聖女となった悪女は隣国の王弟殿下に溺愛される
「ここは……?」
目を覚ますと、そこには見覚えのない光景が広がっていた。
「……ふかふかね」
慣れない柔らかさのベッドに包まれていた私は、周りを見渡す。目に映るのは、白と薄いピンクで統一された家具、そして埃ひとつないきれいな空間だった。
まさに“可愛らしいご令嬢の部屋”といった感じだ。
その時、さらりと顔にかかった髪が目に入る。そして私は、目の前に広がる光景の違和感の理由を知る。
「……なるほど。もう私は、私ではなくなったのね」
──そりゃそうよね。と、自身の行ってきた悪行を思い出せばすんなりと今の状況を受け入れることができた。
ベアトリーチェ・ホルライン。
それが私──いいえ、少し前まで『悪女』と呼ばれた私の名前。
公爵家の一人娘として生まれ、皇太子の婚約者として育てられてきた私は幼い頃にお母様を亡くし、お父様と3人のお兄様に溺愛されて育った。
そんな、欲しいものは何でも手に入れてきた環境で育った私の性格が歪まないわけがなく。私は未来の皇后であることに胡座をかき“悪女”と成り果てた。
そして私は足元を掬われ、“あの女”に騙され幽閉されたのち──処刑された。
「でも、この体は一体誰の……」
腰まで伸びる艶のある綺麗なピンクゴールドの髪。傷ひとつない透明感のある白い肌に、すらりと伸びるきれいな指。
どこか感じる嫌な予感に私は体を起こす。そして近くのドレッサーの鏡に体を映せば──
「リリア・フォレスター……」
そう、無意識に言葉が零れた。
「やっぱり……。でもどうして、私が彼女に……」
その問い掛けに答えが返ってくることはなく、静かに空気に溶けて消える。
リリア・フォレスター。私はその女をよく知っている。
なぜならば彼女は、この国……いえ、この世界唯一の“聖女”だから。
──聖女とは尊い存在である。
その力を持って生まれる者は数百年に一度。聖女が生まれた国は繁栄すると言い伝えられ、聖女は国宝として生涯何不自由なく暮らせるほどに大切にされる。
事実、300年前に聖女が誕生したと言われている隣国は聖女を王族に迎える──王太子と婚姻を結んだことにより世界最大の経済大国となった。
過去、聖女が誕生した国でもここまで繁栄した国はない。歴史書によればその時の聖女と王太子は恋愛結婚だっだという。おそらくそれが世界最大規模まで成長した理由ではないかと考えられている。
そして彼女──リリア・フォレスターはこの世界唯一の聖女であり、この国に繁栄をもたらす存在。
貧乏伯爵家出身の彼女は幼い頃から両親に愛され、国宝として皇族に大切にされ、そして国民から愛された女。
聖女という肩書きはそのまま彼女を表すかのように、常に柔らかい物腰でニコリと笑顔を浮かべる美しい少女だった。
そんな彼女を嫌っている人間はこの国には──私以外──いないだろう。
私は彼女が嫌いだった。皇太子の婚約者である私を差し置いて、皇太子に、そして皇族に大切にされる存在。
悪女がそんな存在、好く訳ないでしょ?
……いえ、一つだけ訂正を。
私は今でも彼女が嫌いよ。
だって彼女は、私を騙し、私の処刑のきっかけを作ったひとり。
聖女の皮を被った悪魔とはまさに彼女のことだと私は知っているから。
でも、どうしてそんな彼女に私はなってしまったのか。
私が彼女になったということは、本物のリリア・フォレスターはどうなってしまったのだろうか。
どれだけ考えてもその答えが出るはずもないのに、私は思考を巡らせる。
その時、コンコン。と、控えめにノックされるドア。
「っ、……どうぞ」
びくっと体を揺らした後、全身に緊張感を走らせ控えめに入室を促せば、入ってきたのはよく見知った顔の人物だった。
「リリア。目覚めたのかい?」
そう目の前の男が優しい笑顔を浮かべると、私の心臓はドクン、と一度大きく跳ねた。……もちろんそこにトキメキなどは少しも存在しない。
この女を名前で呼び、優しい笑顔を浮かべる青年──ダニエル・フォン・グリッセ皇太子殿下。
彼は私──“ベアトリーチェ・ホルライン”の婚約者だった人物。そして、聖女に加担し私を処刑に追いやった一人。
……私には一度もそんな顔見せたことなかったのに、彼女には見せるのね。
「愛しいリリア。今日もとても美しいね」
そう言ってそっと唇を添わすために掬ったリリアの髪を自身の顔に近づける皇太子。
瞬間、──パンッ! と、乾いた音が部屋に響いた。
どうやら頭で考えるよりも先に、私の全身──正確には私の体ではない──が、彼を拒絶したようだ。私の視界に映るのは“元”婚約者のひどく驚いた顔。
拒絶されるだなんて思っていなかったのね。
そして、その表情はひどく悲しそうなものへと変わっていく。
「……もしかして昨日のことを怒っているのかい? リリア……すまない、もう少しだけ我慢してほしい。もう少しで父上はいなくなる。そうなれば僕の時代だ。それまで我慢してくれないか?」
……何を、言っているのだろうか。そう思わずにはいられなかった。
この男の父親でありこの国の一切を取り仕切る皇帝陛下。
精悍な顔つきと同様、自分にも他人にも厳しく、少なくともベアトリーチェが生きていた頃は病気など無縁な方だった。実際、私が王妃教育などで城に行っていた間一度も皇帝陛下の不調など耳にしたことがない。
そんな方が、いなくなる……?
