弊社の副社長に口説かれています
何人かの刑事が、陽葵の前にいる刑事に耳打ちをしにくる、陽葵にはまったく聞こえなかったが、ようやく刑事の表情が緩んだ。

「貴重なお時間をいただきました、陽葵さんは覚せい剤も合成麻薬もお持ちでないことが確認できました」

当たり前だと尚登が小さな声で訴える、陽葵は怒るよりも安堵した、身の潔白が証明されたのだ。そうなると気になることが出てくる。

「あの……史絵瑠のお見舞いとか行けますか?」

思わず聞けば尚登がおいと怒った声で諫める。そして刑事は申し訳なさそうに微笑み答えた。

「生憎見舞いは難しいですね、現時点では容疑者ですし、なにより容体は思わしくはないです」

容体が悪いならば余計に会いに行きたいが、容疑者と言われてしまえばそうはいかない。

「あの……史絵瑠は、逮捕、ですよね……? 刑務所とかにはどれくらい……」

覚せい剤の罪とはどれほどなのか、史絵瑠は卒業式には出られないのだろうかと心配になってしまった。母子揃って罪を償うことになるのか──刑事は頷き教える。

「初犯ですので執行猶予になるとは思います。ですが使用に関しては第三者の関与が疑われています。覚せい剤は所持と使用は当然罪ですが、無理矢理摂取させても犯罪なのです」
「……無理矢理?」

なぜ第三者がいるのかと陽葵は首を傾げた。

「史絵瑠さんは意識不明の状態でホテルで発見されました、月曜日の朝です」

それで刑事の目が光ったのだと判った、陽葵が会った日の翌日だ。

「一緒に入った男は前日の夜のうちにチェックアウトしたのですが、一緒に入った女性が朝になっても出てこないと従業員が確認すると史絵瑠さんはベッドで眠っており、起こしても起きないので救急車で搬送されました。意識不明の原因を調べると、覚せい剤の過剰摂取です」

下手すれば死んでいたのかもしれないと思い、陽葵は青ざめた。

「発見から3日間も意識混濁で、昨日からようやく事情聴取ができるようになりました。本人の荷物から合成麻薬は出てきましたが、今回の使用は覚せい剤でそれは相手の男が持ってきたとのことです」

麻薬といわれるものを史絵瑠が常用していたのだと知った、いつからなのか、再会した時にはもう使っていたのか──そんな気配は微塵も感じなかったが。

「吸引器を使ったと言いますが、真新しい注射痕もありました。その吸引器も注射器も現場には残っていませんでした」

男が持ち去ったのだ、その疑いで一緒にいた男を追っているのだと判った。記憶におぼろげな男を思い浮かべ怒りが湧く、意識を失うほどの覚せい剤を服用させ放置して逃げたのだ、断じて許せなかった。

「一緒にホテルに入った男は史絵瑠さんとの連絡手段に使っていたアプリは退会していて、行方が掴めません。管理サイトに情報提供はお願いしていますが特定に時間がかかっています」

陽葵は唇を噛み締め何度も頷いた。あの日会った二人は仲がよいように見えた、史絵瑠の仕事を知らなければ年の離れた恋人と思ったことだろう。

「是非、捕まえてください、よろしくお願いします。なんでも協力します」

男が逃げおおせるなどあってはならない。そして犯罪の事実はあっても、少しでも史絵瑠の罪が軽くなるなら手伝いたいと思う。

「まったく、いつまで面倒かける女だな」

警察が帰ると尚登は吐き捨てるように言った。

「うん……でも今回は被害者でもあるみたいだし、義理でも姉妹だったんだから、助けてあげたいかなって思う」
「マジで陽葵は人が好過ぎる、今までどんだけのことされてきたよ」

確かに、と思う。
継母をけしかけ陽葵が叩かれる様を笑って見ていた幼少期、大人になって再会すれば一緒に住みたいとわがままを押し通そうとした、そんな史絵瑠を助ける必要はないのかもしれない、だが。

「そうなんだけど……でも、もしあの日、目黒駅で史絵瑠に会っていなかったら、今こうして尚登くんといることもなかったのかな、って思うとちょっと感謝したりもしてたりして」

陽葵の言葉に尚登は不機嫌に「ああ?」と聞き返す、陽葵は笑顔で答えた。

「だって、史絵瑠に会ってしまったから駅のベンチに座り込んでたところを、尚登くんが見つけてくれたんだよ? 史絵瑠に会っていなかったら、私は普通に電車に乗って帰ってきてた。あの日、尚登くんもお見合いから帰るのが必然だったとして私が尚登くんを見かけたとしても、多分声なんかかけなかったよ」

社内ならば会釈くらいはするが、外で会えても率先して声をかける勇気はない。現に尚登も陽葵を個別認識はしていなかったのだ、怪しまれて終わりだったろう。

「あの日史絵瑠に会っていなかったら尚登くんは私のことなんかずっと知らずにいたでしょ、そう思うと、史絵瑠はある意味キューピッドなんじゃなかって」
「阿保か」

尚登は言葉は乱暴だが優しく言って、陽葵を抱きしめた。

「あの日出会わなくても、この先の未来で出会って陽葵を好きになってた。それは今日かもしれないし、10年後かもしれない、あるいはもっと未来の死ぬ間際だったとしても、俺は絶対陽葵を好きになる」
「死ぬ間際は嫌だな」

陽葵は笑顔で受けた。

「大好きな人と一緒にいる時間は長いほうが嬉しい。だからあの日、尚登くんに出会えてよかった、つまり史絵瑠に会えてよかった。大変なことは多かったけど、嫌な思い出も全部尚登くんに会うために必要だったんじゃないかって思えば、人生はいろんな巡り合わせでできてるんだって思えるじゃない」

尚登の頬を両手で包み込んでの言葉に、尚登は呆れながらも微笑んだ。

「そんな苦労しなくたって、俺は陽葵を見つけてた。そんな風に受け入れるなんて、本当に陽葵は優しすぎるんだよ」
「尚登くんがいるからだよ」

どれか一つ欠けても尚登と出会っていなかったのかもしれない、そう思えば辛かったはずの過去のすべてが愛おしくさえなってくる。
だからこれは姉としてできる最大の礼だ、史絵瑠が犯罪に巻き込まれてしまったなら助けてあげたい。

「まったく、しょうがねえな」

それも陽葵の良さだと尚登は陽葵を抱きしめ直して髪を撫でた、陽葵も抱きしめ返しその胸に顔を埋める。
自分がいい子でいられるのは尚登のお陰だ、無条件に好きだと言ってくれる尚登の存在が勇気を与えてくれる。
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