悪役令嬢に捧ぐ献身
 不穏な空気を感じてぐずりはじめたシルヴィアを両腕でしっかりと抱え、ラウリは必死に公爵邸へと駆ける。

 笛の音を聞いた騎士たちがそろそろ外へ出てくるはずだ。彼らと合流しさえすれば、シルヴィアを安全な場所へ移すことができる。

 屋敷の方がにわかに騒然となる気配を捉えたラウリは、ほぼ同時に裏手から飛び出してきた数人の騎士を見て、すぐさま大声を上げようとした。

「うッ……!?」

 だが、それは言葉を形作ることはなく、呻き声となって地に落ちた。

 左肩に焼けつくような痛みが走り、ラウリはその場にぐしゃりと倒れ込む。その際、間違ってもシルヴィアを下敷きにしないよう根性で右肩を盾に着地した。

 転倒の衝撃でいよいよ本格的に泣きだしたシルヴィアを宥めることも叶わず、ラウリは迫りくる刺客の足音に身を固くする。

「お嬢様、どうかそのまま、泣いててください。すぐに皆が、駆け付けてくれるはずです」

 シルヴィアに泣けと言うなんて、世話係失格だ。後でちゃんとシルヴィアの大好きなお菓子を用意してあげなくては。

 ……いや、その役目を自分が果たせるかどうか。

 地面に映る人影は、もうラウリのすぐ後ろまで迫っている。先程浅く切りつけた左肩を、今度は本格的に落とすつもりだろうか。それならそれで構わない。腕が一本残っていればシルヴィアを守ることは出来る。

 たとえここで息絶えても、シルヴィアを放さない自信がラウリにはあった。

「この愚か者め、さっさと渡さんからこうなるのだ……ほら寄越せ! シルヴィアは私のものになるのだ、この家ごとな!」

 ああ、しかし何だ。さすがに左腕をこの不届き者にくれてやるのは惜しい。

 この身はラウリのものであり、髪の毛の一本に至るまでシルヴィアのものだ。

 捧げられるのならば、己が心臓さえも。



「……この、体は」



 ぽつりと呟き、ラウリが重たい左手で自身の胸に爪を立てると、不意に頭の中にノイズがかかる。

 刹那、濁流のように雪崩れ込む記憶の数々。

 頭蓋が割れるような痛みを覚えたのも束の間、嵐のように吹き荒れていた無数の回想が止み、はっと視界が開ける。


『どうか上手く行ってくれ』


 そうだ、すっかり忘れていた。

『私はもうお嬢様が壊れていく様を見たくない』

 何故こんなにも大切なことを、今の今まで忘れていたのだろうか。

『力を貸してほしいのだ』

 遥か昔、主人から与えられた己の使命を。

 ()は言っていた。


『きっと、どんなことをしてもお嬢様はあの日を迎えてしまう』

『私にお嬢様を救う力が無いのなら。この命がただ、お嬢様の魂を燃やす炎にしかなり得ないのなら』


 ──私の存在そのものを捻じ曲げるしかあるまい。頼んだぞ、我が友ウリエルよ。


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