愛を奏でるワルツ~ピアニストは運命の相手を手放さない~

お目当てのウィンナー・シュニッツェルが登場し、私は驚き凝視する。
その前でくつくつとレンが笑っている声が聞こえた。

「笑わないでよ」
「想像と違ったか?」
「うん。こんなに大きいとは」

目の前にあるのは、大きな皿が見えないほど大きな薄いカツ。
豚肉を平たくしてあげたモノだとは聞いていたが、ここまで平べったく大きいとは。

「レン、少し食べてくれない?
さすがに全て食べきれないよ」
「いいぞ」

私が取り分けてほぼ半分をレンに渡すと、またそれを見てレンは笑っている。
複雑な気持ちのまま大きめに切ったウィンナー・シュニッツェルにかぶりつく。
うわ!美味しい!揚げ物なのに軽い!

「美味いだろ?」

自慢げにレンが聞いてきて、私は口いっぱいに頬張りながら頷いた。

「ワインに合うぞ」

勧められてワインを飲むと、油っこさがさっぱりと流されうまみがだけが残る気がする。

「これ、永遠にワインと交互で食べられる気がする」

これは癖になりそうと真顔で言えば、レンははは、と声を出して笑った。
そこをさっきの女性と他の女性スタッフが何かレンに声をかけ、レンは言葉を返している。
立ち去った後気になって聞いてみる。

「何を話したの?」
「俺が笑っていたのが珍しかったんだと」
「いつもしかめ面してここで飲んでるの?」

レンはまた笑う。

「ここに来たのは久しぶりだ。
そもそもオフがあまりない」
「凄く忙しい仕事なんだね。
何しているの?」
「で、楓はどうして一人でウィーンに来たんだ?
会社員だった、なんて言い方もしたな」
「私の質問はずっとスルーするくせに、そういうことは覚えているんだね」
「聞きたいことは明日にでも答えるさ。
で、何があった?」

どうやらレンは自分の事を答える気は無いらしい。
明日にでも、なんてきっと誤魔化されるに違いない。
私はワインをぐいっと飲むと、レンの方を向く。

「会社がね、倒産したの」

へぇ、とレンは軽く返し、私はぼそぼそと自分に起きた事を話し出した。

大学を卒業し入ったのは中堅企業で、そこそこしっかりした会社だった。
ワンマン社長で上層部も身内ばかりの同族経営だったけれど、社長は気さくな人で社員との距離は近かった。
だが、金曜日の朝会社の入るビルへ行くと、入り口のあるフロアで社員達が立ちすくんでいた。
ドアに張ってあったのは『お知らせ』という題名の破産手続き開始決定の紙。

え、昨日社長来てたよね?
笑ってたよね?
どういうこと?!

「社長に電話が繋がらない」

混乱していると横から声がして見てみれば、総務部の部長だった。
他の人も経営陣にかけるが誰にも繋がらず、他の課の部長が問い合わせ先として書いてある弁護士に問い合わせ、私達の勤めている会社が破産したことを正式に知った。
社長は体調不良で入院、面会謝絶と弁護士が言ったそうで、皆それを聞き頭にきた。
昨日までピンピンしていたくせに。
まるで、不祥事が起きた途端に入院するどこかの政治家のようだ。

会社のドアはチェーンで閉められ、私達は一旦その日は解散せざるを得なかった。
私物を持ち帰るだけの短時間だけ中に入れてもらえたのは翌週の半ば。
給料などは後で連絡すると弁護士に言われ、私達が不満を言っても弁護士は用件を済ますとすぐに帰ってしまった。

「で、当分会社からの連絡待ち。
有給は一日も使ってなかったのに消滅したから、腹が立って。
仕事が忙しくて一度も海外に行ってなかったし、この機会に行こうと思ったの。
また新しい会社に入れば、当分まとまった休みは取れないだろうから」
「それは大変だったな」

既にテーブルの上のソーセージやチーズ、山のようなポテトやらはレンによってほとんど片付けられている。
どうやらレン自身もお腹がかなり減っていたようだ。
細身に見えるその身体の胃袋は、外国サイズなのだろう、なんて羨ましい

