っている。
「結婚するつもりはないと言っているのに、どうにも諦めが悪い。そもそも私がアメリカの大学院まで行ったのが気に入らなかったようですね、20代半ばなどとっくに結婚していてもいい年だとうるさいんです。祖父にはひ孫の顔を見ないと死ねないと言うので、長生きできていいなと返せば怒られましたし」
そんな嫌味を返せばそうだろうと陽葵は呆れた。だが遠目から見れば神々しいまでに見えていた尚登の人間臭く見える仕草と文句にくすりと微笑んでいた、尚登は嫌そうな顔で陽葵を見る。
「他人事だと思っているでしょう」
「いえ、すみません、副社長でも悩みがおありなんだと、少し安心したんです」
順風満帆な人生で、完璧な人で悩みなどなく、あってもどんな問題でも簡単に乗り越えられる人なのだと、勝手に思っていたようだ。
「そりゃあります──結婚相手くらい自分で選ぶので放っておいて欲しいですね。見合いなんて肉食獣の檻に放り込まれたウサギの気持ちになります、今日も怖くて逃げだしました」
例えが的確過ぎて、陽葵は納得できた。うまくすればこの美丈夫な副社長と、周囲に大歓迎されて結婚できるのだ。イケメンの伴侶という立場だけではなく、いずれは総資産2千億円の会社の社長夫人の座にもおさまるならば、なんとしてでも手に入れたいと思うのは人の性だろう。恐ろしいまでにギラギラ殺気立っているのではないだろうか、そんな相手を前にしたら誰でも逃げたくなるのは当然だ。そして本当に逃げてきたのだろうと想像できた、副社長レベルの者が送迎の車もないなんてありえない、逃げ出し電車で一人帰ろうとし自分と会ったのだと判った。
「それでも会わずに逃げることをしないだけでも副社長が誠実だと判ります」
「ご挨拶もなくというのはさすがに失礼ですからね。うちの親や祖父の顔に泥を塗るくらいはどうということはないですが、お相手にも体面がありますからバックれるというのは」
尚登の優しさに触れて、陽葵は頷いていた。
「副社長に早くいいかたが現れることを祈ります」
これだけのスペックの男相手だ、見合い相手も断られたくらいでは諦めないだろう、会えたからにはせめてお付き合いくらいと食い下がるに違いない。それを毎回断るのも大変だろう、恋人でもできれば毎週お見合いなどということはなくなるのでは思った。
尚登はありがとうと微笑み言葉を続ける。
「よかった、顔色はよくなりましたね」
言われて陽葵は両手で顔を包み込んだ、どれほど顔色は悪かったのか。
「はい、おかげさまで」
思わず言っていた、尚登の隣でいるだけで血流がよくなるような気がするのは、自分だけはないかもしれない。
「顔が真っ白になるほど苦手な人って、誰ですか?」
何気なく聞いていた、完全に血の気を失った顔をしていたのだ、苦手な虫を見たと想像すれば判るような気がするほどだ。聞かれた陽葵は途端に史絵瑠のことを思い出した、史絵瑠の笑顔を思い出しただけで──こみ上げてきたすっぱいものに口を手で覆っていた。
「……すみません、余計なことを聞きましたか」
尚登はジャケットのポケットから白いハンカチを出しながら謝った。
「いえ……すみません、大丈夫です」
ハンカチは辞退し、鞄からミニタオルを出し口を押えながら答える。
「……すみません、恥ずかしながら、妹なんです……その、私、家族と仲が悪くて、もう何年も会わずにいたんですけど……」
いろんなことをオブラートに包んだ、大いなる問題は言う必要はないだろう。
「……でも妹は全部忘れたかのように、本当に親しい人を相手にしたように久しぶり、ゆっくり話がしたいなんて言われて……なんか……」
思いのたけを言葉にしようとすると、それは涙になって零れ落ちた。慌ててタオルで目を覆いそれを隠したが尚登は仕草で気づいた。青ざめた顔に涙、せめて慰めようと陽葵の頭に手をかけそっと抱き寄せていた──余計なことをしていると思ったが、放ってなどおけなかった。
「え、あの……!」
「要らないことを聞きましたね、忘れましょう」
声は尚登の体を通して直接聞こえた、そして周囲の声も感じられる、ええ、嘘などというざわめきと共に、ため息やら息を呑む気配だ。尚登がどれだけ目立つ存在かよく判った。
「はい、はい、忘れました……っ、あの、本当に……ありがとう、ございます……」
礼を述べて離れようとしたが、尚登はむしろ手に力を込める。