弊社の副社長に口説かれています
13.事が過ぎて
時をおかずして警察がやってきたのは尚登の連絡を受けてだ。だが拉致現場を見た者の複数の通報から捜査は始まっており、駐車場の車のナンバーを見てこれだと納得していた。
男たちは尚登によってパラダイスロックをかけられ床に転がっていた。関節や筋肉が硬い男性やぽっちゃり体型ではまず自力では解けないという手足を組んだプロレス技だが、尚登はどこでそんなものを覚えたのだろうと陽葵は不思議に思う。京助を縛っていたロープでさらに手首と足首も固定する念の入用だ。二人は警察にたたき起こされ連行されていった。
母、新奈も。
警察官に挟まれ、ぶつぶつと呟きながら歩いていた、生気を失った様子だが同情の余地などない。
「おい」
玄関へ向かうその背に尚登が声をかければ、その時ばかりはわずかに目を輝かせて振り返った。
「なんの恨みがあって陽葵を目の敵にしてるか知る気もねえが、二度と関わってくんな。陽葵は俺がもらっていく」
ぶっ殺すくらい言ってやりたい気持ちを抑えて告げれば、新奈は聞き取れない声でごめんなさいと謝った。ここまで来てようやく自分の罪が判ったのかと尚登も京助も呆れるばかりだ。
陽葵と京助は病院へ運ばれた。京助は打撲と擦過傷があり、陽葵は切り傷と擦過傷と、暴行の痕跡の証拠を取るためだ。そして病院で警察の調書も受けた、対応は医師も警察も女性が付いてくれてほっとした。
全てが終わったのは夕方と言っていい時間になっていた。京助は念のため入院することになったが、陽葵は帰宅を希望した。同じく調書を受けていたが先に終わり廊下で待っていた尚登と合流する。
包帯が巻かれた両手首と首に貼られた保護テープが痛々しい、尚登は保護テープの上から傷を撫でた。
「──やっぱり、ぶっ殺せばよかった」
陽葵を傷つけられた恨みを晴らすには警察に突き出すくらいでは気が済まない。
「そんなこと言わないでください。尚登くんが犯罪者になるのは困ります。大げさにされちゃいましたけど、全然浅いですし大丈夫です。とっくに血も止まってますし」
当然痛みはあったが、首は刃が撫でた程度だったようだ。場所もスカーフで隠せそうで、日常生活は送れそうだ。さすがに手首は目立ち、傷跡も残ってしまうかもしれないが、やはり隠せない場所ではない。
尚登はため息を吐いて陽葵を抱きしめた。
「なんでこんなことに」
尚登の疑問に、陽葵は深呼吸をしてから応えた。
「継母が、尚登くんを史絵瑠に譲れって言ってました」
言えば尚登は不機嫌に「はあ?」と声を上げる。
「ふざけたことを──金積まれても史絵瑠と付き合う気はないわ」
尚登の言葉に陽葵は微笑む、まさに新奈にもそう伝えたが。
「でも私が死ねば尚登くんがショックを受けて、それを史絵瑠が慰めたらうまくいくって思ったみたいで」
「阿保か、ないない」
尚登は即答する。
「仮に実は義妹がすんげーいいヤツでって展開があったとしても無理だね。俺はもう誰も選ばないし、一生陽葵の菩提を弔って生きる」
それはそれで熱い告白だ、陽葵は頬を赤らめて俯いた。
「……それは嬉しいですけど、もったいないので……是非、他の人と幸せになってください」
恥ずかしげに言う陽葵を尚登は力強く抱きしめた。
「とりあえず、俺より先には死ぬな、俺より若いんだし」
「でも、それはそれで淋しいですね」
陽葵も尚登の体を抱きしめ返しつぶやく。
「尚登くんがいなくなったら、私、一人ぼっちです」
一人で生きていく覚悟だったが尚登といる幸せを知ってしまった、それがなくなった時のことを思うと急に怖くなった。淋しい告白に尚登は陽葵の耳元で微笑む。
「だから子どもがいるんだろうな。陽葵が淋しくないよういっぱいできるといいな、百人とか二百人とか」
とんでもない数の提案に陽葵は吹き出した。
「それはさすがに一生かかっても恵まれないので諦めてください」
二人で笑い出した時、尚登は連絡事項があったことを思い出す。
「ああ、うちの親が、うちへ来いってさ」
「え、うち? あ、尚登くんちですか?」
田園調布にあるという、まだ見ぬ尚登の自宅を思う。
「陽葵んちのガラス壊しちまったし、部屋に土足で上がっちまったし、水で流したとはいえ風呂も一度きちんと掃除したほうがいいと思うしで、うちに出入りしてる業者教えてもらおうと思って連絡したんだよ。そしたらまあ心配されたし、話のついでで朝から飯も食ってねえって言ったら、用意するから来いってよ」
「え、でも」
初めて訪ねるのがこんなタイミングとは──シャワーは病院のものを貸してもらえた、下着も院内の売店で買ったものに変えたが、衣服は男どもが触ったものだ、着替えたかった。なによりこんな状況で尚登の両親、実際には母親に初対面とは、心構えが追い付かない。
「えっと。じゃあせめていったん家に帰ってから」
「そうしたら遠回りだろ、こっからのほうが近い」
間違いない、川崎の実家から武蔵小杉駅近くの総合病院に担ぎ込まれている、山下公園近くの自宅からはますます田園調布に近づいた。
「お父さんはしばらく入院か、退院後もガラス入るまでは不自由だろうし、うちに寝泊まりしてもらって欲しいってよ、あ、義妹は?」
陽葵は淋し気に頷いた。
「──勝手にやるからほっといて、と言っていたそうです」
京助が連絡を取っていた。新奈の犯罪と離婚の意志を告げれば、史絵瑠はすぐさまああそう、今までありがとうと冷たく返事をしたという。
あっさり別れを選び、喜び勇んで男の元へ行ったのか──二人は声には出さないが思う、どの男かまでは判らないが。