愛を奏でるワルツ~ピアニストは運命の相手を手放さない~


大聖堂の中は、言葉に出来ないほどの素晴らしさだった。
石造りの建物の入り口ドアはそんなに大きくは無い。
そこを通ると高い高い天井と広さに驚いた。
何本もの柱に施された彫刻。
天使達の祝福するキリスト像。
荘厳な教会にあるステンドグラスから入ってくる光が中を照らす。
教会と言うこともあり観光客は静かに見学し、所々でツアーガイドらしき人が解説しているのが聞こえた。
ゆっくりと中を見て、邪魔にならない場所で立ち止まる。
きっとここは異世界と言われたって信じるほどに圧倒された。
外に出ても感動に浸りながら、今夜行こうと思っている『楽友協会』のチケット売り場に向かう。

『楽友協会』。
ここは一月一日、全世界に生中継される『ウィーンフィルオーケストラのニューイヤーコンサート』が行われる場所だ。
毎年テレビで見ていて、絶対に行きたい場所の一つにしていた。
ブラームスなど有名な音楽家達がここにいた。
建物前に到着すると、これはまた立派な石造りの建造物。
もうこの街は全てが博物館だ。
そんな楽友協会の前にある「kassa」と書かれたチケット売り場を見れば、運良く今日コンサートが行われるようだ。
それもニューイヤーコンサートの行われる大ホール、通称黄金のホールで。
オペラ座でオペラは無理でも、ここでコンサートは聴きたいと意気込んで表示を見る。
だがチケット売り場にある今日の内容らしき表示はドイツ語と英語のみで、そもそもクラシックをあまり詳しくない私には余計さっぱりだ。
とにかく事前に調べていた英会話で笑顔を浮かべて売り場のおばさまに尋ねた。

「Nicht」

冷たい声で短く返される。
ニヒト?えーっと、ノーって事かな。
この席は無い、という事だと理解し、必死に他の席が無いか尋ねる。
だけれどおばさまは冷めた顔で首を振るだけ。
後ろには厳格そうな年配の男性が順番を待っていた。
駄目だ、私の英会話能力じゃ。
後ろの人を待たせるのも忍びなく、諦めてチケット売り場を後にした。

とぼとぼと歩いていたら後ろから何か声がして私は振り返る。
そこには先ほど後ろにいた男性だった。
怖い顔つきでずんずんと近寄ってきて、私は怒られるのかと顔を強ばらせた。
だが男性は一枚の紙を差し出した。

「え?」

そこには長細い紙にKonzertticketと書いてある。
日付は今日、スタート時間は先ほど取ろうとしていたものだ。
私が驚いて顔を上げると、彼は私の手に握らせて笑顔を見せた。
この人、チケットを買ってくれたんだ。
慌ててスマホの翻訳機能で、お金を支払いますとドイツ語で表示した。
焦って打ったので合っているか不安でいると、彼はまた笑って、

「enjoy」

とだけ言って去って行った。
私はまた呆然として見送ってしまいそうになり、我に返って彼に走り寄って財布を鞄から出そうとしたら、彼は私の鞄を手で押さえ首を振った。
私はDanke schön!、ありがとう!と言うことだけ何とか伝えると、彼は笑顔で立ち去っていった。

凄すぎる。
諦めていたコンサートのチケットがこんな形で手に入るなんて。
今日はスリから助けて貰ったり、チケットをもらったり、ウィーンの男性というのは皆紳士なのだろうか。
興奮して友人にメッセージを送ると、そんな訳あるか!このラッキーガールが!と怒ったスタンプ付きで返ってきた。
やはりそうだよね、なんだかラッキー過ぎて怖くなる。
これは、あの酷い事があった事の反動なのだろうか。

立ち去りかけていた楽友協会を見上げ思わずにやけてしまう。
まずは腹ごしらえをしてワンピースに着替えなきゃと、急いでホテルに戻ることにした。

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