「あぁ、そうだ。お詫びというわけではないんだが、以前リリアが仕立てたドレスが届いたんだ。これを着て、今日のユーリ殿下の歓迎パーティーに僕の“婚約者”として参加してくれないだろうか……?」
ユーリ殿下の歓迎パーティーが今夜……? それに婚約者ですって……?
いつからこの女が婚約者になったのだろうか。なんて考えはすぐに消える。
なるほど。私が処刑された後の用意は万全だったってわけね。
皇帝陛下は聖女がいるにも関わらずただの公爵令嬢である私を皇太子の婚約者に据えていた。それはつまり、皇帝陛下は聖女と皇太子を結婚させる気がない、ということなのではないだろうか。
結婚し、出産するとなれば命を落とすリスクがある。だからこそ結婚などさせず、聖女には死ぬまでその力を国のために使わせるつもりだったのでは……?
そしてその事に気が付いた皇太子と聖女は共謀し、確実に皇后の座を手に入れる為の計画を企てた。その計画のキーとなるのが、おそらく今日なのだろう。
経済大国である隣国の王太子・ユーリ殿下に婚約者として紹介され認められることで、聖女であるリリアの次期皇后としての立場は盤石となる。
経済大国の次期国王であるユーリ殿下に認められさえすれば、いくらこの国の皇帝陛下でも認めざるを得ないから。
そう考えれば皇太子と聖女が私を処刑に追いやった辻褄が合う。
……むしろ褒めたいぐらいね。邪魔者が死んでからの“1か月”で次期皇后としての立場を盤石にするための計画を、少なくともユーリ殿下の歓迎パーティーが決まった数か月前から立てていたなんて。
そしてその計画は今日成功する──はずだった。私がこの女にならなければ。
ちょうどいいわ。今日という日に目覚めたことは。絶対に思い通りになんかさせてあげない。
信じていた人に裏切られる絶望、あなたにも味合わせてあげる。
「……ええ、喜んで」
甘い声で私はにっこりとした笑顔を貼り付け、目の前の皇太子の差し出した手に自分の手を重ねる。
その姿はきっと誰が見てもリリアそのものだろう。現に目の前の皇太子は私が本物のリリアではないことに気づく素振りすらない。
「ッ!! やっとリリアが正式に僕の婚約者に……! こんな嬉しいことはない! 今夜は……覚悟しておいてくれ」
その言葉に、ぞわ、とした気持ち悪さが足元から全身へと広がる。
だが、今の私はリリアだ。ベアトリーチェではない。こんな時あの女なら、恥じらいながら顔を赤らめこう返すだろう。
「殿下……、わたくしはすでに、その……覚悟はできておりますわ……」
最後に忘れずに「はしたない、でしょうか……?」と付け加える。そうすれば皇太子は気持ち悪く表情を緩め鼻の下をグンと伸ばし上機嫌となった。
「ふっ、ははっ。本当にリリアは可憐だな。今夜が楽しみだ」
「えぇ、わたくしもとても楽しみですわ」
──何が、とは言わないけれど。
リリアの言葉に気を良くした皇太子は「また後で迎えに来る」と言葉を残しそのまま部屋を後にした。
私が企みに満ちた笑顔を浮かべているなんて気づきもせずに──。