三杯目のワインを頼もうとしたらレンに止められた。

「えー。もっと飲みたい!美味しいもの」
「また明日観光で動き回るだろう?
二日酔いになったら楽しめないが、良いのか?」
「はぁい」

悲しげに従えば、レンは苦笑いを浮かべ水を頼んでくれた。
なんというか、ルックスもさることながらしっかりと気を遣ってくれる。
こんなに人に甘えているのはいつぶりだろう。
きっとこんな私を見たら、友人達は驚くに違いない。
それだけレンといると安心できた。

知らない土地で、日本語を話す現地を知る人だからというだけではない。
彼なら任せていて安心だと思えてしまうのだ。
彼氏がいたら、こうやって包まれるように安心できるものなのだろうか。
この歳で交際経験が全くないなんて、百戦錬磨していそうなレンの前で言いたくはない。

周囲ではアコーディオンに合わせ歌う人達や、カップルが寄り添って飲んでいたりする。
何だかみな幸せレンで、見ているこちらも気持ちいい。

「どうした?」
「ううん、良いよね、みんなで歌って、騒いで、美味しい物食べて飲んで。
そりゃ幸せな顔になるなって」
「日頃大変なぶん、息抜きする場所や方法を知っているのは大事だな」
「そっかぁ」

確かにそうかもしれない。
彼らだって日頃大変だからこそ、今日くらいと楽しんでいるのかも知れない。

ふと、レンの指がテーブルの上で動いているのに気付いた。
まるでピアノを弾いているように軽やかに。

「レンってピアノ弾くの?」

私の質問にレンの指の動きが止まる。

「ピアノ習ってた子が、音楽聴くと無意識にそういうことしてたから。
もしかしてピアニスト、とか?」

昨日のピアニストに何が繋がる情報をやはり持っているのかも!
私の期待した目に、レンは軽く息を吐いた。

「音楽関係の仕事をしている。
ほら、そろそろ帰るぞ。
ホテルはどこだ?」
「あ、支払いは」

また話を逸らされたが、会計をうやむやにさせないように言う。
だって今日はずっとレンが支払ってくれて、電車代ですら払っていないのだ。

「とっくに済ませた。
楓がさっき寝てたときに」
「寝てた記憶が無い・・・・・・。
で、支払い!」

レンが立ち上がったので私も立ち上がろうとしたら、足が椅子に引っかかりこけそうになった。

「この酔っ払いが」

思い切りレンに正面から抱きしめられ、硬直する。
上から呆れた声がするのに、周囲からは冷やかしの口笛が吹かれて顔が熱くなった。

「顔の赤さが引かないな。
二杯だけでここまで酔うとは」
「大丈夫だから!」
「酔っ払いは得てしてそう言う」

ぐい、と腕を掴まれ、私は肩を抱かれて歩き出す。

「歩けるって!目一杯みんな冷やかしてるよ?!」
「ここら辺は坂ばかりなんだ。
お前が転がられたら俺は拾いに行けないぞ」
「転がらないよ!」

私がじたばたしても大きな手は私の肩をしっかりを掴み、レンの大きな身体にどうしても密着してしまう。
意識しているのは私だけ。
レンは単に子供を心配しているような気持ちだろうから複雑だ。

「で、ホテルは?」

私は仕方なくガイドブックを出して地図を広げ、マークした場所を指さした。

「この辺なら安宿か」
「すみませんね!まぁシャワーのみだとは思わなかったけど」
「海外は必ず湯船に浸かる日本人とは違うから、シャワーのみってのは多い。
特にこれくらいの宿ならまずバスタブは無いな」
「あー、思い切りお風呂に入りたい」
「トラムも近くないし、もう面倒だ、ここからタクシーにするか」
「お任せします・・・・・・」

酔っ払いの相手が申し訳なく、レンの言葉に従った。


ホテル前に着くと、レンがタクシーの中からホテルの入り口を見て綺麗な眉間に皺を寄せた。

「明日違うホテルに移動するから荷物まとめておけ。
十時に迎えに行く」
「待って!移動?!どこに?!
それにここのホテルの人にも言わないといけないし無理」
「全て俺がやる。
お前がするのは荷物をまとめておくことだけだ。
シェーンブルン行くんだろ?
ちゃんと時間に間に合うように起きろよ?」

レンは私をタクシーから降ろし、やはりお金を払わせること無く去って行った。

私は呆然と見送り、とりあえず怒られないように荷造りをしなければとホテルに入った。

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