聖女となった悪女は隣国の王弟殿下に溺愛される
「リリア……、本当にそのドレスで行くのかい?」
もう何度目か分からないその言葉に私は可愛らしい声でリリアになりきり「はい」と答える。
「やはり、わたくしには似合ってないでしょうか……。皇太子殿下ならどんなわたくしの姿でも褒めてくださると思ってましたのに……」
「ッ! す、すまない! そういうつもりではなかったのだ! そのドレスもリリアにとても似合っている!」
「本当ですか……?」
「あぁ、本当だ! ……ただ、ずっとあのドレスを楽しみにしていたであろう。だからてっきりあのドレスを着ると思い僕も色を合わせたんだが……、バラバラになってしまったな」
そう言って少しだけしょぼんと表情に影を落とす皇太子。
リリアならこんな時どうするだろうか。……きっと彼を上回る勢いで目をうるうるさせ、皇太子に謝らせるのだろう。彼女の庇護欲を搔き立てる表情は、男性を簡単に虜にさせる。
でも、もう私はそんなことしない。
本当の私が好んだ真っ赤なドレスに、赤く綺麗なデザインのガラスでできたピンヒール。
今日皇太子から渡されたフリルがたくさん使用された淡いピンクのドレスとは似ても似つかない派手なドレス。だからこそあの女が好んだドレスに合わせ仕立てられた皇太子の正装とはチグハグで、並んだときに違和感でいっぱいになる。
たったこれだけのこと、と思うかしら。でもね、たったこれだけのことが社交の場に与える影響はとても大きい。
今日のパーティーに参加する者は誰も彼の隣に立つ私が婚約者とは思わないだろう。
むしろ、今日この場にふさわしくない派手なドレスに皆困惑し、非難し、嘲笑するのではないのかしら。
そうなれば好都合ね。
「……緊張するな。正式にリリアを婚約者だと紹介するのは。やっと、キミと一緒になれる。楽しみだ」
もう、その言葉に返事はしない。
愛する人に裏切られたとき、皇太子がどんな顔をするのか。
心が逸る。想像するだけで、私の心は満たされる。
目には目を、歯には歯を。私は悪女だもの。だったら悪女らしく復讐してあげなきゃ。それが礼儀ってものでしょ?
「行こう、僕の愛しいリリア」
皇太子の言葉と同時に目の前の大きな扉が開かれると、キラキラと眩しい光が視界いっぱいに飛び込んでくる。
久しぶりね、私の嫌いな場所。
でもきっと今日、私はここを好きになるわ。
今日という日が終わった後、私がどうなるかは知らないけれど。それが皇太子への、そしてリリアへの復讐となるだろう。悪女の行く末は地獄と決まっている。
でも、地獄へ落ちる前に復讐のチャンスをもらったの。このチャンス、利用しないわけないでしょ?
「ユーリ殿っ!」
私をエスコートし、隣を歩く皇太子が今日の主役である隣国の王太子・ユーリ殿下を見つけその名を呼ぶ。
腕を引かれ彼の前まで行くと、その空間を支配する雰囲気だけでさすが世界最大国の王子ね、と感心してしまう。
佇まいだけではない。その纏うオーラや仕草一つが完璧であり隙がない。私の手を引く皇太子とは大違いだ。
「これはダニエル殿、お久しぶりでございます。本日はこのような素敵なパーティーを催してくださり感謝の念に堪えません」
「いえ、ユーリ殿が来るとなれば当たり前のことです。……ところで、ユーリ殿はおひとりで?」
今の彼の近くには護衛も付き添いも誰もいない。自国ならまだしも、他国で護衛もつけないなど普通はあり得ない。それがたとえ友好国だとしても。
だから皇太子はあたりをきょろきょろと見回す。
「いえ、さっきまで護衛もいたのですが……、恥ずかしながら今は問題児が脱走しないように見張りについてもらっていまして」
「問題児、ですか……?」
「えぇ、我が国の……あぁ、ちょうど戻ってきましたね」
そう少し困り顔をしながら頬を緩めるユーリ殿下の視線を追うように私も真後ろに視線だけではなく体も振り向かせる。
──瞬間、懐かしい声が耳へと届く。
「すまない、迷子になった」
