愛を奏でるワルツ~ピアニストは運命の相手を手放さない~

第二章 会いたかったピアニスト

私はタクシーを降り、豪華なガラス扉の前で呆然としていた。
だって、ここは。

「行くぞ」

レンに声をかけられ、彼の腕を掴む。

「ここ?!ここに泊まる気なの?!」
「泊まる気も何も、俺がここに泊まってる」
「こんなところ、私、払えるお金無いから!」

うろたえる私の頭に大きな手が乗る。

「いいから俺に従っておけ」

横には笑顔のベルボーイが私のトランクを持ち、ドアの前にはドアマンがドアを開けていて、私は待たせていることを恥ずかしく思いレンの後に続いた。

ドアを抜けて私は軽く口が開いた。
そこに広がるのはまさにヨーロッパのお城のよう。
天井には豪華なシャンデリアが輝き、二階部分まで吹き抜けになった壁の柱には凝った彫刻。
床は美しい色の大理石がモザイクのように敷き詰められ、黒のスーツを着たダンディな男性が音もなくレンの側に来て挨拶をする。

レンは言葉を交わしていたが、横を向いて私ににこりと微笑む。

「Welcome to our hotel、Ms. Sinozaki」
「Danke schön」

わざわざ私には英語でホテルへようこそと言ってくれているようなのがわかり、私は数個しか知らないドイツ語でありがとうございます、と返事をした。

「とりあえず部屋に行くか」

ベルボーイが荷物を持ち、黒服の男性も付き添って部屋に向かう。
エレベーターですらクラシカルで格式を感じる。
男性がドアを開け、レンがベルボーイに荷物を入れるように指示し、私にも中に入るよう促した。

そしてまた、私の口がぽかんと開く。
ここ、昨日見た宮殿の中と同じじゃ無いの!
リビングらしきこの部屋の壁紙は淡いオレンジで刺繍が施され、家具も猫足の大きなソファーセットで、アンティークなデザイン。
座面や背もたれに使われている、グリーンのベルベッドが上品だ。
部屋も一部屋だけではない、私の住んでいるアパートの部屋が余裕で三つ入るほどに広い。
ガラスのドアの向こうには広々としたベッドルーム、まだ違う方向にもドアがある。
窓に近寄ると大通りに面しているようで、大通りの木の緑がちょうど良い高さに見える。

「とりあえず、荷物は開けるのか?
それともまずは観光に出かけるか?」

ハッとして振り返ると、既にドアは閉まりレンが面白そうなモノをみるように私を見ていた。

「ここ!インペリアルホテルだよね?!」
「あぁ。流石に知っているか」

私は興奮したまま続ける。

「知ってるよ!もちろん名前だけだけど!
ウィーンでトップの高級ホテルじゃない、王族や有名人御用達の!
ホテルの前は通ったけど、中がこんな風になってるなんて知らなかった。
まるでお城の中にいるみたい!」
「お城みたいって、ここは元々城だよ」
「そうなの?!」

驚く私に、レンは三人軽く座れるような大きなソファーに座り長い足を投げ出す。
手招きをされ、私も隣にある一人用のソファーに座った。
ゆったりしてスプリングもしっかりした座り心地の良いソファーだ。

「元々はヴュルテンベルク家が宮殿として作ったんだ。
だがそんなに長く宮殿としては使われず、海外からの要人を招く最高級の外交の場として活躍するようになった。
だからどこもかしこも楓が好きそうな宮殿のような作りになってる。
時間があれば観てみれば良い、おそらく無いだろうが」
「無いってどういう意味?」

こんな凄いところ探検して回りたい。
いや、上流階級御用達のホテルではしゃぐのはマナー違反だ。

「これからシェーンブルン行くだろう?
あれは宮殿だけで無く庭園含めると恐ろしいほどの広さだ。
戻ってザッハーに行けば既に夕方だな。
俺は仕事があるからそれくらいまでしか付き合えないが」
「そこまで付き合って貰うだけで十分だよ。
じゃぁホテル帰ってから一人で見て回ってもいい?」
「そんな余裕があるならな」

レンに今日のスケジュールをしっかりと言われ、私は落ち込みそうになって答える。
戻ってくればレンは仕事な訳だし、私は時間があると思うのだけれど。
だが再度流され掛けていて思い出した。

「ねぇ、私ここに泊まるって事だよね?」
「連れて来ただろうが」
「こんな凄いところ、私じゃ支払えないよ」
「ここは俺の部屋だ。
日本と違って部屋代を支払うんだよ。
だから部屋で泊まれる人数であるなら、人が増えようがホテルは気にしない。
それにここなら大きなバスタブもあるしな。
あと、さっきのバトラーが俺たちの専属だから何かあれば頼めば良い。
たどたどしい英語でもしっかり対応してくれる」

時折言葉にとげを含ませるのは性格なのだろうか。
だが、どうやら私にはお金を払わせるつもりはないらしい。
良いのだろうか、部屋代、間違いなくとんでもない金額のはずだ。

そしてはたと気付く。
ここはレンの部屋で、私もここに呼ばれたわけで。
視線を動かせばガラスのドアの向こうに見えるキングサイズのダブルベッド。
どう見ても、ベッドは一つだけだ。

「質問が」
「どうぞ」

私がそろりと右手を挙げる。

「ベッド、一つしか見えないようなのですが・・・・・・」
「一つしか無いな」

硬直している私に、レンは軽く答え、はは、と笑い出した。

「さていい加減出ないと今日のスケジュールをこなせないぞ?」
「行きます!」

レンが立ち上がり、私に右手を差し出す。
私は当然のようにその手を取った。
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