弊社の副社長に口説かれています
12.罠
「いいわよ、許してあげる」
陽葵は小さくなったまま何度も頷いた。
陽葵が男に車に連れ込まれる様を、マンションから出てきた小宮が見ていた。
「あら、何事? え? 高見沢さんは?」
いつ見ても一緒にいる長身の美男子の姿は、見回しても内にも外にもない。車は目の前を走り抜けていく、男女に挟まれた陽葵が小さくなっているのが見えた。
「え、ちょっとこれ、ヤバイんじゃないの……?」
車のナンバーを確認した、通行人も気を利かせてかスマートフォンで撮影している。ナンバーを口内で繰り返しながら慌ててマンションの中へ戻り、普段行くことがない7階までエレベーターで上がった。部屋番号だって聞いている、ひとつ階は挟んでいるが真上ねと笑って話したのだ。
インターフォンを押した、だがターンが終わっても反応はない。もう一度押したが同様だった。
「高見沢さん」
呼びながらドアをノックした、さらにインターフォンも押す。
眠りこける尚登は一度寝返りを打ってから、のろのろと目を覚ました。その時はっきりとノックの音が聞こえた。
「ん……? 陽葵?」
見える場所にはいない、トイレか風呂かと思いながら、なおも鳴り続けるノックとインターフォンにベッドを抜け出し、通話ボタンを押す。
「はい」
『ああ、よかった! いた!』
ドア脇のインターフォンではモニターは映らない、だが声で小宮だと判った。
「おはようございます」
言いながら時計を見てしまったと思う、既に昼に近い。
「おはよう! ねえ、陽葵ちゃん、どっか行くって言ってた!?」
「え?」
改めて室内を見た、陽葵がいる気配はなく、つっかけのサンダルもない。一人で出かけたのだ。
「いえ──聞いてないです」
「じゃあ誘拐よ! 絶対そうよ! 陽葵ちゃん、可愛いもの! 車にね! 押し込まれて連れて行かれちゃったの!」
「……誘拐」
思わず繰り返した。子どもの頃はよく脅されたものだ、有名企業の一人息子だ、万が一もあるかもしれない、十分に注意しろと。
幼いころはそうか、怖いなと思ったが、ある程度成長すれば周囲は一人で外出することなど当たり前なのに、いつまでもどこへでも大人と一緒に行動するのが馬鹿馬鹿しくも思えた。だが、それが今現実になった──しかも、陽葵とは……!
「警察に連絡は」
「するわね! 多分他に見ていた人がしていると思うんだけど!」
「どこで見たんですか」
「すぐそこよ、駐車場の前あたり!」
言われ、確実に陽葵が狙われたのだと判る。
「ごめんなさいね、車の種類は私は判らないわ、でも車のナンバーは覚えたわよ、えっとね、言うわよ、川崎、わ、80……」
「──川崎」
メモを引き寄せながらつぶやいた、陽葵の出身地だ、そして『わ』ナンバーは多くはレンタカーである。一瞬は史絵瑠の仕業かと思ったが陽葵と住みたいと言っていたのだ、この近くで犯行に及んだというなら家の場所は判っているということだ、ならば素直にマンションに乗り込んで来ればいいだけだ。手間暇をかけて誘拐するなど──まだ見ぬ陽葵の継母が脳裏に過ぎる。