高すぎず低すぎない耳触りのいいその声は、少しも悪びを帯びておらず飄々としている。あの頃のまま、何も変わらないその声に、私は胸の奥が、ジン、と熱くなるのを感じた。
「ダニエル殿、申し訳ございません。彼が私の叔父であり、現国王陛下の弟である──」
「ゼン、と申します。直接挨拶するのは初めてですね」
「それは叔父上がいつもどこかに逃げるからでしょう?」
「いやぁ、せっかくこの国に来たんだ。好きな子との密会くらい許してくれよ。……どうせもう、会うことはできないんだから」
そう言った王弟殿下──“ゼン”は今にも泣きそうな表情を一瞬だけ浮かべ、すぐにまた飄々とした掴みどころのない表情へと戻る。
目頭が熱くなるのを感じた。
鼻先がツンとする感覚はいつぶりだろうか。
こんなにも彼との再会が嬉しいだなんて思わなかった。
『リーチェ、こんなところにいたら体を冷やすよ』
そう言ってシャンパンの入ったグラスを二つ持ってバルコニーで黄昏る私のもとに来た彼を思い出す。
あの時の会話が、最後だったのよね……。
それにしても、初めて聞く彼の立場。
ベアトリーチェの時はそんな話、しなかったものね。……というより、それなりに身分のある王子の護衛だと言っていたから、そういうものなのだと疑いもしなかったわ。
ましてや、私とふたつしか離れていないのよ? 御年40を超える国王陛下の弟君だなんて誰が想像できるというのよ。
「……失礼ですが、そちらのご令嬢は? たしかダニエル殿は婚約者を亡くされて……」
和やかな空気は一転。ユーリ殿下のその言葉と同時に、ピリッとした空気が肌を刺激し冷たい視線が体を貫く。
おそらく隣国の彼らにも、皇太子の婚約者である私が処刑された話が伝わっていたのだろう。
まだ1か月というのに皇太子にエスコートされ、私に悪びれる様子もなく堂々と隣に立っている女を不信がるのは王族ならば当たり前のことだ。
ましてやこの派手さだ。好感など持てるはずもない。
しかし皇太子はそんなことには少しも気づかないようで、さっきまでよりひとつ声のトーンをあげてユーリ殿下に話しかける。
「ご紹介が遅れ申し訳ない! こちらは我が国の聖女・リリアです」
「聖女様、でございましたか。私はウィラント王国第一王子、ユーリ・フォン・ウィラントと申します。平和の象徴である聖女様にお目にかかれて光栄です」
「聖女・リリアと申します。こちらこそユーリ殿下にご挨拶ができましたこと光栄でございます」
ドレスの裾をもって軽く腰を屈め視線を下げる。何百、何千と行ってきたその動作は嫌でも魂に沁みついてしまっていたようだ。
顔を上げればもうさっきまでの体を貫く冷たい視線はなく、だからと言って好感を持ったような様子でもなく。おそらく彼らの中で興味のない存在、となった。
誰もが喉から手が出る程欲する聖女は、彼らのような上をいく者にとっては必要がないのだろう。
それにしても、ゼンのあんなに怖い顔は初めて見たわね。私にはいつも冗談を言って笑っている飄々とした表情しか見せなかったもの。
掴みどころのない男だった。だからこそ一緒にいて心地が良かった。
「それで、実は本日ユーリ様にお伝えしたいことが──」
でも、もうあの頃には戻れない。
そう分かっていても、胸が痛むのはどうしてだろう。
彼の視界に映らないことを少し寂しいと思うのはどうしてだろう。
チクリ、と胸が痛むのを感じながら私は皇太子の言葉を遮るように腕を控えめに引いて「少し疲れてしまいましたわ」と上目遣いで告げる。そうすれば、皇太子は優しい表情を浮かべ私の顔を覗き込む。
「あぁ、本当だ。少し疲れが見えるね。休みに行こうか」
「いえ、殿下の手を煩わせるわけには行きません。わたくし一人で大丈夫ですわ」
「そうか、では後で様子を見に行くから休んでるといい」
本当、私が大切なのね。
彼の言動が、行動が、眼差しが、全てを物語っていた。
「ユーリ殿下への報告はまた後にしよう」
そう、耳元で囁かれ少し顔を上げれば、彼は柔らかい笑顔を浮かべ私を見ている。
でも、それは私にとっては不快なだけのもので──。